わいはほんまそー思うんやわ、なぁ、あんたらはそう思わんんお?、なぁ、だってなぁ、英語圏の音楽のものまねやん、あんたらがやっとること、全部なぁ、たとえばドラムの強弱でリズム刻んでやで、コードとベースつけて、メロくっつけて、それに日本語のしたら終わりやん、基本はなぁ、そんなんほんまに日本語におうとんか?、ってわいはなぁ、思うんやけど、ちゃうか?、だってなぁ、日本語ってなぁ、強弱アクセントちゃうやんかぁ、英語やったらなぁ、「I love the dog」ってなぁ、単語単位で、三か四の音でのせれよるやん、ほんで、theとか、音の弱い部分と、dogみたいに強い音があるやんかぁ、せやからなぁ、ドラムの強弱で拍節を刻んで、そんなかで強弱と対応するようにシンコベーションしたりすんのも合理的やん、、けどなぁ、日本語は強弱ないやん、さっきの言葉ゆうたら、「わたしはいぬが すきである」みたいなさぁ、文節によって区切りがあってさぁ、構成する音は十二もあるやんかぁ、こういう言語をさぁ、無理やり英語の様式でやろうとしてさぁ、のるわけないやんっていう、なんでなん?、独創性、なさすぎやで、ってわいは思うんや、非合理的なんを、無理やりねじまげてのせたとこでさぁ、無理しとるから歌詞が自由につくれんで、変に抽象的で文法的におかしなるし、内容もうすっぺらなるんちゃうんけ?、って思うねんけど、どない?
ようさぁ、日本語は同じこというのにも時間かこうて、速いテンポの音楽におうてへんとかゆうけどさぁ、それは英語の定まった拍節とテンポにあわしてなぁ、英語的な旋律にのせようとしとるやつらがほざく戯言やん、伝統音楽を勉強したらさぁ、七五調で意味を凝縮したりさぁ、テンポに加速度を持たして拍節無視で一息で歌い上げるような歌唱法や語りがなぁ、あるわけやん、そういうのなぁ、ろくにしらんとようゆうなって思うねん、ほんでなぁ、日本語は英語とちごて音韻をつけれへんとかいうやんかぁ、そんなん同音異義語が名詞や動詞に多いねんから当たり前やんっていうなぁ、そんかわり掛詞の文化があってなぁ、そういうんが発達したのになぁ、それを現代でも挑戦しようっていう気概がまるでないやんかぁ、日本語に合わせた様式をなぁ、生み出す創造性がないだけなんを、言い訳して、英語のかっこよさをそのまままねしよなんてなぁ、めっちゃださいやん、ほんまむちゃくちゃださい思うねん、英語かてなぁ、昔は歌に向かん言語いわれとったんをなぁ、いろいろ工夫して今のロックがあんのにやでぇ、そういう努力をせんやつらがなぁ、JAPANESEROCKとかゆうとるんはなぁ、はっきりゆうてみっともないで、って思うねんけど、どないや?
大体なぁ、あんたら日本の伝統音楽なんもしらんやんかぁ、江戸以前の曲とか作曲家教えてって外人にいわれたらなぁ、何もこたえられへんやん、外人と同じくらい日本の音楽しらんねんからなぁ、かっこうつけとらんとなぁ、日本の伝統音楽をまなんでやでぇ、ほんまに日本語にあう音楽様式をつくりあげぇおもうねん、いつまでもなぁ、アメリカイギリスの真似してやでぇ、○○ROCKやのJPOPやのゆうとるんはなぁ、日本人も英語人も馬鹿にしとんのやでぇ、ほんまになぁ、百年後もおんなじようになぁ、日本語でも英語でもないちんみょうな造語でなぁ、サビうとうてなぁ、いのなかのかえるやっとるつもりなんかぁって思うねんけどなぁ、そもそもなぁ、日本語でロックなんて無理なんや、そこにまずきづき、って感じやわ、君らはどない思うねん、結局なぁ、戦後日本人はなぁ、未だに「日本語でもできる」音楽は確立できてもなぁ、「日本語やからこそできる」音楽はこしらえてへんのや、なぁ、あんたらがそれをかえていかなあかんおもうねんけど、どないや?
補足
それがどないしたんや!