• 締切済み

40にして惑う(長文です)

40代の者です。 皆さんは、相応の年齢に達した後でも、少年の頃の夢や若い頃の目標で叶わなかったものを、また追いかけたい、と思ったことはありませんか。 私は子どもの頃から医者になりたく、小学生の頃から、人体図鑑や医学辞典を見て過ごしていました。あれから、歳月は流れ、様々な紆余曲折を経て、現在はささやかながら、経理や税金関係の事務所開設の準備をしております。しかし、最近になり、本当にやりたいことをやってみては、との思いも捨てきれず、医学部の再受験が頭をよぎります。  以下、これまでの経緯を記しますが、今後の気持ちの持ち方や切り替えの参考にさせていただきたく、感想等をお聞かせいただけたらうれしいです(半分は愚痴ですし、長文になります)。 私は医大を目指し通算7年ほど浪人をしました。通算というのは、高校卒業時と社会に一度出た後、30歳頃数年勉強しておりました。結果は私の努力不足で不本意な結果でした。 高校卒業時は、国立大医学部を目指しておりましたが、結局センター試験が全く届かず、国立大医学部は断念しました。私立大医学部は偏差値的には問題はなかったと思います。経済的にも実は十分可能だったのですが、ネックだったのは、私の父でした。父は、旧帝大出身で、個人で事業をやっており、当時は、相当の高収入があったと思います(一般の開業医以上はあったと思います)。 しかし、長男の私には学歴には特に厳しく、医学部に行くなら、自分の母校の旧帝大に行け、と要求、一般の国立大医学部受験ですらなかなか許してもらえませんでした。ましてや私立の医学部など金で医者になるようなものだ、といわんばかり、国立大医学部にいけないのなら、自分(父)の事業を継げ、ということでした。古風な父は、自分の息子、それも長男が私立の医学部に行くというのは、プライドが許さなかったようです。税金を沢山納めていたこともあったかもしれません。 他方、私の弟は多額の学費を出してもらい、私立の医歯系学部に行き、現在開業医をしています。(その弟は、高校2年までは、「将来、映画監督になりたい」などと言っていたのですが) 結局、高校卒業後、いちどは医学部を断念、妥協して入った理工学部中退を経て、文転しました。そして大学卒業後、父の事業も継がず、幼稚なプライドから別の専門職を目指し、国のテストを経て(ここでまた受験浪人をする)、監査法人という事務所(会計事務所の一種)に入りました。 正式に仕事上のライセンスをもらう頃、私は30を過ぎてました。それまでに、せっかく実務の勉強をしてきたのですが、やはり医学部のことは頭から離れませんでした。そこで、もう一度チャレンジしますが結果は以前と同じでした。その後、元の職場に復帰し、事務所のパートナーのオファーまでいただいたのですが結局辞退し、事務所を離脱しました。 私が30後半になるころ、父は持病が悪化、父の経営している事業が大きく傾きはじめ、事業を継続するのかそうでないのか、との問題が顕在化してきました。もともと私は、父の事業を継がず、別の道に進んでいたので、もはや父の事業に関与すべきではなかったのですが、人生のリセットをしたい、との思いや、家業の承継は長男である自分の勤めと信じ、父の起こした事業の再建に自分の人生の後半をかけてみようと思うようになりました。このときは医学部のことは全くといってよいほど考えておりませんでした。 結局父は他界、私の貯金は、事業再建に使い果たしましたが、事業は何とか立ち直り、収益は昔ほどではないにせよ、生活ができるくらいには回復しました。 しかし、その後、経営方針の違いや事業の承継をめぐり他の親族と対立、結局、新参者の私が事業経営から離れることになりました。このときばかりは自分の幼稚さを思い知らされました。 人生が振り出しに戻った私は、過去の経験を生かし、少しでも社会に役に立てればと思い、現在、自分の事務所開設準備へと至っております(年齢的にも他にあまり選択肢がないのです)。 しかし、内面では「少年の夢」「青年の希望」は生きており、これまた精神が幼稚とわかっていても、色々と模索してしまうのです。振り出しに戻ってしまったから尚更です。 幸いにも生活には困らない環境になっており、さらにいえば、父が残していった不動産を売却すれば、私立大医学部にいけるかも、と見果てぬ夢を追い求めてしまうのであります。 乱雑な長文をお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

