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芸者について。

江戸時代辺りには芸者さんなど、舞を踊る人達は結構いたと思うのですが。 芸者や芸妓になる前、所謂 「舞妓」 や 「半玉」 のときは、当然芸者になるための稽古をしますよね? そのときに、稽古をするためのお金 (今で言う 「月謝」 ) って必要だったのでしょうか?

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回答No.2

江戸といっても長いので、時期にもよるのですが、 江戸も後期になると、芸者志望者はけっこう多かったのです。 華やかな世界ですし、今でいえば「ミュージシャン、芸能人」ですから、それなりにあこがれの職業です。 というわけで、「子供を芸者にするためにお稽古ごとをさせる母」というのがけっこういました。 好きでお稽古事をして、芸者を目指すムスメもいました。 当然、全て自腹です。 遊郭以外の、一般の宴会のお座敷などに芸者をあっせんするような「置屋」もありましたので、腕がよければ「芸者」の仕事はけっこうあったのです。 そのなかから選り取りみどりだったので、江戸後期ですと、そもそも置屋であまり芸者を養成していません。 むろん、子供のころから遊女屋に年季奉公をしている子もいました。 これらは「かむろ」として遊女の身の回りの世話をしながらいちおう芸事も習います。 ほとんどは「遊女」になりますが、筋のいい子の一部の子は「芸者」になります。 江戸中期ごろまではこういう形の芸者さんも多かったと思います。 この場合、初期のお稽古代はお店持ちでしょうが、 ある程度は、その子の「借金」になったと思います(お店がその子に貸す)。独立するまでは厳しい世界です。 また、芸者さんももちろん、お師匠についてお稽古をします。 一人前になってからのお稽古代は、当然本人持ちです。 芸者は、うまくやればひとり立ちして「フリー」で食っていける職業です。それなりにお金がかかっても、やるヒトはやったのです。 そのようなフリーでそこそこ稼いでいる芸者さんのところに下働き兼見習いとして奉公に出て、そっからお稽古に通う子供もいました。 あと、「舞妓」や「半玉」という概念は、キホンてきに明治以降の花柳界のものだと思います。 江戸時代の遊郭のシステムは明治以降とは少し違います。 「遊女」と「芸者」の役割がはっきり分けられていたのが江戸時代の遊郭です。明治以降は「遊女」がなくなり、「芸者」しかいなくなります。 江戸時代は、見習いの遊女はいましたが、 「お座敷に出る見習いの芸者」というものはいなかったと認識しています。 参考サイトです http://somikakuda.jugem.jp/?cid=5

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  • yuyuyunn
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回答No.1

こんばんは 基本的に置屋さんが支払いの肩代わりをしていますので その場では無料ですね 独り立ち、家を出る時に 必要経費として引かれますので、まったくの無料と言うことではないです