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父親の死と向き合うには
先日、父親が亡くなったことを知りました。 亡くなってから8ヶ月後のことでした。 両親は私が小学4年生頃に離婚しました。 父親が残した借金もあり母親と私たち姉弟は苦労をしましたが なぜか父親が悪いとも思えず大好きでした。 父親は別の家庭がありましたが、ずっと会えず連絡が取れなかった わけではなく母親のところにもたまに連絡はしていたようで 私も弟もお互い別々に連絡はしてました。 数年前、母の借金の件で父に連絡し今まで心の奥に秘めていた 感じないふりをしていた父親に対する思い、 「パパが借金を残して行ったからだ!」 「私たちはすごく苦労した!パパは何も知らないくせに!」 など一方的に怒りに任せて泣きながら訴えました。 しまった!と思う気持ちとすっきりしたと思う気持ち両方がありました。 電話は嫌な切り方ではなかったと思いますがこれを期に 父親はいないものを思って生活しようと思って来ました。 電話はしないようにと。元から一緒に生活はしてないので 別に苦とも思ってませんでした。 去年の夏に母の元へ父から病気だと連絡が入りました。 そのうち会いに行こうと話してましたがそのまま日々の生活に忙殺されていました。 死を知ったきっかけは、名前を呼ばれる幻聴が1日に2度あったことです。 母に頼み父の兄弟へ連絡してそこで初めて知りました。 父の兄弟も母の連絡先は知らなかったので連絡ができなかったらしいです。 あーやっぱり亡くなってたのか。。。とがっかりはしましたが 一緒に暮らしてないから今までと変わらないな、とも思ってました。 ただ気持ちに穴があいた感じでした。 昨日、父のお墓参りに行ってきました。 父がどのような病気だったかも初めて知りました。 帰りの電車で突然涙が出てきて悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。 気持ちは今も変わらず、なぜ早く連絡しなかったのかと後悔でいっぱいです。 何も手につかないわけではありません。 冷静にも考えられます、だけど空虚感でいっぱいです。 自分は親が亡くなっても泣かないだろうとなぜか思ってました。 だけどやっぱり悲しいと思うことを知りました。 今はまだ後悔と悲しみがいっぱいです。 仕方がないのかもしれませんが先がわからない洞窟に入り込んだ感じがします。 ちゃんと向き合うしか抜け出す方法がないのだと思うますが どう向き合っていいのか。。。。 参考にお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
私の父も、ガンが見つかってから3週間で亡くなってしまいました(64才)。闘病生活もなかったため、私は父の死を受け入れることができず、お葬式ですら「死んだ人みたいなことするな!」と理不尽な怒りを感じてしまいました。お通夜でも姪と銭湯に行って談笑してたかと思えば、火がついたように泣き叫んだりもしました。 それから1年くらいは、仕事中などでも突然父のことが頭に浮かんで涙が止まらなくなったり、胃がんだったこともあって食事に罪悪感を持ってしまい10kg痩せたりしました。父が死ぬ直前に「お前が看護婦だったら良かった」と言ったため、看護婦にならなかったことを後悔したり・・・。かなり混乱していたと思います。 それでも私が受け入れることができたのは、父の無念を考えているときに、フト「私がこうして悲しんでいて、父は喜ぶのか?」と思ったことです。もし自分だったら、家族には自分のことはイイ思い出にして幸せになって欲しいと思うし、父もそういう人だったなぁと。生前はアル中で暴力もあり憎みもしたのですが、結局は家族が好きというのが伝わってきて嫌いにはなれませんでした。 フロイトという心理学者は、「人の心は悲しみや喪失感よりも罪悪感によって死者に拘束され続ける」といっています。私は、「あの時こうすればよかった」と言うのをやめて、「父が亡くなったのは事実で、もういくら後悔しても父はもう居ない。父の死から学んだ大切なことを忘れないように生きていこう」と考え改めました。 またフロイトは、大切な人の死に直面した人間の一連の心の動きを「喪の仕事」といっています。 1.感情麻痺の時期:ショック、否認 2.思慕と探索の時期:悲しみ、探索行動 3.混乱と絶望の時間:怒り、恨み 4.脱愛着と再起の時期:諦め、受け入れ 思うに、悲しいときは思い切り悲しみ、また何か怒りを感じても自分を諌めず怒ったほうがいいです。大人になると、頭で色々と考えて感情を抑えがちですが、かえってしこりになる場合もあるのでは。 方法はノートに書いたり、親しい人に表現したりということになりますが。ご質問者さまはお父様の愛情が欲しかったことなど、ご自身の心の傷もおありでしょうから、そういったことは我慢せずどんどん表現したほうがいいと思います。
