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自己否定から抜け出す方法とは?
- 自分に自信がないことに悩んでいる方へのアドバイスです。
- 自己否定から抜け出すには、思い込みを見直し、自分に対する肯定的な思考を持つことが重要です。
- 外部の評価にとらわれず、自分自身の価値を見つけることが大切です。
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質問者が選んだベストアンサー
逆に考えてみたら? じゃあ果たしてどれだけの人が。 自分に「相応しい」という感覚で動いているのか? おそらく圧倒的に少ないよ? 相応しいかどうかなんて直ぐには分からない事だから。 相応しい云々を「ベース」に動いている人は殆どいないから。 相応しいかもしれないな、という感覚は。 時間を掛けて積み重ねていく中で。 少しずつ感じていける、掴んでいける「手ごたえ」の総体なんだよね? 貴方も自分で書いているけど。 貴方はその「相応しい」という言葉を少し都合よく 逃げ口上にしているんだと思う。 特に都合の「悪い」場面で。 何か気になる事があると、問題が起こると、不具合が起こると。 貴方にとっては「相応しくない」という表現で自分を切り離せる。 合ってないから出来ないんだと。合っていないから無理なんだと。 積み重ねる前に。 早々に判断してしまう貴方。自己を否定してしまう。 その時点で気持ちを切ってしまう。目を反らしてしまう貴方。 そういう貴方自身の「癖」であり、「傾向」があるという事。 それは、今まで長く生きてきた貴方自身として。 貴方なりに「自覚」していく必要があるんだと思う。 相応しくないという言葉を持ち出そうとしている時の貴方の 心的なメカニズム。 それはいつも似たような部分がある筈。 そういう自分を知る事。 直ぐに解除は出来無くても。 陥りやすい所から自分を呼び戻してあげれば良い。 それは出来る事でしょ? 傾向があるなら、対策がある。 貴方に必要なのは相応しさではなくて、「貴方らしさ」。 貴方には貴方の「彩」がある。「個」がある。 それだけで誰とも被らないんだから。 貴方の人生だよ。 自分なりに良いなと思える自分自身を目指して。 貴方なりに納得出来る日々を積み重ねていけば良いんだと思う。 そのプロセスに「相応しい」という感覚は必ずしも必要ではないんだからね☆
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- rosecose
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お礼ありがとうございます。 ならもうひとつだけ別のアプローチから。 私の思い込みなら申し訳ありません。 もしかしたら、きつい事を書くかもしれません。 でも、敵意とかそういうものはまったくないので、もしも不快に思ったら申し訳りません。 質問者さんはもしかして、 表とは違って、潜在的な意識の中では、逆に、自分に対しての理想が高いのではないでしょうか。 幼い頃にそれなりに出来た分だけ、大人になった今、周りから突き抜けられずにいる自分自身に対して、劣等感を抱いているのではないでしょうか。 と勝手に思ってしまいました(汗 それがひねくれて、相手から逃げるという行為にでてしまうのではないのかな、と。 もしも合っていたら、 幼い頃の自分を手放す事から初めてみるのも良いかもしれません。 それはつまり、今の自分をありのまま受け入れる努力をしてみるって事です。 もしも大変な勘違いであったら、本当に申し訳ありません。
お礼
幼い頃の自分を手放す必要はあると思います。 違う意味でですけど・・・ 突き抜けたいかというと、どうでもいい。だって平和がいいもん。あと、頭脳はバカですけど今も仕事の分野では突き抜けてます。でも幼い頃から、他人よりも出来る喜びよりも居心地の悪い思いばかりです。完全に持て余されてました。わずかに自分の努力への満足があるだけです。一人で味わいたいから、自分がやってる事人に見られたくないし、あまり人と比べてどうこう、とは思いません。だから再現なく上ばっか目指しちゃうんですけど。そういう意味で理想が高いのは本当だと思います。 きちんと自分を出して、周囲の人と一緒に生きていくために、どうしても引いていってしまうクセを直したいと思ってます。 ありのままの自分ってよくわからないですけど、受け入れられたら変われそう。
