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100年前の六甲山は禿山だった?
100年前の六甲山は禿山だったという記事を見た記憶があります。 現在の六甲山からは信じられない話ですが、原因は何ですか? 当時の日本の山は同様に禿山が多かったのですか?
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江戸時代の六甲山がはげ山だったのは事実のようです。原因は、建築用材や燃料として森林を伐り出していたからです。材木は大阪などに出荷されていたんでしょうね。 六甲山のみならず、江戸時代の日本の山(特に都市近郊)には木はほとんど生えていませんでした。北斎の浮世絵をみれば、山にほとんど木がないことがわかります。まあ、草は茂っていますから緑色ではありますがね。 燃料として化石燃料を使う戦後になってから山に木が生えるようになり、戦後の植林政策もあって、現在の日本は過去1000年で最も森林豊かになっているのです。
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- 井口 豊(@Iguchi_Y)
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回答No.2
環境省の「自然資源の持続可能な利用・管理に関する手法例集」 http://satoyama-initiative.org/en/wp-content/uploads/sub/index.html の中の, 日本・兵庫県六甲山系における防災等の多面的機能の回復に向けた砂防事業 http://www.env.go.jp/nature/satoyama/syuhourei/pdf/cjj_4.pdf が参考になります。 過剰伐採と,それに自然災害(洪水や土砂災害)が加わったことが原因です。 上記サイトには,禿山の当時の写真や,そこからの再生過程なども示されていて,勉強になります。
質問者
お礼
貴重な資料の紹介有難うございます。
お礼
回答有難うございます。 >燃料として化石燃料を使う戦後になってから山に木が生えるようになり、戦後の植林政策もあって、現在の日本は過去1000年で最も森林豊かになっているのです。 漠然と、昔の方が緑が豊かだっと思っていたのですが、山に関しては今の方が豊かなのですね。