その他の回答 (4)
2年前に父を亡くしました。 伏せている父にきついことを言ってしまったり 看護に疲れる母の方を心配したり 思い出すと後悔ばかりで胸に苦々しいものがこみ上げてきます。 父がまだ意識がはっきりしている時母にこう言いました。 自分が死んだ後いつまでも悲しんでいないで 楽しく笑って暮らして欲しい。 それが一番うれしいよ と。 (父は自分の余命を知っていました。) ただ死をじっと待つだけの父がどんな気持ちで 母に言ったのかと思うと 胸が張り裂けんばかりですが でもそれが父への一番の供養だと今は信じています。 千の風になって という歌ご存知ですよね。 あなたのお父様も風になってあなたの周りを吹いておられます。 そんな時あなたが悲しみにくれていたら お父様も胸を痛めるでしょう。 はつらつと生きるあなた 笑顔のあなたを見ること お父様の何よりの喜びです。 すぐにそんな気持ちにはならないかもしれませんが あなたの笑顔をお父様は待っている あなたが悲しんでいるとお父様も悲しんでいるのです。 空虚感は当たり前のことです。 私も父が好きだった曲が突然流れてきたりすると いまだに涙が出ます。 そんな時は心の中で ごめんね、お父さん涙がでちゃった。 でも大丈夫だからね。 見守っていてね。 そう言います。 少しずつですが喪失感は埋まっていきます。 あなたに笑顔が戻った時 お父様も向こうできっと安心なさると思います。 それまでちょっと待っててね もうすぐ立ち直るからって 心の中でお父様に話しかけてくださいね。
お礼
悲しいという気持ちは死者に心配をかけることになるからやめなさいと よく聞きますね。 悲しいと感じたら声をだして「でも、大丈夫!」ってつぶやいてます。 叔父に誰にもいえなかった思いを話したことで自分に少し変化が出てきたようです。 悲しい気持ち、空虚感はそう簡単になくならないと思いますが 前を向いて歩いていこうと思います! ありがとうございました!!
- mama4615
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初めまして二児の母です。 昨年 同居の実母を亡くしました(実母59才) 正社員で働き、もぅすぐ定年と言う時に、国の指定難病と診断され、母に告知する事は辞め、家族で出来るだけ過ごせるように勤めてました。 病気が発覚後8ヶ月(平均13ヶ月)と言う病気でしたので、病気を受け入れざる得ない状態・何が正しいのか なんて考える暇もなく、手当たり次第&その場で判断。と言う生活を送りました。 未だに 母が亡くなった事に関しては 信じられない・仏壇の写真を見ることも出来ませんし、お茶と御飯も本来は仏壇用のお茶碗を使うべきなのでしょうけど、今まで使っていたお茶碗を使っています。 時間が解決してくれるのかな。とも思います。 周囲に死に目に会えたんだから、良かったじゃない。 と言われますが、今でも脳裏に焼き付いてます。 そして、母にずっと病気の事を隠していた事。 何となくは分かっていたでしょうけど。 普通に過ごしていますよ~。洗濯物を畳んでいる間(リビングに仏壇があるので)、『今日ハンバーグにしようかなぁ~』とか『今日雨すごいんだよ~』とか 愚痴もあったりですが。 仕事に行く時も、『行ってきます。今日は遅くなるかも~』って言ってしまいます。 母が亡くなって、やっと1つ大人になれた自分が居るような気がします。
お礼
一緒に生活していたのだから別れは尚さら辛かっただろうと思います。 だけどお母様幸せだっただろうなと思いました。 時間が解決してくれる。。。。。待つしかないですね。 私も心の中の父に何かと話しかけてます。 心の中の私は今でも小学生のまま。父に抱きしめてもらいたかった。 手をつないでもらいたかったな、、という気持ちが湧いてきます。 だけど普通にすごすことを心がけます。 話かけも大人の私に変えることでmama4615さんと同じように大人になれるかな。 ありがとうございました!
