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多神教な神社
割りと、敷地が広い神社があり、いろいろなイベントをされています。 先日イベントの時は、インドをメインにした、ダンスや古典音楽が披露されてました。別館の舞台会場内には、キリストの絵が真ん前に飾られてあり、変に思いました。境内の御参りする本尊の横には、生長の家のパンフレットがありました。 インドのイベントはチャリティーとして全額寄付するから、許可されたそうです。この神社は、その他お見合いパーティーや日舞、絵画教室など、多彩です。 でも、生長の家は神社とどのように関係しますか? 神主が変わってるのか、シンセサイザー使って、現代音楽をアレンジしてました。 神社は、他のとこより、なんとなく殺風景で、緑も少ない感じです。イベントが無ければ、確かに人はあまり来ないような雰囲気です。
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realmyloveさん、こんにちは >多神教な神社? realmyloveさん御住まいの近くに在る(?)「多神教」な神社、今に始まった訳では在りません、多神教を語る時に決まって引き合いに出されるのが http://www.pmiyazaki.com/takachiho/amenoiwato.htm 霊峰「阿蘇」の御怒り(大噴火)で、天照(あまてらす)=太陽が御隠れに成った、世は正に暗雲の暗闇の中、困った八百万(八百万)の神々が結束し、天安河原(あまのやすがわら)で宴会(?)を開き天照を救い出した、阿蘇の御怒りも解け、世に再び安寧が戻った........(一応、御面倒でも上記URL御一読されたし、特に真ん中辺り) 元々、日の本、日本は当初より、或る意味好い加減な、物事を全てを丸呑みしてしまう(八百万の神々も含む)、そんな処から出発してしまったのでしょうか?好く対比されるのが「一神教」、此れも言い出したら切りが在りませんので、今回は割愛しましょう。 成長の家の件にしましても、神(西洋、東洋問わず)のみならず仏とも融合するに何等恥じらいも無かったのでしょう、そんな国日本、御質問中の記述も申し訳御座位ませんが私には「特別な物」とも思えませんでした、実際、宗教法人は多角経営をするに何等規制は在りません(但し公序良俗の範囲内)し、納税も多々在るようですねhttp://www.sakamoto-office.net/zeikin.html 今般の長期不況の折、宗教法人も「彼(あ)の手、此の手」で急場を凌ぐ、恥も外聞も在りませんって処でしょうか? 神主は屹度(きっと)必死なんですよ、寄付金、喜捨金、お布施等の「非」課税日銭(ひぜに)=特定収入がバブルの頃の様にガッポガッポとゆう、其んな御時世では無くなったんでしょうね。 因みに全国には、“休眠状態”に在る「宗教法人」、文化庁も正確な数字は多分把握出来て無いと思いますよ、http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/gaiyou.html ですから此の間隙を縫って、此んなニュースも http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY201101290388.html 御興味が在ればキーワード「休眠状態の宗教法人」等で御調べを。 最近では、http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/779.html 御記憶御座いましたか? 宗教法人ってトコトン美味しいんですね!?
- michael-m
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近年ではお寺でもメイド喫茶を開いたり、ジャズやロック、或いはシンセサイザーのコンサートを開いたりしていますからね。神社がやっていけないということは無いと思います。 また神道自体、一説にはその神様の中にも渡来系(海を渡ってきた)神様が多数居るとされいますし、鳥居や狛犬なども大陸の文化の影響を受けているので、懐の広い信仰だといえます。 生長の家の開祖は下は大本(教)に居て、その後別れていき、導きによって教えを起こしたということですし、大本は一応は教派神道という事なので、全く無縁というわけではありません。またその教えは「全ての宗教は一つに帰する」という考えなので、排他的な神社でなければ開催を受け入れる事はあるでしょうね。
お礼
なるほど