みんなの回答

  • ann-betta
  • ベストアンサー率24% (53/217)
回答No.8

NO.6の再投稿です。 ご丁寧なお礼ありがとうございます。 お礼の中に私が私立反対派どうか、と言うことが記されてあり、 気になりましたので、補足させていただきます。 これは私の考え方ですが、基本的に国立でも私立でも本人に真剣に学ぶ気があれば、 どちらでも構わないのではないか、と思っています。 なぜならば、当初、医学部としては3流の大学に通っていた私に(大学の名の頭文字はKです) そんなレベルの低いところを出たって何もならない、お医者さんごっこでもしたいの? と言って周りから笑われていましたが、 数年前に適性テストを受け、更に面接時に論文を提出したときに、 やはり、キチンと学んだことは自分の身についているのだ、ということを痛感しました。 その後、会社で働き続け色々な新しい案件に携わる度に 「ああ、当時は勉強不足だったんだ、だから、私立しか行けなかったのだ」 と感じるのと同時に、やはり、3流の大学でもあのとき、真剣に学んだことは しっかりと役だっている、痛感させられています。 もしも、これらの知識や経験もなく、ただ大学を出て結婚をし、 離婚をし再就職していたら、自分の人生はどうなっていたのだろう? とつくづくと考えさせられる次第です。 ですので、トップクラスではないけれど、真剣に学ぶことがどれだけ 大切なことか、今、改めて感じているところです。 正直なところ、医者にはならなくても更なる知識が欲しいと感じている今私は、 再受験を考えている次第です。 やはり、学ぶことは楽しいので。 また冷静に国立に行く人間と私立に行く人間の違いを考えたこともあるのですが、 やはり、考え方の「甘さ」の違いにあるな、と感じました。 国立に行ける人と言うのは、やはり、熱意が違うのですね。 正直、頭脳レベルは、あるラインにおいては一緒だと私は思っています。 でも、何かを成し遂げようとか、真剣に学びたいと言う気持ちが強いと、 人間は形振り構わず挑む習性があるので、その辺なのではないだろうか、 と観察してる次第です。 最後に周りの私立反対派の方たちですが、 本当にその人のことを思うのならば何かしら手を差し伸べるべきですよね。 私だったら自分の子供に「OOへ行かないと駄目」と言う以前に充分がお手本になり、 誘導してみます。 ただ「OOじゃないと駄目」っていうのは、その人の価値観であり、 相手の人間には簡単には通用しない、ということ。 私の例でいえば、短大しか出ていない親戚の叔母たちが、 国立でのエリートと結婚しない、と駄目って言っているようなモノですよね。 今となっては、人にあれこれと言う以前に自分たちが国立を受けてみてば? と内心思っている次第です。 あまり気にせず、黙々とやっていったもの勝ちだと私は思っています。 頑張ってくださいね。

patcpa
質問者

お礼

再投稿していただき、誠にありがとうございます。 国立・私立について、貴重なお考えを聞かせていただき、とても勉強になります。 ただ、どちらの「K」であれ、大学医学部で学べる機会があった貴方様がうらやましいのが正直なところです。 私の(私立医歯系に行った)弟などは、「金を出してもらったオレの勝ちだ」などと言っていました。 昔、妥協して選んだ別の仕事(会計監査)で、偶然、某私大医学部や付属病院等(それも弟が行ってた大学)を担当させられたときは、とても悲しかったですが、それも結局は私の心構えが甘かったのでしょう。 色々とお世話になりました。 今後の一層のご発展、ご活躍を期待しております。

  • posm
  • ベストアンサー率66% (4/6)
回答No.7

>私は子どもの頃から医者になりたく、 ・何故、質問者さんは医者になりたかったのですか? ・その理由は「医者になる事」以外では満たせませんか? もし上記理由が「医者になる事でしか満たせない」のであれば、今からでもやるべきだと思います。 ※時にはそれにより失うものもあるでしょうが、それは質問者さんの取捨選択です。(その際に天秤にかけるモノは、質問者さん自身にしか判りません。) もし上記の理由が「医者にならなくても満たす事ができる」なら、それも選択肢に入れて再検討(天秤)かと思います。 仮に、選択の結果が期待通りでは無かったとしても、無駄では無いと思います。 将来、質問者さんの大切な人(お子さん等)が同じ悩みを持った時、非常に真実味のあるアドバイスやサポートができると思います。

