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人生でムダだったと思う時のことを教えてください
- 人生でムダだったと思う時の経験や状況について教えていただけますか?
- 自分の将来を決めることに迷いや不安を感じる大学生の悩みについて教えてください。
- 他の人の暗黒時代を知り、自分の現状に安心感を得たいという気持ちについてお話しいただけますか?
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質問者が選んだベストアンサー
私の暗黒時代はですね。 20歳くらいの時に、どうにもこうにも学校に行けなくなった事がありました。 私は田舎から、都会のかなりデカイ規模の学校に入ったわけですが、 都会のて痛い洗礼を受けたんですう。「ありがとうが言えない」と言われてね。 クラスメイトに。私の出身の地方では「どうも」が「ありがとう」の意味でもあるんすわ。 それを指摘され「もう友達でいたくない」とか何とか言われ、ショックでした。 自宅に引きこもり、お菓子三昧、漫画三昧、音楽三昧の日々を過ごし、10Kg太り、吹き出物に悩み、 1年、学校を留年してしまいました。 今にして思えば、下らない理由なんですけど、ど田舎から出て来て、当時はその クラスメイトの言葉がかなり、ショックで。他人に言われた事じゃなく、そういった、他人の不快感に 気付けない自分が恥ずかしかったです。 それから、何とかまた1年間、同じ学年を過ごし、学校は卒業しました。 学校を留年した事も言えるようになったのは、最近です。恥ずかしくて、恥ずかしくて。 今、私は41歳ですけど、その時の経験が何に生きているのか、というと。 そうは言っても、学校は卒業した!!という事実ですよね。ちゃんと履歴書に書ける。自分の学歴です。 もうね、当時は、学校もどうして通っているのか、良く分からず、通ってました。 何となく、何となく、授業も聞いているんだか、聞いてないんだか。テスト勉強も一夜漬けでやってね。 出席日数を数え数え、休み休み。そんな感じでした。 でもまあ、履歴書に書ける、学校があって良かった。と今は素直に思います。 モチベーションもですね、幸いにして今も、働く事、生活する事に関しては、我ながら高い、と自画自賛 しております。 でもなあ、あなたもそんなに不安なのかしら?どう?正直、言ってみて。 私も、暗黒時代あるけど、あの当時の事を思い出すに、ぜんぜん不安じゃなかったなあ。 だって、そうは言っても、あなたを守ってくれる人たちいるんじゃないかしら。 それは親だったり、友達だったり、学校の先生だったり。行き付けのお店の店員さんだったり、 大家さんだったり、親戚だったり。 色々、人それぞれあるけど、あなたを見守ってくれる人たちいるでしょ。 結局、若い頃は、自分が意識していなくても、皆それぞれ、色んな人たちの羽の下で、 自分が生活している事に気付くはず。 もっと、大人に、もっと年を取ったら、そうした事をしてくれる人たちが、一人欠け、二人欠け、 自分自身が自分自身で、気持ちを奮い立たせ、生活していかなくちゃいけない事に、嫌でも 気付くよ。 私があの頃から、20年経って思うのは、そうした事だけだなあ。やっぱり、あの頃は良かったなあ、 ってね。馬鹿な事や、愚かな事をしても、誰も話題にしない、自分がすごくフリーだった事が凄く 楽しかった。 お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん。ありがとう!!とね。 そうした事に、君が気付くのはいつだろう、って思います。 君が感じているのは、虚無感じゃなく、充実感なんだ、って事にです。 君がそうした事に気付くのが、どうか20年後じゃなく、5年後くらいだったら良いな。 そうしたら、君はすんばらしい人生を送るような気がしました。 て、ゆうか真面目な人だね~。今の50才代前半のオジサンたちに、爪のアカをあげなちゃい!!