亡くなるまでの時間が長い時間有る場合と急に亡くなるケースでは、受けるダメージも違います。 父も兄も急死です、兄は話しも出来ず危篤と言う連絡の時は既に昏睡状態で次回会うときは葬式とこの時間は2週間位と心の準備も無いまま慌ただしい日々を送りました。 父は、心筋梗塞ですから苦しんで救急車を呼ぶ以前に死亡確定と待ったなしです。 二人のケースを通して感じた事は、亡くなった実感が無く直ぐ帰って来るんだと言う錯覚を半年以上持ち続くなど、葬式をしたものの実感を得るまで一年以上苦しい時期を過ごしました。 母については、10年闘病生活でしたので看護もして来ているので実感を得る事が出来た事から普通の葬儀もして普通に亡くなる実感も得ています。 人を送る事は、ケース事で違う事です。 虚無感、虚しさは急死の時です、近年では3年前の兄の時は相当な鬱状態でしたが、時間と共に癒えて行きました。 私に取っての家族の死ですが、誰も80歳は超えていませんその位速い死でした。 人の人生蝋燭は人それぞれです、明日来るかも知れません、一日一日を一生懸命生きて行く事で無事暮らせる事がありがたいと思う気持ちが大切と思う今日この頃です。 誰もが経験する事です、質問者さんばかりでは有りません、生きている以上何時かは来るのも死です。 それが生きている証と思います。
お礼
話ができないままお別れはやはりつらいものですね。。。。 突然亡くなったとなると私の場合と同じ実感が湧かないものなんですね。 私の父も57歳でした。 ここ数年の顔も知らぬまま、元気なうちに話ができればここまで悔いることもなかったかも知れません。 だけど大切な人の死は人それぞれ違うものですが皆さん乗り越えるのに苦労されていることがわかり日々一生懸命生きていこうという気が湧いてきました。 ありがとうございます。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
50代の男です。 僕は40代で父を亡くしましたが、その時に、「あ~~、通夜や葬式、初七日といったものは、人間の死を受け入れるための「知恵」なんだな、、と感じた覚えがあります。 出来ることであれば、一周忌に出席させてもらえればよいと思うけれども、葬儀の連絡もなかったということはそれも難しいのかも知れませんね。 そうであれば、貴方と弟さんとお母さんで、ささやかでも、形式に則らずとも一周忌のようなものを行ったら如何でしょうか? お父さんのご兄弟を呼んでも良いと思う。 故人の思い出話をしながら、亡き人をしのぶ。 そういう手続きによって、「亡き父は自分の心の中に生き続けている…」ということを受け入れるしかないと思います。 人は必ず死にます。 だから、家族や友人達の心の中に生き続けたいと思って生きる。 変な話ですが、僕は年齢を経るに従ってだんだんと死ぬのが怖くなくなってきました。 そりゃあ今すぐは嫌だけれども、あと15年か20年仕事が出来て、今の調子で子供達が成長してくれ、妻が幸せそうなら悪くない人生のような気がする。 散々浮気した僕ですらそう思う。 貴方のお父さんの人生も、結構良いものだったんじゃないかな・・ そんな気がしますよ♪
お礼
ありがとうございます。。。 分骨するかどうか、父の兄弟から聞かれましたが体は一つだったし 分けることはよくないと思い断りました。 遺品はなかったけど、一緒に焼いたお金を頂きました。 それを持って一周忌を家族で行いたいと思います。 確かに、死に際に会えなくてもお葬式のときに顔を一目見れたら違ったと思います。 無理とはわかっても今でも会いたいです。話ができなくてもいいから一目顔が見たかったと思います。
お礼
なんかよーくわかります。。。。。。 読みながら泣いてしまいました。 お墓参りに行ったときに数年ぶりに叔父に会いました。 そのときはあまりにも父に似てるのでびっくりしたのと、 家族がいたので感情を抑えあまり話すことができませんでした。 hato_popさんの記述をみて思い切って叔父に電話をし 父にいえなかったことを打ち明け寂しさをぶつけてみました。 叔父に話したことで擬似的に父に話したような感じが湧き 叔父から言われたことも父に言われたかような錯覚が起きました。 思い切って感情をぶつけてよかったと思います。 これからは前を向いて生活していきます! 本当にありがとうございました!!!