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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:答がほしい。)

答がほしい私の状態と求める解決法

このQ&Aのポイント
  • 私は18歳の女性で、自分の状態に答えを求めています。過敏なところと鈍感なところがあり、他人の評価に敏感でありながら自分の感情に鈍感です。対人関係が苦手で周囲に理解されず、何も異常な出来事はないのに一日中神経をすり減らします。コンプレックスや勉強の苦しさも抱えています。インターネットでの検索も成果がなく、自分自身が解決策を見つけることができずにいる状況です。
  • 私は見返りを求めた配慮しかしないのに周囲はそれを買いかぶり、彼らが騙されたり取るに足りない存在に感じたりします。頭が悪くコンプレックスを感じながら大学受験に苦しみ、勉強に集中することができません。対人関係だけでなく、さまざまなことが苦しくて思い出すことができません。
  • 私は自分の状態や所属先、解決策について知りたいです。インターネットで調べたり、他の人のアドバイスを受けたりしても、自分自身を理解することができずにいます。うつ病の診断も受けましたが、私の問題は単なる症状ではなく、根本的なものだと感じています。アドバイスや解決策についてどうぞよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hyuuma8579
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回答No.5

自分に囚われ過ぎていると思います。 だから行動も考えも小さな範囲で行ったり来たりなので、主体性や自由意志が発動できないのです。 たとえば、嫌われないように行動するとしても、それってどういう行動なのでしょうか? 上辺で善を取り繕ったとしても、敏感な人は、その嘘を見抜いてしまいます。 何故ならば、人に伝わる部分は、表面的な内容ではなく、深い内面部分だからです。 嫌われないような行動・・・たとえば八方美人のような感じで、あっちによいしょ、こっちによいしょ こんな人がいますが、簡単に騙される人ばかりではありません。 本音のわからない人間なんか信じられないし、大嫌いという人もいるのです。 ちなみに私がその典型ですが、いつも会うたびに私のことを誉めてくれる笑顔の素敵な女性がいたのですが、彼女を見ていつも思っていたのは、「この人、誰に対してもよいしょばかりじゃ、疲れるだろうに」ということです。 だからある時、彼女にはっきり言ってあげました。「いつも誉めてくれるのはありがたいんだが、はっきり言って全然心に響かないし、嬉しくも何ともないんだよ!!」 「私のこと、もう誉めるのやめてくれる?不愉快なんで!」こんな感じだったと思います。 だから、嫌われないような行動なんてないと思いますよ。 あなたが嫌われまいとして行動を取るけれど、それが嫌いな人もいるのです。 それが人間です。 だから、もっと冷静に自分を含めた人間世界を見るべきだと思います。 好きとか嫌いは人の常です。 だから誰からも好かれようというのは、一見ほんものっぽくて、実は大嘘です。 本当に正しく評価してもらい、好かれたいのなら、上辺の行動だけを装っても無理です。 あなたの心が、嘘で塗り固められている限り、本当に好いてくれる人は、上辺に騙される人を除いてほとんどいないでしょう。 人は行動よりも中味を見て評価したいのです。 だからあなたが第一にすべきことは、自分自身についてきた嘘から自由になることです。 嫌われたくない動機で人に接する・・・つまりはあなたの中にある恐れがそうさせているのです。 自分自分と自分に囚われるほど、外界から孤立していきます。 孤立した自分を見て、恐れが生まれない人はいません。 孤立した自分を見れば、自分には何もないとか自分は弱いとか恐れと闇に飲み込まれてしまうのです。 あなたのみならず、人間なら例外なく、自分という答えがないものに囚われ出したら多かれ少なかれあなたのような迷宮に迷い込んでしまうのです。 前の方の質問への答えにも書きましたが、自分知ろうとして自分をいくら調べても自分はわからないのです。自分を知りたければ、自分を忘れて他者を感知することが一番です。