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実に頭の良い方ですね。 質問を拝見してそう思いました。 完璧思考。。。ご自分でも理解されている通り、常に自分の行動、考えに筋を通していたい、納得していたいのだろうと思います。 その考え自体、大変立派なものだと思いますよ。 長い人生の中では、現在の仮面浪人中の途中経過も、それで出た結果も、全て「途中経過」である事には変わりありません。 あなたはそれに気付いていますでしょうか? 今までの人生の中で、その一つ一つの結果を見れば、成功した事も失敗した事もたくさんあり、その結果次第で無駄だったかそうでなかったか、を判断する事自体、愚かな事でもあります。 自分自身の人生、自分自身の事でありながらも、実はその大半が他人の目を意識した上での判断である事も多々ありますしね。 質問を拝見して思った事は、あなたはけっこうプライドの高い人ではないか?という事です。 そういう人が、どんなに他人の暗黒時代を拝見し、そこまで自分を落とした所で、その場の一時しのぎにはなっても、本当の意味での安心感を得る事はきっと無いだろうと思います。 >しかし、そうは思いつつも、自分の人生全てがムダだったと思いはしません。 あの時の自分の経験が、今の自分のためになってると分かっています。 まあ、自画自賛かもしれませんが・・・ 要はそこですよね。 自画自賛。。。言葉で表現するにはあまりに単純。 そして、それは言い方を変えれば、自己満足に等しいものです。 でも、結局辿り着くのはそこだと思うんですよ。 「自分の選んだ道だ」「自分で決めた事だ」 どんなに納得して決めたはずの事であっても、それを知っているのは「自分だけ」です。 それは、とても孤独な事で、とても惨めな事でもあるのです。 人知れず、その気持ちを維持して行くのはとても困難な事であるのです。 あなたは、あなたの決めた道、あなた自身が選んだ選択を、心のどこかで誰かに認めて欲しいのではないですかね? だから、モチベーションが上がらないのではないでしょうか? 自分の人生を周りに認めてもらおうとすれば、周りは必然と結果を求めるでしょうし、その結果がまだ出ない現在進行形である状態では、余計にもどかしい心境にはなるでしょう。 あなたの言う通り、人生の経験で無駄な事など一つもありません。 どんなに他人から見て無駄に見える事でも、それを生かすも殺すも自分次第であるのですから。 それを見栄っ張りや負け惜しみとは言いませんし、例え自己満足の世界だと言われても、それはそれで良いと自分自身は思っています。 やる気がない、自信がない、と思うのであれば、方向変換する事も出来るんです。 それをしようとしない、出来ないからと言って、無駄な事、意味が無い事とは簡単にはなりませんよ(笑 迷う事も、後退する事も、時には必要な事もあるのです。 きっかけは、自分自身で作って下さい。 回答中に独断で決め付けてしまった部分もあるかと思いますが、違った場合はスルーして下さい。 頑張って下さいね。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 バカな話ですけど、褒めていただいて嬉しかったです。 プライドが高い。。。って言うのはあります。 自尊心の強い母親の背中を見て育ちましたので。こうやって性格を母親に押し付けてる時点でアレなんですけどね・・・ プライドが高いから、口論にしてもなかなか非を認めることが出来ていません。 例え自分に非はあろうと、それを棚に上げて、相手の非ばかり攻める。 そうやって相手を負かすことに盲従してて、自分が負けることが怖いのでしょう。 だから今の現状において、自分が負け組になる。とか言うのが辛かった。 でも本当にダメだったのは、そんな「失敗」とか言って、逃げ口上にしてる自分だったと思います。 「やる」とか「やらない」とかではなく、「失敗」しそうだからと、それに取り組めなくなってしまっていました。 自分の「やれない」精神面の弱さを、「失敗」に置き換えてた気もします。 失敗だとか成功だとかじゃなくて、「やる」人間は構わなくてもやるし、「やらない」人間は何を言ってもやらない。 多感な時期とは言え、そんなところでウロウロしてたような気もします。 相談に乗って頂き、ありがとうございました。 取り敢えず、今は大丈夫です。 また辛くなったり、不満が溜まったら、どこかで質問してるかもしれません。 ご回答頂き、本当にありがとうございました。
- donndoko-dondon
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小学校で中学受験を目指して塾に行かされて、 行きたくもない私立の女子校に入って、そこでは成績と外見で人間の価値が決まって。 必死で勉強して親の希望する大学に入ったけどぜんぜんモテなくて・・・。 大学出て就職したらバブルが崩壊してリストラされて・・・ 親の勧めでお見合いしたけどうまくいかず・・・・ それらすべてが全部ムダ! じゃあ、どうすべきだったのか。 親なら、自分の理想を押し付けるのではなく、自分の子供を社会に売り込むにはどうすればいいのか、ということを教えるべきだと思う。 ビジネスマンなら、「子供の個性を売ること」を考えなきゃいけないのに、 それを忘れてる。 無駄な人生を経験してわかった。 世の中では、自分をうまく売り込める人が勝つ。 自分がやりたいことをやってたんじゃダメなんだよ。 今の世の中で何が求められてるのか、だから何をすべきなのか、 それを感じ取って真っ先に行動できる人が成功する。 私はそう思ったけど。
今までパートを含めると何社か勤めましたけど、 前職場の2年半、人生の無駄でした。 仕事をやったふりするずる賢く、馬鹿が集まったような会社だった。 なのでまともな人は1,2年で辞めていく。 何年も真面目にやってるとバカを見るって心底思った、あの会社を辞める頃に。 なんせひどい会社でした。 でも現職場に数年勤めて、やっぱりあの会社が異常だったんだってはっきりわかった。 本当に時間の無駄で、嫌な思いだけが残った会社でした。もっと早く辞めればよかったと ホント後悔してます。