patcpa
質問者

お礼

私の長文を読んでいただき、また、コメントをいただきましたこと 御礼申し上げます。 >何故、質問者さんは医者になりたかったのですか? この問いは本質的には難しく(批判を覚悟で申し上げると)厳密には「分からない」というのが正直な答えです(ここだけの回答になりますが)。「この手で命を助けたい」「生命の神秘を学びたい」等々出てまいりますが、ではなぜ「 」したいの?と問われると、あとは職業上の価値観・使命感や強い興味ですね。これらが出てくる具体的なきっかけ、ならある程度説明可能かと思われますが、、、過去自分が病気をしたとか、高齢化社会が心配でこの手で何とかしたい、etc ですので(面接用の回答ではないですが)自分に自然に課せられたもうひとつの責務、とでも申しておきます。 >「医者になる事」以外では満たせませんか? ということで「以外」でしたらこれまでの仕事で十分社会貢献可能と考えますので、他に転身はないですね。 あまり適切でない回答、お礼になってしまいましたが、このように第三者様にコメントをしていただけると、あらためて、自分自身のことがより分かったり、気持ちを切り替えるのに役立ったりと大変助かっております。 現時点で確定的なことは、まだ申し上げられませんし、未熟さから分からない事だらけですが、いづれにしても社会や人々のために学び前進するのは素晴らしいことと信じています。 このたびのコメント誠にありがとうございました。