noname#140649
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >たとえば、嫌われないように行動するとしても、それってどういう行動なのでしょうか? お言葉を投げかけられて、少し考えてみました。 一般化すると、相手に私の悪意を悟らせない、ということだと思います。 悪意というのは「傷つけてやろう」とか「大事なものを壊してやろう」とかそういうのではなく、相手の話に付き合うのをめんどうくさいと思う感情だったり、苦手な人と一緒にいたくないと思う気持ちだったり、そういうものです(厳密に言うと多分「悪意」ではないのでしょうが、便宜上こうさせてください)。 なのでつまらない話でも楽しそうに聞いたり、苦手な人と接するときでも嫌な気持ちを押し込めたり、めんどうくさいと思っても手助けしたり、そういうことをしています。 >簡単に騙される人ばかりではありません。 本音のわからない人間なんか信じられないし、大嫌いという人もいるのです。 だろうなーと思います。 他人と接するときはできる限り(自分でも本音を忘れかけるくらいに)気持ちを抑圧していますが、全員に隠し通せるとは思っていません。 それでも完全を期するのが人間ではないか、完全を求めるからこそ高い水準に行き着くことができるのではないか、とも思います。 >だから、嫌われないような行動なんてないと思いますよ。 あなたが嫌われまいとして行動を取るけれど、それが嫌いな人もいるのです。 この発想はいいなと思いました。楽になりかけているときに思い出したら更に楽になれそうな言葉だと思います。 要するに私は幼稚なんだと思います。理屈は分かっているのに心から納得することができないのです。 「自分の本当の性格をさらけ出したらきっと好いてくれる人なんていない」と思っています。 こんな自分を好きになる人間はいるのかと甚だ疑問です。 >だからあなたが第一にすべきことは、自分自身についてきた嘘から自由になることです。 とても大事なことですよね。 呼吸するように自分に嘘をついているので……。 もしかしたら誤解を招くような表現があるかもしれません。不愉快にさせてしまったら申し訳ないです。 ご回答についてもう少し考えてみようと思います。有益なご回答ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • hyuuma8579
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回答No.7

情的刺激は、その人が何を美しいと感じるかということですから、必ずしも自然や芸術作品とばかりも限りません。他人の生き様を素晴らしいと思い、感銘を受ける場合もあるでしょう。 何を美しいと感じ、どのように情感が揺さぶられるのか・・・一流の画家が書いた絵、小さな蟻の姿を通して。あるいは、一冊の本とかもありえますね。 何にしても、あなたの情が動けば、それに付随してあなたの愛が動き出すのです。 なぜならば、美しい対象に出会うと、「ああ、美しい」と、ただ感動するだけでなく、それを守りたい、大切にしたいという思いが同時に発動するからです。 月並みな言葉で言えば、美しいものを愛したい。 美しいものは愛される・・・そして、愛するからその対象はもっと美しくなる。 愛されるものは美しくなる・・・これが真理なら、美しいものを探し出そうとすれば、多く愛される場所にありそうですね。 こんなことを書いていながら、あなたのさりげない言葉から滲み出る豊かな知性はとても美しいと感じました。 だから、嘘とかつかなくとも、人は素のあなたを愛したいと思っていますよ、きっと。

noname#140649
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自然や芸術品以外のものでも、ということならば、見つけられる自信は多少あります(笑) 些細な美ならちょこちょこと見つけているので……。地下街の雰囲気やペットボトルの側面の溝も素敵ですが、美しい文章表現は特に好きですね。 美を見つけた瞬間もまた美しいと思います。 多く愛される場所……とは、名作と呼ばれる芸術品や人気のリゾート地、最先端商品などのことですかね。 hyuuma8579さんのお言葉が嬉しかったので、情的刺激を大事にしようと思います。 ご回答ありがとうございました^^

