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父親の死、今後の自分。

「父親の死」と検索かけて304件がHitしました。すべての同じ境遇の方の父、またご家族の方へご冥福をお祈りして書かせていただきます。 先日、74歳の父がこの世を去りました。私は実家を約8年間離れてました。今年に入り父が体調が悪く入院しているのは母親から聞いてました。実家に戻ろうかと何度も考えましたが、飛び出ていった感じだったので戻るには何かちゃんとしたきっかけがほしくて、ただ日々が過ぎて行きました。 一人暮らしも本当やっとの生活でなにかあるとすぐお金に困る生活だったのです。  ある日、私は事件を起こし逮捕されました。18日間留置所で反省し検察庁で罰金を受けました。 警察には「父親は今すごく体調を壊してるから父親の耳にはいれないでくれ」とお願いしましたが、地方新聞に載り、父親は事件のすこし後に事実を知ったそうです。 簡式裁判が終わり罰金を告げられたとき、歩けないはずの父親が検察庁に母親と一緒にヨタヨタと来てくれました。 8年ぶりの再会でした。思わず涙が出て「親父!」って・・・・親父の手をぐっと握り締めました。 親父は「おう!」と、受付の人に「罰金いくらでしたっけ?」って持ってきたセカンドバッグから大金を支払ってくれました。帰りの車の中でもこの事件の事についてはなにも触れず、「やってしまった事はなにも言わない」「これからどうするか考えるんだぞ」とまた自分のお金を渡し、清算できるものはして実家に戻るように言われました。 引越しが終わり、実家のほうでも大体片付き、新たな以後とを探しつつ親父と生活がはじまりました。 親父は昔から酒としょっぱいものや肉類が大好物で、「おい、○○くいて~な、買ってきてくれるか?」とか体調悪いのにも関わらず食べてはイケないものばかり注文してきました。 悪いと知っておきながらも、父親がよろこぶならと近くのスーパーへ買い物にいってはやきとり、焼肉、さしみなどを与えてた。でも「これうめ~な」、とよろこぶ親父の顔はすごく優しそうで本当においしそうだった。 仕事で料理経験もあった私は食べたい物を聞いては作って上げたりもしました。 時には一緒に酒を飲み、政治家の悪口を言ったり、今の社会情勢を語ったり。すごく話しを聞いててためになった。もしかしたら初めてかもしれないこんな話し合うのって感じでした。 実家に戻り一ヶ月が過ぎ、父親の病状は一時退院はしていたものの、あまりいい傾向は見られず時には痛くて部屋から「イテテテ!!」と悲鳴が聞こえてくる様態でした。 7月に入り病院の主治医からいますぐ救急車むかわせるから入院してくれと電話が掛かってきました。 父親は入院したくないものだったので、「息子が仕事から帰ってきたらそっちに連れてってもらうから待ってくれ」とお願いしてました。 少し前に受けた検査結果が相当悪いみたいでした。 その時実際は、目の前にいた私でしたが、父親からそう聞くと「行こうよ。俺連れて行くよ」って嫌な顔する父を入院する準備をして連れて行きました。 ま、しばらく入院すればまた戻ってこれるだろうとしか思ってなかった自分でしたが入院してから10日目、親父が院内感染で肺炎に掛かってしまった事を母親から聞きました。相当、暴れ窮地に立ったそうです。 そこからがすごく早かったです・・・。 肺炎になってからおおよそ1週間後、見舞いに行きました。父親は「おう、○○か。今日は仕事だったのか?」など普通に話しはしていましたが、鼻には管が通っていて入院したときの父親とはまったく違ってたこと。すごく悲しくなって涙をこらえながら「親父肺炎になっちゃったんだって? まーちょっと運が悪かったなぁ。 少しの我慢しなくちゃね。」励ましたつもりだったけど父親はどう感じたんでしょう、「そうだなぁ」としか言ってませんでした。 いつものように、政治家の悪口の話をしたり。今後の日本の話をしたり・・・。いつもと同じ父親だったのはまだ覚えてます。 次の日、母親が見舞いに行った時、医者から今後の経緯とかこの病気の説明をされ、要するに助かる可能性の低さを説明されたそうです。 その次の日、父親がまた苦しさにもがき暴れたそうでベッドに縛られたそうです。