補足
幼い頃の成功体験も、別に努力して勉強して出来た訳じゃないので私にとって当たり前の事でしかないんです; それで周囲が何を言おうと、私には関係なかったので、できると早く解放される=放っておいてもらうための手段としか認識してませんでした。 指摘いただいて考えて、ふと気付いたんですけど、多分家族が褒めなかったんだと思います。今もそうですし。 おかげで、できること=いいこと という頭は私にはありません。 そりゃそれで仕事はかどればその場面ではラッキーですけど、それだけです。 うーん、色々気付かされます。 ありがとうございます。
- rosecose
- ベストアンサー率30% (61/200)
自分はふさわしくないと思っていても、 質問者さんを選んでいるひとは、質問者さんが自分にとってふさわしいと感じている訳で。 質問者さんが、自分自身を否定するのは、その人達をも否定することだと私は思うんですよね。 自分を信じられないなら、自分を信じてくれる人を信じてみたら。 こんなアプローチはどうでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 そのアプローチで、双方大打撃という事が過去にけっこうあります・・・おそらく正しいのに、私の側で何かが足りなかったというのが実感です。 また、相手に頼るようなかわいらしい所のあるヒツジならまた違ったと思うのですが、いかんせんかなりのオオカミなようで・・・。 でも壁をひとつふたつ超えたところで、また信じる努力をするつもりです。 ありがとうございました。
- rioka0406
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うわぁぁぁ;; 分かります、よく分かります。 わたしもずっと、根拠のない自己卑下に囚われっぱなしです。 いくら可愛いって人から言われても、全然信じられないし こんな自分にどうして周囲の人が良くしてくれるのか理解できないというか、 申し訳なくてなんかむずむずしてしまうというか・・・ ですがさすがに、落ちてるゴミにまで遠慮したことはないです。 その点ではとても質問者さまには叶いません。 最近はもうこの性格のままで人生をやり過ごしていこうと思ってます(笑) もう自分とも25年付き合ってきてるので、こういう考え方を する自分をまぁふわっと受け止めていければいいかなぁ、と。 まったく具体的な回答になっていなくて申し訳ないのですが、その気持ち?というか 価値観に近いものを持ってる人もいます、ということで回答させて頂きました。 くだらない文章ですみませんでした・・・
お礼
わかりますー!? けっこう居られるだろうなとは思うんです。 まあ、ゴミに遠慮は無いですよね。雑草にも遠慮してて、草むしりなんか一本一本祈りながらですよ。 私ももう少し大人しい性質だったらやり過ごそうとしたと思います。なんだか、ヘンに堂々とした所があるのでその路線は泣く泣く諦めました・・・ なんか和みました。ありがとうございました!
お礼
ああ、何か新しい角度を見せていただいた気がします! ありがとうございます。 私が逃げに転ずる瞬間、必ず相手と気持ちを共有することから逃げている気がします。拒否というより、まるまる空白のような。どうせ共有してくれるのなんて今だけだろう、すぐにまた私を拒否するんだろう、とガードしている気がします。 拒否される事は相手の自由だからかまわないけど、心が痛いのが本当にイヤ。 普段接する人に拒否されてもさほど痛まないことは経験で知っています。 ただ、幼少期のみならず今になっても、家族内に、とんでもない痛みをカンタンにもたらす人がいます。私はここだけで学習してしまった幻覚の痛みを極端に恐れているようです。 その恐れの前には、個性や多少の死にものぐるいなんて太刀打ちできそうにないというのが、今の正直な所です。 ただ、自覚できたので今後改善していけるでしょう。 確かに「ふさわしい」は副産物的な感覚のようです。もう不要! 助かります、考えがひとつまとまりました。 感謝いたします!