  • hyuuma8579
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回答No.6

お礼文を読みつつ感じさせられた部分がありましたので、再答させて頂きます。 知・情・意のバランスが年相応でないような気がします。 年相応・・・とは言え、どこかで線引きできるわけでもなくとても曖昧な表現かもしれませんが・・・ その中でもあなたの知的な部分(=知性)はかなり秀でている印象は否めません。 その影響もあってか、情的部分が少し遅れを取ってしまっている感じとでもいいましょうか・・・ 遅れを取るという表現もいまいちですね・・・つまり、知が高い分だけそれと相対的に情的面が未開発に映る・・・こんな感じでしょうか。 人間の心の三機能が、知・情・意で、それぞれ知は真理を、情は美を、意は善を追求しているわけですが、この三つは密接な相関関係にあり、認識の始まりは、知なのですが、満足や納得の領域は、知ではなく情となりますから、知は入り口、情は出口といってもいいかもしれません。 人間が幸せを感じるとしたら、知的な真理を追究する中で、それに付随して美しさも情的に獲得していかなければならないのです。その両輪が回りだせば、自ずと行動せざるを得ない意的な主体性も生まれてくるというわけです。 別の言い方をすれば、バランス上、知が足りない人は、先に情と意を強めれば相対的にあがります。 同様に情が足らない人は、知と意(=行動面)の相互作用を活発化すれば啓発されていきます。 意(=実行力)が足なければ、知と情の相互作用を強めればいいわけです。 あなたの場合、情が鈍感というより、知だけが先行してしまっているので、それに縛られないぐらいの情的な刺激が必要かもしれません。 自然や芸術、演劇、その他何でも創造の偉業や偉大さなどの美に触れることで、主観作用や感情移入や共感や同情の世界を啓発されていかれたらいいと思います。 知に秀でているあなたならできないはずはありません。 高い知を有するあなただからこそ、それに相応して高い情と高い意も獲得できるのです。 知に陰に隠されたあなたの大いなる宝物・・・特に情の世界との邂逅・・・あなたの心の琴線に触れる何かを探して下さい。 あなただからこそそれができる・・・何故かそんな気がするのです。 言葉が出てこない歯痒さがあるのですが、あなたはいい線いってると思います。

noname#140649
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 「年相応」という感覚は分かります。非常に感覚的ですが確かに存在するものですよね。 つまり私が納得し幸せになるためにはバランスをとる必要がある、先行している知と釣り合うような情と意を獲得する必要がある、ということでしょうか。 そしてそれらは相互作用により活発化するものである、と。 (すみません、自分にとっては新しい考え方なので咀嚼と確認をさせてください。) なるほど。 私の場合は情が鈍いのではなく知が先行している(自分で言うのは恥ずかしいですが)ためにそれが未発達に見えるだけであり、現状の解決策は知情意のバランスをとることであり、具体案としては自然や芸術などに触れていくことである、と。こういうことでしょうか。 (もし間違っていましたらご指摘くださると助かります。) 興味深い考え方だと思いました。一つの光明になりそうです。 私もしっくりくる文章が書けずもどかしいのですが、もっと中身の濃いお礼ができたはずだと思っていただけに、ここまで言っていただけることに多少驚いています。 ここまできて思い出したのですが、私の情操の部分が十分に発達していない感じは幼い頃からありました。 仮定の思いつきですが、もし私の知が高いのだとしたら、私は入り口を広げるばかりで出口が小さいから気持ちが吹き溜まるのかもしれませんね。 知に秀でているとは自分では思いませんが、お褒めの言葉をありがとうございました。 「心の琴線に触れる何か」を見つけるまで探そうと思います。 ご回答ありがとうございました。

noname#164833
noname#164833
回答No.4

 感情が平坦になるような副作用の薬もあるようです。検索“副作用で感情が”。  as if personality    http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37739863.html  演じる    http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay2005-7.htm  自意識過剰は人間不信の一種    http://www013.upp.so-net.ne.jp/kata-kuriko/m02.html  ゲシュタルト    http://www.ykren02.com/chap-b_07.html  自分らしさ    http://www.katotaizo.com/lecture/index.html  不安とは    http://www5a.biglobe.ne.jp/~yukimaru/shinkeishitushou/fuan.html  >私にとって自分はあまりに難解で手に余る存在です。 右脳で察知すればいいものを左脳(理屈)でとらえようとすると疲れます。「ありのまま」を受け入れ、非言語的なことは非言語的に受け止めるのです。この質問の文章も、非言語的な事柄を他者にわかってもらうために、便宜的に言葉で表現したものでしょう。文章を練っている時は楽しいですか?。右脳と左脳の共同作業は、たいてい楽しいのです。

noname#140649
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 文章を練っているときは楽しいですよ。自分の核にどれほど近づけられるか、知的ゲームであるような気もします。 非言語的なことは非言語的な手法を使って伝えるのがいいかもしれませんね。私は言葉を手段とすることに快感を感じるのでこれでいいのかもしれません。 ただおっしゃる通り理屈で捉えると疲れます。 右脳左脳にそのような区別があるのかは分かりませんが……。 ありがとうございました。