生気を失ったような顔で母親は、「お父さんもうだめかも」って半分泣きそうな顔で仕事から戻り家で夕飯の支度をしていた私に言ってきました。私は、実感がわかないというか父親が死ぬということが理解できない。 母親の言うことには耳を向けませんでした。 それでも心配な私は父親に手紙を書いた。人生で初めての手紙でした。毎日病院へ行っている母親に手紙を託し私は仕事へ行きました。家に戻って母親からは「手紙渡しておいたよ」とかそういうことは何も言われなかったですが、読んでくれただろうって思いながら自分も「手紙渡してくれた?」とは聞きませんでした。 次の休みの日父親の病院へ行く予定でした。でも、父親に会いに行ってすぐ体調が悪化した前回で、今回行ったらもっと悪くなるんじゃないか。また手紙読んでくれたのか読んでないのか、それもすごく気に掛かっててでも「親父、手紙読んでくれた?」とは聞きたくなかったのです。 色々考えてるうちに休みは終わって、来週いくって母親にはメールで伝えました。 入院してから、一度も見舞いに行ってない弟がいて、すごく腹が立ったり。母親が日に日に葬式の準備に取り掛かって。 家族全員がすごくむかついて、でも自分が父親に会いにいくことは何かの都合を付けて会いに行かなかったりして。 今になって自分の愚かさをすごく身に染みてます。 そして次の休みの日の前にその時はきました。 たまたま仕事が早く終わり家に帰るとめずらしく母親がいました。「弟がいま病院いってるよ」と聞いて、そのまま仕事荷物を置いて私も病院へ行きました。 部屋のノブをガチャッとあけると、顔色の悪い父親が酸素マスクをしながらパッチリと目を明けて、うなずきました。弟は扇子で父親に風を当てて上げてて、何も言ってきませんでした。私は「親父、どうだい?調子。苦しいかい?」と・・・・もうこの時点で涙が出てきそうでした。父親は「・・・・まいった・・・まいった・・・」とすごくかすかだけど声に出てない声だったけど間違いなくそう言っていました。すごく苦しそうで、お腹から一杯呼吸してて、色々な機器も付けられてて、「エアコン付けようか?」といえばコクリとうなずける位。 体内の酸素量を見る機械の説明を看護婦さんに教えてもらいながらその日はずっと父親に付き添いました。次の日も仕事を休み早朝に自宅へ戻り母親と交代で看病をしてました。 お昼過ぎにまた病院に戻り、色々な身内が来てたり遠くはなれた姉貴も来て、それを向かえ行ったり子供たちもいたのでご飯につれってって行ったり。 父親を一人に数時間させてしまいました。 もちろん「親父、ちょっと俺たちみんなでご飯行ってくるからね。がんばってるんだよ!」と耳元で言って行きましたけど、今思えばなんて馬鹿な事したんだろうってこれも後悔しています。 少しぐったりしていた父親はその前の晩苦しくてずっと寝てないせいだと思ってて、看護婦さんも「すこし寝てるのかな?」 と、言ってたので自分も寝てると思ってました。 母親が一番疲れており、私と弟も明日は一度会社に顔出そうって事でその日の夜は自宅へ戻り全員帰りました。 その次の日、出勤後ラジオ体操が終わってさて仕事を始めるかと思ったとき携帯電話が鳴りました。 病院からでした。「お父さんの様態が悪いのですぐ来てください」と、様態が悪い?・・・・嘘だ・・・父親が死亡したことは悟りました。 早退してなきながら病院へ向かい、部屋に付いて真っ白い顔した父親が寝てました。酸素マスクに付いていた半透明のビニール袋が動いていない(呼吸していない)足がガクガクして、でも力いっぱい立ちながら泣きました。 現在数日後が立ちました。葬儀も終わりこれからお墓などを用意する段階です。いまだに父親の死が納得で来ていない。写真を見るとただただ涙が出るだけ、だからあまり見ない。近くのどこへ行っても 「○○さんの訃報新聞で見ましたよ。ご愁傷様です」と言われた。それだけで涙が出てきそうで堪えながら「ありがとうございます。」とお礼を言います。 検察から私を救い、1ヶ月一緒にいて永遠に会えなくなってしまった父親に親孝行もできずに後悔や無念の思いしか沸いてきません。 切なくて、苦しくて仕方ありません。 この先自分はどうして行けばよいのでしょうか。 ダメ息子で親の顔を汚すことしかしてこなかった自分が変わって父親を蘇らせて上げたいです。  この先自分は何を信じて生きて行けばいいのでしょうか?

