精神医学ではどう扱われるかですか?
精神医学では、投薬により症状が軽減されるベネフィットがある人間だけが通っており、お金を払う意味が無いと考える人間は別の分野に解決方法を見出していると思われます。
別の分野とは、例えば小説や詩に没頭し結果的に嫌な事を忘れたり、哲学をして思索により解決したり、スポーツをして汗を流して忘れたり、といった具合です。
戦争体験により長く電気をつけたままでしか寝られないというご老人の話を聞いたことがありますが、特にトラウマの治療は行っていなかったそうです。理由は服薬したくないという内容でした。
嫌な体験を忘れるために、毎日5KM以上歩いている体験談も聞いたことがあります。
デールカーネギーの「道は開ける」は名著ですが、神経症にならないためには忙しくしていろというルールが書かれていたと思います。毎日ジョギングをして思い出さなくなった例が書いてあったような気がします。
PTSDと名称はついていますが、アメリカでは戦争体験の人体実験の過程で研究されてきたので、現在でも半ば人体実験の粋を出ずに分からないことだらけです。将来学説が大きく変わる可能性もあります。
世界中で、紛争、戦争、犯罪、飢餓、人身売買.....PTSDのような状態になっている人間は数千万人~数億人存在すると思われます。全員が過呼吸や生活不能に陥っている訳ではなく、うまく適応して社会で頭角を表す例もあると考えられます。
どういう局面で人間が過去の出来事を忘れるのかは人によりますが、人生というものは特定の出来事によって傷ついた後の対応で認識が大きく歪んでいきます。人間の認識は、常に感情的で物事を偏って捉えていきます。
ですので、同一内容を経験しても個人により大きく結果は変わってきます。
結論としては、過去の出来事で精神科ができる事は、投薬を受けたい人間に投薬をする事だけです。
あまり過去に拘った姿を見せると、精神異常であると別の病気を指摘してくる可能性もありますので注意が必要です。
個人の傷ついた体験を話しても他人は冷たいです。本人以上に解決は難しいです。
日本政府も国家補償の金額の問題から日本軍従軍者を相応に扱わなかったようです。
精神科医がPTSD治療を扱うとすれば、(1)人体実験として臨床例報告に役立つから (2)投薬により儲かるから ではないでしょうか。面倒くさいと感じれば手をひいていくでしょう。
お礼
自分が病気だと言いたいわけではないです。 ただ、生活が出来ることは出来ますが、とらわれることなく生活したいというだけです。たとえば今は、一人で旅行したり、車を運転することは控えています。眠れないのも仕事に悪影響がありますし。間接的にも、細かいことでいろいろ出来ないことが多いです。 旅行しなくても、車にのらなくても、生活して仕事することは出来ますが、もっといろいろなことを楽しめたらいいと思うのです。 精神医学では、医者が判断することで病名がつきますが、それだけのことで何か変わるとは思ってませんし。病名にこだわろうという気もありません。 苦しんでいる人がたくさんいて、そのまま生活している人がたくさんいることは経験で分かっています。病院に行かなかったら病名がつかず、行けば病名がつく。それだけのことだと思っています。 病院にいけばどんな些細なことにも病名がつくし、行かなければ生死に関わることでも病名はつかない。 だから病気でも病気じゃなくても、そんなことはどうでもいいんです。 ただ精神医学では私のような人(日常生活は制限があるができる)に対してどんな対応をするのか知りたかったのです。 ありがとうございました。