  • ann-betta
  • ベストアンサー率24% (53/217)
回答No.6

女性ですが、私の状況と少し似ていたので思わず 回答させていただきたくなりました。 私は若かった頃、医大に通っていました。 父の実家の方が相当の資産家であり、 また母の家計も由緒正しい家柄だったので、いわゆる、国立系の良い学校や 私立の六大でもない限り、その辺の学校を出たからって何もならないと言う考えだったため、 当時、3流の某私立大の医学部に通っていた私のことを周りは白い目で見ていました。 女の子は高学歴の男性と結婚をし家庭に収まれば丸く行くモノと言う考え方が強く、 朝から昼まで、御洒落もせずガリガリと勉強ばかりしていた私は、 周囲から変人扱いされていました。 丁度、25歳で院のほうへ進もうとしていたとき、 お見合いの話が持ち上がったのですが、あまりにも突然の話であった事と、 どうしても、自分には医者になりたいという夢があったので、 その話はお断りしたのですが、どうやら、その時、私にとっては婚期だったらしく、 その時、偶然に目の前に表れた別の人間と縁があったらしく、結婚することになりました。 相手は私より7歳上で下ので経済的にもしっかりとしていたので、 自分の夢を話しすると「結婚してから院に通えばいいじゃない」と 理解を示してくれたりと、一石二鳥だと思った私は親の反対を押し切って彼と結婚をしましたが、 結局、結婚前の約束を守ってくれることはなく、 残念ながら、専業主婦へ収まってしまいました。 そして、ここからが私の地獄の始まりでした。 家族親戚および結婚相手に「やはり、道を間違えたからもう一度院に行く準備を始めたい、 と言うことを告げたのですが、誰も見向きもしてくれませんでした。 本当に私が生き甲斐を持って約8年間、勉強してきたことなど理解する素振りもなかったし、 挙句の果てに人から用意されたレールの上を歩くことがこんなに苦しいことだと 感じることは本当にありませんでした。 女性らしい会話も苦手な上に、ある意味、主人のことを嘘つきだと思っていた私は、 主人に優しい態度も取れなくなっていましたし、その私の態度のせいで、 家庭の中は面白くない空気が流れていました。 周りからも「あんなに大切にされているのに馬鹿じゃない?」と白い目で見られていましたし、 本当に四面楚歌というかんじでどうにもならない時期が続きました。 結局、7年間の結婚生活で得たモノは30キロオーバーの体重と、 顔も見たくなくなってしまった主人の存在と冷ややかな周りの眼だけでした。 しかし、丁度、30歳の時に知り合ったお医者様と友達になり、 交流するようになったことがキッカケで、 その方から「人生たった一度だから自分を信じてゼロからやり直してご覧」と言われたことを機に、 主人と離婚をして再出発することにしました。 最初の2~3年は離婚することをなかなか認めてもらえず(主人と両方の親から) かなり四苦八苦しました。 しかし、それでもあきらめたくなかったので、先ずは物理的に一人になろうと決め、 東京近郊の他府県に移り一人でアパートを借りて生活をし始めました。 最初は先ずは経済的自立をと思いアルバイトをと思いましたが、 自分の履歴書を面接に持って行くと医大に通っていたと言う形跡と、 その後、就職もせず結婚をしてしまっていたため職歴がない、ということで就職も難しく、 それでは、スーパーのパートなどなら大丈夫だと思い面接などに行くと 「舐めているのか?」などと言われ追いだされてしまったりで本当に辛い思いをしました。 それでも諦めずにずっと雇ってくれる場所を探しながら学校に通ったり、 しばらく生活が苦しかった時期は、友達と会ったりすることや御洒落なども一切控えて、 学校と家の往復だけの日々が3年近く続いたときもありましたが、 33歳の時にアンラッキーなことに途中で具合が悪くなってしまい、 嫌々ながらも実家で生活することになってしまいました。 幸いに病んだ私の姿を見た両親は「そんなに嫌なのなら離婚しなさい」と最終的に 言ってくれたので彼らの力沿いをえて無事主人と離婚することだけは出来ました。 その後、約2年間くらい家にいましたが、やはり気持ち的に何もしないことが苦しく、 就職を考えたり色々としていましたが、私の姿を見る度に親は、 「なぜ、そんなに高望みをするの‐あなたの言っていることは単なる我ままであり、 現実的ではない」と言って見向きもしてくれませんでした。 しかし、病気の方も回復しふと落ち着いたときに30代前半の頃に知り合った、 例の友達づきあいのある医者のことを思い出し彼に相談すると、 医療系の人材派遣がやっている適性テストを受けることをと薦めてくれたので、 その適性テストを受けてみることにしました。 すると私の中で未だに過去に学んだことがキチンと生きていることが分かり、 そこから、医療関係の器具を取り扱う会社に就職することになりました。 周り(親、親戚など)は、この時初めて、 私が本当に3流の大学でも医学部に居たことが分ったようでしたし、 それこそ、本当に好きで医療の道へ行こうとしていたことも理解できたようです。 特にここ過去5年くらい就職難が続いていたりリストラも流行っているため、 このご時世で、しかもある程度年齢がいっているのに、 と皆、あいた口がふさがらなかったようですが、この事を機に やはり、自分のことは自分でしっかりと見極めるべきだったと言うことを痛感させられました。 私の場合、本当に遠回りをしてしまいましたが、 でも、結果的にこれで良かったのだと思っています。 ただ一つだけ言えることは、妥協して選んだ他の道というものは、 やはり、その人間に相応しくないために 上手く行かせようと、あらゆる手を尽くし、どんなに努力をしても、 やはり、いつか自分の手のうちから離れて行ってしまうものだ、と言うことが良く解りました。 今から、私がなりたかった分野での医者になることは物理的に無理だと私は思っていますが、 でも、ワンランク落としたところであれば医療に携わる仕事に就き続けることが可能だと分ったので、 そちら方面で努力を重ねて行こう、と思っています。 長文になりましたが、質問者様は夢を追うためにどれだけの努力を重ねて来ましたか? 本当に一心不乱になり、その道に進むための努力をしてきたのであれば、 自ずと道は開かれていくはずです。 >私立大医学部にいけるかも、と見果てぬ夢を追い求めてしまうのであります。 ここまで書いておいてなんですが、 正直、今の時点で↑このようなことを考えてしまうのは夢です。 でも、夢を夢で終わらせないためには、こうしてここで質問をしている間さえも、 夢に向かう準備を続けなければなりません。 そして自分自身ために医者になりたい、という夢をお持ちなのか? それとも社会的に貢献できる人間になりたくて医者になりたいのかでは、 全くベクトルが違ってくると思いますので、今一度、良く考えてみてください。 今から、約6年~8年。 その先に自分が活躍している姿が明確に見えるのであれば、 一からやり直して学生になることをお勧めします。 考えているうちに時間は逃げて行ってしまうので、 ここはあまり深く考えずに行動あるのみです。 ご健勝、お祈り申し上げます。

patcpa
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。 まずは、私の乱雑な文章をお読みいただき、そしてこのような熱意に溢れたご回答を頂戴しましたこと 御礼申し上げます。 見ず知らずの私に、ご自身の辛い体験談まで記してくださいまして誠に恐縮です。 読ませていただいて、私の覚悟がまだ甘いと痛感させられる次第です。 恥ずかしながら、私がかつて後進達に言っていたことを言われてしまった、との思いです。おっしゃるとおりです。 あと、貴方様の文面の内容で気になるところがあったのですが、今回は私は質問者の立場ですので、私からのコメントは控えますが、貴方様は、私立大学を否定されている訳はないのですね。 こうして第三者様のコメントを頂戴し、それを通じて考えたり、自分なりに反応したりすることで、気持ちの整理をつけたり漠然としていたものが見えてきたりと、本当に助かりました。 貴方様におかれましても、ご健康とご活躍をお祈りしております。 このたびは誠にありがとうございました。