みんなの回答

  • meido369
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.8

親とは本当にありがたいものですね。 私も2月末に母を亡くし、49日、百箇日、初盆を終え、少し落ち着いたところです。 今日の休みで色々思い出すと、涙が止まらなくなってしまって、 「親の死」で検索し質問者様の簡易裁判所でのお話でまた泣いてしまいました。 切ないというお気持ち、良くわかります。 母の場合、持病とは別の腰痛(圧迫骨折)のため、家でどうにも出来なくて入院になり、田舎の病院での最期の一ヶ月は辛くて本当にかわいそうでした。 入院した時は、亡くなるとは思ってもみませんでした。 それまでは 父をのこして死ねないと、私や妹や、孫の事が心配でまだ頑張らなきゃと 体は相当きつかったのでしょうが 気丈に振る舞い、遠くの大きな病院に持病の検査や治療に定期的に行っていました。 検査の数値より、ずっと元気に見えていてまだまだ大丈夫と思えていました。 田舎の病院に入院してからは側にいる方も辛く、ほとんどしゃべることもなくなりました。 痛み止めの薬で、肝機能、腎機能が落ちてしまいどうにもならなくなりました。 亡くなる数時間前はもう頑張らないでいいよと思いました。 心臓が止まっても、声をかけると動き出す。そんな状態になりましたので、「お父さんの事は心配しないで!」「私もお母さんみたいに頑張って生きるから心配しないで!」と伝え、心拍数がどんどん落ちてきたので、間に合わない孫の声と、妹の声を携帯で聞かせ、電源を切った瞬間に本当に心臓が止まりました。 その瞬間、母は肉体を離れ 楽になったのだと思いました。楽になったなら良かったと思いました。 今私は、「父の事と自分がしっかり頑張って生きていくという」約束を守りたいと思います。 でも今日泣いてしまったように、どんなに慰められても、どんなに気をしっかり持っても、みんな経験することだとわかっていても、母の声が聞きたい、夢でもいいから母に会いたい、母の笑顔が見たいと思うのです。 そして、してあげられなかった事の後悔、他の人からは十分してあげたじゃないといわれても、どうしてあの時、もう少し・・・と思い泣けてくるのです。 ただ思うのは、こんなに愛してくれた親を持って、ありがたいという気持ちが持てて、自分は本当に幸せだったなという事です。 〉「これうめ~な」、とよろこぶ親父の顔はすごく優しそうで本当においしそうだった。 この瞬間があって本当に良かったですね。男らしい、愛情深いお父様で幸せでしたね。 「これからどうするか考えるんだぞ」 このお父様の言葉を心にとめていたら、きっと前向きな選択ができると思います。

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  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.7

