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心療内科の過剰医療がなくならないのは
医療界の病気喧伝のせいでしょうか? 20年前は少なかった鬱病の診断枠を広げて、国民病と定義したこと。 躁鬱病に新しく双極性ii型を加えたこと。 発達障害を疾患に加えて投薬対象として教員・学校カウンセラーに注意喚起したこと。 それとも青少年の自己肯定飢餓感のあらわれでしょうか? 話を聴いてほしい。自分を丸ごと肯定して受け止めてくれる場所が欲しい。 病気になって家族に優しくされて、学校や会社から逃れ解放されたい。 自分の失敗を親の育て方のせいに責任転嫁したい。 どう思われますか? 過剰医療を行っている医療者が悪徳弁護士のターゲットになり訴訟に追い込まれるでしょうか? 自分を認めて欲しいと熱望している患者が破滅していくでしょうか? 日本の医療は世界的に過剰だからといった内容でも結構です。 ご意見をお聞かせください。
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>心療内科の過剰医療がなくならないのは 医療界の病気喧伝. というのは少し考えが急ぎすぎかと思います。 確かにうつ病や発達障害はかつては過小評価されてましたが、 研究が進んで分かってきた部分もあり、 過去の基準では済まされないものだと分かってきた面があります。 >話を聴いてほしい。自分を丸ごと肯定して受け止めてくれる場所が欲しい。 病気になって家族に優しくされて、学校や会社から逃れ解放されたい。 自分の失敗を親の育て方のせいに責任転嫁したい。 よく心の病のが原因を「弱い心」だと指摘される方がいます。 しかしそれだけが原因ではないでしょう。 ちょっと心が弱っている時、気軽に相談しずらいのが日本です。 家族ですら難しいのが現状。 すぐ「甘えるなガンバレ。負けるな!」と言っておしまい。 「泣き言を言うのは恥」「大人は我慢」って事を美徳にしますから。 これでは弱った者は病院へいきますね。 医師も大勢の患者一人一人に時間をさけないので、 安易にうつ病として薬に頼るケースも多い。 悪循環です。心療内科や医療界だけが悪いのではない。 投薬治療自体は重要な手段ですが、 それ以前の心のカウンセリング的なものが 気楽に出来る環境があって、その上で成り立つのものです。 それがない中で、 「心療内科の過剰医療」だというのはいささか性急です。 ただそこに便乗する悪徳医師・心療内科は追求すべきですよ。
お礼
様々な原因・事情をご回答いただき、ありがとうございます。自分の考えは単純な構図だったかもしれません。