noname#203203
noname#203203
回答No.5

試験を受けて、合格、不合格でその後を考えれば良いのでは。 夢を追うなんて、やっかみから馬鹿な奴と思うし、出来る環境に あるのが羨ましいと思いますよ。 多くの人は思いを秘めたまま、流されるのですから。

patcpa
質問者

お礼

貴重なお言葉、まずは御礼申し上げます。 >試験を受けて、合格、不合格でその後を考えれば良いのでは。   再受験生と呼ばれる人たちにとって、実はそこが問題です。   近年国立は、事実上の年齢規制(制限?)を設けているようですし、   一部の私立はかなり入試は公正(?)になってきているものの、偏差値は   ほとんど国立並みのようです。 それでも、自分は贅沢な環境にいることは自覚しております。 ありがとうございました。

noname#159989
noname#159989
回答No.4

お名前を忘れてしまいましたが昔、教員から40代で医師を目指し50代でその夢を実現、70代まで医師を続けたという実話がありました。 たしか産婦人科医になられた方の話です。 時代が違うとは思いますが、そういう例は昔はわりとあったようです。 医師といえば何もドラマに出てくるような大病院の天才的外科医とかばかりじゃないわけですよね。 あなたが目指すのがどんな医療かにもよるのではないでしょうか。 周りからは変わり者扱いされると思いますし、平たんな道ではないでしょうけど、それがあなた自身が幸せになれる道なら目指す価値は十分にあるのではないですか? 幸いにも叶えることが可能な状況におられるのですから。 ただし、あなたの人生に誰も責任はとれません。

patcpa
質問者

お礼

貴重なお話、コメントいただきましてありがとうございます。 >あなたが目指すのがどんな医療かにもよるのではないでしょうか。   現在は、普通の町医者になれたら、と思います。市民の方々に気軽に来ていただけるような   特殊なこと(例えば発展途上国に行く、とか)は考えておりません。 この年齢までくれば、周囲の目や世間体などは超越できます。 ただし、実現可能か否か(現実)は、他の方がおっしゃっておられるように 厳しいものあるのも事実です。 慎重さと思い切った行動のバランスが必要と考えております。 ありがとうございました。

  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2315)
回答No.3

40過ぎの会社員です。 正直、「叶わなかった夢」だから、心のどこかに残り続けているという気がします。村下孝蔵氏の歌のように「浅い夢だから胸を離れない」というのが事実ではありませんか? 本当に夢に見続けていたこと、好きであり続けたことなら、なんらかの形で続けていますから、「あらためて再チャレンジ」という気分にナはならないと思います。 質問者さまのケースでなら、「私立大医学部に合格する」ことは難しくないでしょう。でも、その後は? 医者として独り立ちが可能なのかという問題は、まったくの別物。30代でさえ医学部合格もできなかったのに、40代になってから、医学部の学問についていけるとは思えません。 「努力不足」と書いておられますが、30代と40代では、理解力や暗記力の衰え方がまるで違いますよね。30代の頃の倍は努力しないと無理な話になります。 今のご家族のことをお書きではありませんが、責任を持つべき妻子がなく、わが身ひとつのことはなんとかなる、という環境なのでしたら、再チャレンジも有でしょう。 先に書いたように難しいと思いますが、人間、やってやれないことはないとも思います。

patcpa
質問者

お礼

長文をお読みいただいた上、ご回答いただきまして ありがとうございました。 おっしゃるとおり、記憶力の低下、更には体力の低下は嫌でも自覚がでております。 大変なのは、弟がそっちの道なのでよく存じております。 周囲の環境は問題ないので、現在はすべて自分次第です。 第三者の貴重なお言葉をいただきまして あらためて御礼申し上げます。

  • OKB-48
  • ベストアンサー率24% (12/50)
回答No.2

人生は一度切り ぜひとも後悔のない道を選択して頂きたい!

patcpa
質問者

お礼

乱雑な長文をお読みいただき、 そしてご回答いただきまして ありがとうございました。

  • cowstep
  • ベストアンサー率36% (756/2081)
回答No.1

一度しかない人生ですから、悔いの残らないよう、自分がやりたいことは、家族の負担にならない範囲で、何でもすべきだと思います。私も、定年退職後に、長年の夢を果たすべく、開業してライフワーク 精励しています。お互いに頑張りましょう。

patcpa
質問者

お礼

早速、回答いただきましてありがとうございます。 目標があれば、今現在も充実してきますね。 夢を果たすにも健康が第一と考えております。 貴方様もご自愛ください。

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