自分が、どのような過去があるにせよ、それでも信じることが出来るのは自分だけだし、自分の行いそのものでしかないんです。 人はどうあれ、必ず死にます。 幸せに死んだ、という言葉はあまり使いませんよね?。 確かに悲惨な亡くなり方もあるし、安楽な死に方もあるけど、何人かの身内の死を見てきて「後悔無い死に方」をした人なんて無いと思います。 人は生きてる限り…つまり死ぬまで、ずっと後悔なんじゃないかな?。 お父さんは、あなたのこれからに不安も持ってたかもしれないけど、それでも「誰もみな同じように」ってどこかで悟ったと思いたい。 同じようにみな、どこかでコケてみたり、失敗したりしながら生きてるわけだから。 だからこそ、あなたに「ちゃんと生きろよ」と言えるのだろうし、あなたの未来を信じてもいたと思う。 みな、どこかで「同じ」なんですね。 同じだからこそ、許せも出来るし、認めることも出来る。 同じだから、と思えればこそ、死を認めることも出来るし、自分の過去を許すことも出来るんじゃないのかな?。 心の中の「突っ張り棒」は、どこかで捨ててしまいなさい。 何かをきっかけに捨ててしまうことです。 上手くやろう、上手く生きよう、と思うことは、決して「上手く仕事しよう」とか、そういった物事とイコールではないのです。 人は上手く生きよう、真っ直ぐ歩もう、と思っただけで歩めるほど器用ではない。 あなたのお父様も然りであったのでしょうし、あなたもそうですし、私も同じです。 上手くやろうと思ったことで上手く行くのは、人生の中でも「ほんの些細な事柄」でしかない。 その「些細な事柄」くらいを、ちゃんとこなすことから、やりなおしていきましょう。 出来なくても、出来ると思いながら…本当にそれが出来なければ次のものを…そういったことでいいのです。 人生は、ささやかなものです。 本当に光ったか光らないかわからないくらい、ささやかで短い光の瞬きです。 そういう小さな小さな光が集まるから、初めて人は「生きてる証」を知るのですよ。 あなたは知らなきゃいけないと思います。 人というものがどういうものかを。 そのために、今まで自分が抱えてきたものが、果たして「どんなものだったか」を、見つめなおしてください。 今ならばそれが始められると思う。 それが、あなたのお父さんが遺した「宝物」だと思います。 大事にしてあげてください。

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  • f_kinko
  • ベストアンサー率29% (126/424)
回答No.6

私の親父も、今年、肺炎で亡くなりました。死に目には会えませんでした。私には家族もあるし、仕事をずーっと休んでついていることはできません。だけど、私の親父は、仕事を休んでついていたら、本当に怒ったと思います。これは、私の親父の生き方の問題もあるんですが、親が子供に苦痛、苦労をさせてまで、みとってくれと言いますかね。 葬儀は終わったとして、あなた何をしたんですかね。納骨もあるし、今度は新盆なんでしょう。一回忌、三回忌とつづきますよ。遺産相続だってあるよね。お母さんに全部任せるつもりなのかな。長男なら、親父さんが死んだら、家長となるんでしょう。家族がバラバラになっちゃいますよ。でね、今のあなたならば、弟さんにとっては、目の上のタンコブ以下かもしれないね。 後悔とか、悲しいとかは誰だってありますよ。でも、やらなければならないことをしないのは、いかがなものなんでしょうね。親って、子供がちゃんと生きてくれれば、一番うれしいんじゃないかな。それと、お母さんに孝行してみてはどうですかね。 何を信じるって、その論理ならば、お母さんは生きてるんでしょう。お母さんだも、だんだん、身心が衰えてきます。その時、親として、また、人生の先輩として、あなたの精神で接することができますかね。また、感性は強そうだけど、現実を支える生活力がなければい、大問題でしょうし、親不孝でしょう。

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  • 2s2t2r0uu
  • ベストアンサー率30% (13/43)
回答No.5

男として自立しようとするときに必要な事は一つだけ。 後ろを見ないで、前だけ向いて前進する“覚悟”だけ。 いいわけ、取りつくろい、そんな後ろ向きな事はどうでもいいでしょう。 腹くくって、頑張ってください。

habikun
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 腹括って、頑張って行きます! 心強い回答ありがとうございました!

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  • nnh43788
  • ベストアンサー率24% (43/173)
回答No.4

お父さまのご冥福をお祈りいたします。 今のあなたで十分過ぎるくらい十分ですよ。 まだ、時間が経ってないのですから動揺は仕方の無いことです。 でも、人生先にいった時、最後にお父さまと思い出作りが出来て良かった!と思いますよ。 あとは、お母さまを精神的にそして出来る範囲で経済的に助けてあげて・・・ 悩んだり困った時は「これ親父だったら何て言うかな? 親父は喜んでくれるかな?」 と自問自答して生きていけば、お父さまは質問者さまの中でずっと生き続けると思います。 と言いますのも、私も去年母を亡くしました。 もう少しで1年です。 今日のように夕飯が終わりくつろいでいると兄から携帯電話が・・・ 「〇〇! 来るべき時がきたぞ! 俺は今病院に向かってるが、〇〇は間に合わない・・・明日一番の新幹線で、喪服を持ってこい。気をしっかり持ってな!」 高齢でしたので、いつかは来るとは思ってましたが、まさかまさか・・・何が起こったのか分からない状態でした。 あの時の何とも言えない驚き、恐怖、動揺、悲しみ・・・生まれて初めての号泣でした。 突然の死でした。 でも、母は私の中で生き続けています。 今は、何気なく「お母さんだったらどうする?」と心の中で質問してる自分がいます。 そして、そんなに大好きな母の元に生まれてこれて幸せだったと思います。 質問者さまも、そんな大好きなお父さまの元に生まれた幸せを満喫して、感謝してください。 将来、ご自分のお子さんが出来たとき、お父さまの話しをしてあげて、お父さまと同じようにお子さんに接してあげてください。 そうすれば、お父さまは本当に喜ばれ、永遠に質問者さま、そしてお子さん達の中で生き続けていくと思います。 心身共に疲れてるお母さまの力になってあげてくださいね。