  • sentsuku
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回答No.3

「人に嫌われていないか気になる」のと「自分の感情に鈍感」なのは、表裏一体の関係と考えられるでしょう。 自分の感情を出せば「人に嫌われる」ことに繋がるおそれがありますから、「人に嫌われる」ことを極度に嫌う人は、感情を抑制する傾向が強く出るでしょう。 個人的に存じないので、一般論的ですが、過去の人間関係等が要因になって「人に嫌われる」ことに非常に臆病になることは、けっこうあるかと思います。 要因の重みにより、社会生活に支障が無いケースもあれば、支障の出るケースもあり得るでしょう。 うつ病は、症状による病気の括りであり、要因は人によって様々で、大きく内因性、心因性、身体因性と分けられるくらいです。 ですから、うつ病についても、元の要因は同じところにある可能性もあります。 質問文からイメージするのは、心理学系の本ですね。 たとえば、加藤諦三の「○○な人の心理学」とかいったシリーズ。 自分で対処不能なら、大病院の精神科よりもカウンセリングルームみたいなところが適してますかね。

noname#140649
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「人に嫌われていないか気になる」~感情を抑制する傾向が強く出るでしょう。 的を射たお言葉だと思いました。自分の中にすとんと落ちてきました。きっとそうなのだと思います。 私の場合現実的なつまずきと言うよりは、思い込みが強固になりすぎて今の臆病さに繋がっているのかなと思います。自分で作り出した虚像に怯えている感じです。 加藤諦三の著作は初めて知りました。興味がわいたので今度読もうと思います。 ありがとうございました。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.2

答えが欲しいと切望されているお気持ちはとてもよく分ります。 しかし、答えはご自分で出すしかないと思います。 18歳というのは迷いの中にいるのが普通です。誰にとっても本当は答えというのは分らないもののような気がします。 うつの症状ではなくご自分の根本と言われてますが、違うと思います。それだけは、はっきり分ります。 うつが貴女の考え方を支配しています。結論から言ってしまうと心身ともに健康になることです。うつを身体から追い出して御覧なさい。恐らく世界観が変わるはずです。 誰でも自意識過剰になったり落ち込んだりする時は貴女と同じ感情になるものですよ。 今の貴女の状態はうつ、そのものです。 ちょっと自分を分析してみてください。友人との会話が楽しめないのは人の言葉を深く捉えすぎたり意識しすぎたりして考えすぎるからではないのですか。うつがなければそこまで感じなくてもよいことはほっておくことが出来ます。その他のこともすべてうつが邪魔をしています。自分の長所でさえ短所に見えてしまうのですね。それが病気です。 良く眠る、よく食べる、嫌なことはむりやりしない、自分を抑え込むのを止める、色々工夫してください。 苦しんで山を越えた人ほど、希望が見えてくるものです。 若い時に鬱になり、しかし、それを苦労して治したり乗り越えたお陰で今は自信に満ちて穏やかに暮らしている人を知っています。 悩むべき悩みはすべて悩んだのだからいつかここから出て行ってやるという気概をお持ちください。そこから出て行くこと、それから行きつく先が貴女の本当の所属先になるでしょう。

noname#140649
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >友人との会話が楽しめないのは人の言葉を深く捉えすぎたり意識しすぎたりして考えすぎるからではないのですか。 おっしゃる通りです。そうしなければ人並みに操業することができないのです。 ありがとうございました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.1

状態:自意識過剰 所属先:不要 解決方法:哲学的な「私」の理解 だろうね。

noname#140649
質問者

お礼

ニーチェに関する本を読み直したところイデア論、背後世界という言葉に行き着きました。 引っかかりができました。ありがとうございました。

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