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飛び降り自殺、義父母への憎悪との闘い
- 46歳の主婦が、ビルからの飛び降り自殺未遂をした後、義父母への憎悪に苦しむ日々を送っています。
- 身体障害となった主婦は、娘の育児中に義父母の過干渉な行動によりノイローゼ気味となりました。
- 義父母の孫への溺愛や主婦を取り上げるという言動により、主婦は憎悪に囚われるが、解放される方法を求めています。
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憎悪の抑え方を考えて行こう。 今も、そしてこれからも、あなたは生きて行くのだから、少しでも憎しみが薄まって、今よりも楽に生きていけるようになる為にもね。 あなたがビルから飛び降りたのは、15年前と言う事だけど、娘さんが5歳の頃って事だよね。 他の回答者様も言っている通り、例えどんな事があっても、愛する娘さんを置いて、そんな事はしてはいけなかった事だよね。 それは自分でも自覚している事だと思う。 確かに結果だけを見れば「自分が弱かった」と言う事に尽きるのだと思う。 でも、それは他の人間から言われても良い事なんかじゃないと思う。 全力で走って、逃げ切れる人もいれば、逃げ切れない人もいる。 捕まったのは「走るのが遅かったお前が悪いからだよ」と言われても、それが自分の持つ全力だったと認識している人からすれば、何も納得など出来ないだろう? あなたの場合は、他に助けてくれる人も、認めてくれる人もいなかった事が、余計に逃げ道を無くしてしまう事に繋がったのだろうと思う。 きっとその当時、まだ他の道はたくさんあったのだと思うよ。 ただ、その事にすら「気付けていなかった」んだろうな、と思う。 結婚相手の親の事は、「うまくやろうと思えば」結婚相手の前で悪く言えない事だし、 少しでも遠回しに、少しでも角が立たないように、と思えば思う程、自分の本心を後回しにしてしまうしか無くなるよね。 結果、それが「違うだろ」と言われてしまえば、心は行き場を無くすし、感情は持て余してしまう。 その内、何が正しくて、何が間違っている事なのかさえ、分からなくなって来るんだと思う。 人は、常に強くなどいられるものじゃないと思うよ。 でも、当時のあなたに必要だった物は「うまく逃げる」事じゃなくて、「突き進む勇気」だったのだと思う。 自分を信じ切れる勇気。 そんな簡単なものでも無いんだけどね。 なんで、15年前の話を、今になって質問したのだろう? ずっと15年間、この感情を心にしまい込んできたの? 娘さんに、母親としてしてあげたかった事、遊んであげたかった事、抱きしめてあげたかった事、怒ってあげたかった事。。。 そんな当たり前の事が出来なくなって、そんな当たり前の事が理想になってしまったのかな。 あなたの今までの出来事には、確かに義父母が絡んでいると思う。 でも、それは「きっかけ」であって「原因」ではないと思うんだ。 今まで選んで来た道は、全てあなた自身が選んで来た道だ。 誰かに「選ばされた」訳ではないんだよ。 「だから」絶対に解決出来るはずなんだ。 人生の全ての出来事は、自分の思い通りに事が進む訳ではない。 相手にも自分と同じように自我があり、そして、相手と同じように自分にも自我がある。 それを自覚し、相手にも自覚させる事が、お互いを尊重する事になるのではないか?と思う。 どんな過去があっても、例え今がどんな状況でも、未来を作る事は絶対に可能なんだ。 未来を見る事は、過去に蓋をする事でもないし、過去を見る事は、未来を決める事にはならない。 どんな可能性もあるのが、今なんだよ。 だから、どうか頑張って。 周りが糞みたいな状況でも、自分次第で幸せだと思う事は必ず出来るから。
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- RKwarawara
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あなたは寂しがり屋なのですね。 娘だけが可愛がられているのを我慢できなかった。 だから、自分自身の存在意義を確かめるためにリストカットをして誰かに心配をされたかったのです。 あなたは、娘を愛しているのではありません。 自分自身を愛しているだけなのです。 以前、「告白」というドラマがありました。 あなたは主演を演じる仲間由紀恵さんの役と大変似ております。 一度、ツタヤか何かで借りて見てみるといいでしょう。 何か参考になると思います。 ※業者による宣伝目的ではありません。
お礼
早速の御回答を有り難う御座いました >娘だけが可愛がられているのを我慢できなかった という御指摘のみ、誤解があると思うのですが、、、 「告白」というドラマ、御紹介して頂き有り難う御座いました 自分を客観的にみる手立てにしてみたいと思います
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お礼
御回答、有り難う御座いました >人生の全ての出来事は、自分の思い通りに事が進む訳ではない。 相手にも自分と同じように自我があり、そして、相手と同じように自分にも自我がある。 それを自覚し、相手にも自覚させる事が、お互いを尊重する事になるのではないか?と思う。 どんな過去があっても、例え今がどんな状況でも、未来を作る事は絶対に可能なんだ。 未来を見る事は、過去に蓋をする事でもないし、過去を見る事は、未来を決める事にはならない。 どんな可能性もあるのが、今なんだよ。 私のしてきたこと、思い込んできたことが、甘く、間違っていたことを 認めなければ、憎しみも消えないのだろうと、少し思えるようになってきました 今は、まだ憎しみの方が勝っていますが、 過去に囚われずに、今を、未来を大切にしていきます 本当に有り難う御座いました