habikun
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 死別で最も辛いと思うのはやはり「突然死」でしょうね。昨日ニコニコ笑ってた家族が、友人が、今日何しよう? 明日何時ね などと約束もしていたのに急にその人に逢えなくなってしまう。 肺炎に掛かりどんどん衰弱していく経過の中、父親の手を握れた事、話かけられて答えてくれた事、それもまた幸せだったといま改めて実感してます。 これからの人生の矛指しを残された家族の先頭に立って歩んで行ける様がんばってまいりたいと思います。 私もですが故人もさぞかし喜んでくれると思います。ありがとうございました!

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  • emnxxx
  • ベストアンサー率50% (9/18)
回答No.3

ざっと読ませていただきました。心中お察しします。 身近な人の死というものはなかなか受け入れられないものですよね。そもそも『受け入れる』というのもどういう事なのかわかりませんよね。ついこの間まで確かに存在したのに、今はもう世界中のどこにもいない。亡くなった方に対して、自分はもっとしてあげられることがあったような気がして、後悔するばかりです。私もそうでした。あんなことをしてあげればよかった、一緒に○○に行ってみたかった、後悔は数え切れませんでした。 しかし、それは誰もがそう思うと私は思うんです。たとえあなたがものすごくエリートで、昔からたくさん親孝行をしてきたとしても、最後はそう感じるものだと思います。 それにあなたが今こんなにお父様のことを考えて、悩んで後悔したりしているのだから、そんな息子さんを持ってお父様は幸せだったと思います。 お父様の亡くなる前に、あなたは気付けたじゃないですか。お父様の体調が優れないから、余計な心配をかけまいと、警察の方に父親に連絡しないよう頼んだり、実家に帰ってお見舞いに行ったり、お手紙を書いたり。 それに手の掛かる子ほど可愛いと昔から言いますしね。じゃなきゃ半ば強引に出て行った息子に、わざわざ会いに来ませんよ。それも警察沙汰なのに。 お父様もあなたと仲直りするきっかけが欲しかったのではないでしょうか。帰ってきてほしいと言われたのも、そんなあなたとまた暮らしたかったからだと思います。 あなたはお父様にとって充分いい息子さんだったと思いますよ。憶測でお話して、しかもあまり上手く言葉にならなくてすいません… あなたのお父様がいつかおっしゃったように、「これからどうするか考えるんだぞ」 ですよ。 あなたのこと、お父様は必ずどこかで見てくれていると思います。もうお父様はこの世にいませんが、お父様の心はいつもあなたと共に在ると私は信じてます。

habikun
質問者

お礼

>お父様もあなたと仲直りするきっかけが欲しかったのではないでしょうか 切なくなりました、もしそう思っててくれてたのなら後悔先に立たず。大切な人への思い、考えは伝えるべきなんですね。勉強になります。 >あなたのお父様がいつかおっしゃったように、「これからどうするか考えるんだぞ はい。父の投げ出しのお金で私を救ってくれた意味、これから私の人生で前向きな結果になれるように日々がんばって行きたいと思います。 ペナルティがある分、周りには追いつけないでしょうけど。日々ゆっくり着実に実行できていければいいかなと考えてます。 回答者様の文を読んでてただ涙がでるだけでした。 まともなお礼書けずにすみません。 どうもありがとうございました!