大学出たけど希望の会社に就職できなかった。 勉強したけど無駄だったと思った。 まあ、自分は失敗して夢もかなわなかった人間だけど。 あなたのモチベーションあげるためにここに書き込んでるわけじゃないから。 どうにもならない状態になる前に 思い切って見切りをつけた自分に 「えらかった」と思ってるよ。
- advanced7
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山梨県の10年間と自衛隊の3年。 山梨県は、寒いだけ。
精神力が続くのは、 「きついけれど一歩ずつ目標に近づいている・・・」 という実感があるから。 その実感を得るためには何をするか、それは徹底的なリサーチです。 あなたの目指す道は、遠回りしても受け入れてもらえるものなのか。 たとえば、医者になりたいなら大学に入りなおさねばなりませんが、 国立大でも親の援助は必要。 教科書をそろえるだけでも何十万とかかります。 大学に入って6年間、バイトと実習に追われる日々。 それが本当にできるのか? 大学を出たはいいけど、資格をとったはいいけど、 結局、就職先がなくて使えなかった・・・という人たちは山ほどいます。 みんな自分の調査不足を後悔しながら、 勢いとやる気だけでは社会に通用しないことを学ぶ。 そして、全てを投げだしたくなる度に、 「人生に無駄なことなんてない」 と言い聞かせて何とか生きている。 なので。 結局、ダメだった、諦めた、・・・でも、そこから立ち直る方法はありますか? と聞かれたら「ある」と答えます。 しかし、目標のためにがんばってるけど精神的にきついです、 というのであれば、仕事も大学も、80パーセントの実力でできることを選ぶべき。 100パーセント、あるいは120パーセント出し切らなければ続かないことは、結局続けられません。
ご自分なりに熟慮され選択され今を過ごしている状況、わかりました。 不安なのも仕方ないですね。 私は、高校選択を間違えたのが無駄だった、と思ってきました。 後になれば人生に無駄などなく、それなりに得るものがあったし、何であれそこを通ったから今があるとは思っています。 けれど別の高校にさえ行っていれば、という思いは強く持ってきました。 とある大学附属の高校へ行ったのですが、結局その大学に行きたい学部がなく、結果的に進路にとても不利でした。 それだけならまだしも昔の話で、とても封建的な高校だったのです。 生徒会さえ存在せず生徒の自由や個性を認めない校風でした。 まさに灰色の3年間。 それでもめげずに外部受験をしたのですが準備が間に合いませんでした。 また、今では考えられない事ですが第一志望の大学と第二志望の大学の受験日が重なっていました。 第二志望の方は合格する自信がありましたがそこはやはり無理とわかっていても第一志望を受けたのです。 結果は想像通り。第一志望には不合格。結局どちらにも行けない結果に。 そこで妥協して第二志望に行っていればまた違う人生があっただろうにと思います。 経済的に浪人は許されず専門学校に行きました。 未だに大学に行けなかった後悔は正直残っています。 けれどそれをカバーして余りある結果として、人生を左右するような出会いがいくつもありました。 その時出会った人達がいるから今の私があります。 もちろん大学へ行けてれば別の出会いもあったでしょうが、今となっては唯一無二の出会いと感じています。 そして、自分の高校選びの失敗は娘の高校選びに活かされました。 娘は自分の希望に添う高校に入学し、私が経験できなかったような大変に有意義な学校生活を送り、まっすぐに希望する進路、大学へ進もうとしています。 ちなみに私の志望していた大学です。親バカかも知れませんが受かると思います。 別に子供に為し得なかった夢を託したつもりはないのですが、自然にそうなりました。 昔の私よりもずっと強い意志と信念を持って娘は自分の道を切り開こうとしています。 娘が羨ましくもあり、親としてこれ以上の喜びはありません。 経済的なことはどうしようもないという事はありますね。 でも若いうちの苦労は買ってでもしろと言うように、ギリギリに追い込まれる経験ができるのも今のうちです。 つらければつらいほど、それを乗り越えた時の充足感と自信は大きく、何よりの財産になりますよ。 自分の信念を貫こうとしているあなたが、また私には羨ましい。 結局は私の後悔なんて、それに値するほどのものでもなかったのかも、と思います。 人生に無駄はありません。どんな経験も肥やしになります。 あり体な言い方ですが、これは本当です。 逆境でどれだけ力を振り絞れるかで人生が180度も変わりますよ。 どうか負けずに踏ん張ってください。
お礼
虚無感を充実感と置き換えられたのにビックリしました。 しかしながら、よくよく考えると、私はいろいろと恵まれてるでしょう。 他の人と比べるものではないでしょうが、自分独りだけ不幸に浸ってる気がして、悲劇の主人公に自己陶酔していました。 そんな余裕があるから、充実してるのに気付きもせずに・・・ こんなに余裕があるのに、「失敗」という言葉を使って目を反らしたり、体の良い言い訳をしたり、 他の人の不幸話を聞いて、自分のストレスを発散させようとしてただけでした。 こんなに充実出来る環境を擁護して貰っているのに、まだそれを希望するなんておかしな話ですよね。 自覚が無かったのも、恥ずかしいです。 ご回答頂き、ありがとうございました。 バランスを取るのに躍起で前に進めないなんて、自転車みたいですね。 そして進めないのは、バランスを取ることばかり考え、後ろや下ばかり見て、前を見て無かったから。 バランスなんて進みながらでも取れるものですし、転ぶくらいの覚悟で、しっかり目標見据えて進んでみようと思います。 相談乗って頂き、誠にありがとうございます。