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和解という決着
学者はたくさんの本を読み、自分の考えか人の考えか判らなくなることがあるでしょう。 そしてhttp://www.asahi.com/national/update/0819/TKY201108190353.htmlでの盗用報道の裁判が和解で決着しました。 1. この和解という決着には勝敗という評価はふくまれていないですよね。? 2. ここでは朝日新聞社側の言い分しか乗っていません。【記事に誤りがないとの当方の主張が全面的に認められたものと考え、和解に応じました。】と。 報道機関であれば、やはり相手が和解に応じた考えも載せて欲しいんですが、報道機関としてはこれでいいのでしょうか? 3. 相手の学者は和解であるから、自分は敗訴ではない。他の事情や理由で請求を取り下げ、和解に応じたのだ、ということなのでしょうか? どうかよろしくお願いします。
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この場合。 訴訟の内容は朝日新聞が書いた事は原告に名誉を傷つけたために1200万の損害賠償を請求したものですが、朝日新聞とのやり取りと裁判菅の和解勧告に置いて、朝日新聞に対し偏った報道はしないそうであれば、大学教授は損害賠償の請求を却下するとの本人から取り下げを行った物みたいです。 被告らは、今後とも、偏りのない徹底した取材に基づく公正で正確な報道に努めることを表明したと言う事は、 朝日新聞はこれから先もかたよりのない徹底した取材をしてそれに対し公正で正確な報道をすると、大学教授に対して 述べたものであり、原告の大学教授は名誉棄損による賠償の請求を諦めて訴えないと言う話し合いで解決したと言う事です。 記事に誤りと言うより偏った報道だと認めた訳ですから、原告は敗訴ではなく、新聞社も勝訴ではなくお互い話し合いで 解決したという見解でよいかと思います。
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1. この和解という決着には勝敗という評価はふくまれていないですよね。? =裁判における「和解」って実に不思議です。大辞林には[1] 争いをやめ、仲直りすること。 [2] 〔専門〕 法 民事上の紛争で、紛争当事者が互いに譲歩しあってその争いをやめること。 と書いてます。[1]は解ります。でも[2]の場合、これ結局は譲歩しあうんですから、場合によっては、負けたと感じる人もいれば、勝ったと感じる人もいると思うんです。テレビで「和解」のニュースが流れると「和解」した筈なのに、何だかどちらともなく「不満気」に見えます。実際の裁判では勝敗という評価は成されてはいなくとも、争った当事者同士は少なくとも「スッキリ」した気にはなれないと思います。 2. ここでは朝日新聞社側の言い分しか乗っていません。【記事に誤りがないとの当方の主張が全面的に認められたものと考え、和解に応じました。】と。報道機関であれば、やはり相手が和解に応じた考えも載せて欲しいんですが、報道機関としてはこれでいいのでしょうか? =報道機関としては真実を書かなければなりません。正しい内容を読者に知らせる義務があると思います。ですから私はこの場合、これで良いとは思いません。 3. 相手の学者は和解であるから、自分は敗訴ではない。他の事情や理由で請求を取り下げ、和解に応じたのだ、ということなのでしょうか? =個人個人の考え方の相違でしょうね。実際「和解」という判決が出ても、先程書いた通りお互いの「妥協」の産物ですから、自分が考えたシナリオ通りになれば勝ったと思うだろうし、シナリオからかなりずれたら負けたと思うでしょうね。全然、心の問題であると思います。
お礼
せっかくの和解ですから、あまりほじくらないでダラもがめでたしめでたしでいくべきですね。 報道も、こういう条件で和解になりました。とだけであれば後はいらなかったと思うのも、私の個人の気持ちでした。 有り難う御座いました。
補足
訴訟法や裁判手続きは私たちには少し馴染めないのですが、「和解」ってやはり裁判所側からこういう条件でお互いに受け入れたらどうかという提示により開始し、成立するものなのでしょうね。 判決ということでは具体的妥当性に欠けるところがでてくるということから。 その場合の裁判所の提示は判断であり、例えば質問の学者側を明確に敗訴という形は避ける。 つまり裁判はしないという内容になっていますね。 結局、「和解」は「和解」だということなんでしょうね。つまりこの場合は顔をつぶさない。 それをどう価値評価するかは、もう裁判所や法律の問題ではないということなんでしょうね。 朝日新聞が自分側のコメントを出しても、相手の学者のコメントを出さないのはこの場合は仕方ないことがあると存じますが、この場合でなければ自分が一方の当事者であっても他方のコメントも出すことが望まれませんでしょうか? なんか奇妙な記事で他の新聞が載せているかどうかも検索したいと存じます。 有り難う御座いました。
お礼
ありがとう御座いました。 朝日も原告の言い分を受け入れた。そこで和解が成立したという事ですね。 裁判所と当事者のせっかくの和解なんだからめでたしめでたしといくべきですね。 仕方がないことですが、朝日の“全面的に言い分が認められた”というコメントはまぁ当事者の一方の思いでしかないということですね。 生意気な言い方ですが、あまり出さない方が大人の対応のような気がしますが。 むしろ“指摘されたように偏向とも受けられる可能性のある記事であったことを認め、”というくらいは入れればいいのにと存じました。 有り難う御座いました。
補足
【朝日新聞とのやり取りと裁判菅の和解勧告に置いて、(原告側が)朝日新聞に対し偏った報道はしないそうであれば、大学教授は損害賠償の請求を却下するとの取り下げを】しようと原告側が譲り、それを朝日新聞社側が受け入れたということなんですね。 そして、結果として朝日新聞社側はこれを受け入れ(記事が誤りと言うより偏った報道)だと認めてその和解に応じたのですね。 更にだからこそ【原告の敗訴でもなく、新聞社も勝訴ではない。お互い話し合いで解決した】のだという以上ではないということですね。 朝日のコメントも当然ながら、“言い分が認められた”という以上のことは云っていないですね。 まぁお互い大人の解決の仕方だという事ですね。 たいへんよくわかりました。どうもありがとう御座いました。