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  • sadakoma
  • ベストアンサー率22% (69/311)
回答No.2

はじめまして。 今から10年前ですかね、私の父も突然死で他界しました。 実の父親でしたが幼少の頃から父という存在がなかなか 受け入れられたなった私は、友人や知人や身内などには なかなか理解され難い親子関係のまま大人になりました。 その日父は朝から胃の定期健診で指定された病院へ車で 通い、いつものように昼頃には帰宅する予定のはずでした。 何の前触れもなくその病院から電話がきたので母が受け、 「ご主人の容体が突然悪化し、非常に危険な状態です。」 と告げられ、全く意味が分からないまま私は母を車に乗せ その病院へと向かいましたが父は既に息絶えていました。 その日の朝まで元気だった父が、その数時間後には病院の ベッドの上で苦痛に歪み土色の顔のまま横たわってました。 医師より父の死因は急性心筋梗塞と伝えられました。胃の 検査で病院に行き何故急死したのか未だ腑に落ちません。 何の前触れもない余りに突然過ぎる出来事だった為悲しん でる余韻などあるはずもなく現実が理解出来ませんでした。 葬儀の手配や父の口座から早急に多額の現金の引き出し、 これが現実なのか夢なのかさっぱりわからないまま、早急に 葬儀の準備を済ませなければなかったのを思い出されます。 まさか父が亡くなるとは、まさか自分がこの様な事情で片親 になるとは、家族が減るとは・・それまでの人生で考えたこと もないような出来事が唐突までに現実となってしまいました。 葬儀の当日、葬儀場に一人残った母が寝ずに父の亡骸を前 に線香を一晩中炊く姿を目にしたとき私は初めて泣きました。 今でもその時の事を思い出すと涙が出てしまうのですが、もう 他に頼れる身近な家族は確実に居なくたったという現実です。 どんな理由でどんなに憎かろうとその人が亡くなるというのは、 その対象が現実に居なくなるわけでその感情をぶつけられる 相手がもうこの世に居ないということは、悲しいことなんです。 貴方は父という存在の偉大さ寛大さを十分理解され、同時に 分かり合え語り合う時間もありました。それは幸せなことです。 父の分まで生きること、親不孝をしないこと。それに尽きます。 残された家族を今度は貴方が父親の分まで大事するんです。 心からお悔み申し上げます。

habikun
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 >貴方は父という存在の偉大さ寛大さを十分理解され、同時に 分かり合え語り合う時間もありました。それは幸せなことです。 そうですよね、本当にわずかな時間だけでしたが父親の元で幸せな時間を過ごせたと思ってます。威厳の強い父親でしたけど今では私の英雄です。 ロビンフットよりも、ヘラクレスよりも、中国の関羽などよりなによりも光り輝いてます。 >父の分まで生きること、親不孝をしないこと。それに尽きます。 残された家族を今度は貴方が父親の分まで大事するんです。 はい。残された母にも父親の分親孝行して行きます。 父親の手紙には「体調良くなったら、旅行にいこう」って書いてありました。 落ち着いたら家族旅行行きたいと思います。 とても心が支えられました、ありがとうございました!

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回答No.1

「お父さんが信じたあなた」を。 「あなたを信じたお父さん」を信じて生きてください。 歩けないはずなのにあなたを迎えに行った思いを。 苦しむ姿をあなたに見せなかった思いを。 無駄にしないでください。無意味にしないでください。 自分のことを「ダメ息子」だなんて言わないでください。思わないでください。 それこそ、お父さんの顔を汚すことになる。思いを踏みにじることになる。 だから、あなたは。 「お父さんに胸を張れるような、お父さんが胸を張れるような」そんな人生を歩んでください。 ……なんか偉そうですね、すみません。

habikun
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 >「お父さんに胸を張れるような、お父さんが胸を張れるような」 そうですよね、決してお金のある父親じゃないのに罰金、清算金渡してくれた父親からの人生の再生金。 無駄にしたくないです。散々世間に甘えて自由奔放に生きてきた自分ですが、これからは父親の代わりとしてそれを受けて生きて行けなくてはそれもまた父親の面汚しだと思いました。 本当に感謝します、とても心強くなれました!ありがとうございました。

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