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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:原発事故後の普通の生活!?)

原発事故後の普通の生活!?

このQ&Aのポイント
  • 福島の原発事故は相変わらず収束するめどもなく、問題は解決されないままです。
  • 福島の原発事故による放射能汚染は、日常生活にも影響を及ぼしています。
  • 福島の原発事故は単なる工場のちょっと大きめの事故ではなく、深刻な問題です。

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回答No.1

福島の事故は人類の歴史に残る現在進行中の大事故です。広島の原爆1000個分とも言われる放射能が今も漏れ続け、今までどれだけ漏れ、今後どれだけ漏れるのかも分っていません。(もし、分っていても発表されないでしょう。広島や長崎で被爆した人々は今も癌や白血病にくるしんでいます。) 状況は複雑で各地の線量の測定値も僅かな位置の違いで大きく変化するようです。また、放射性物質によって汚染の様態は大きく異なります。したがって今後、どの地域でどれだけの健康被害があるのか誰にも分りません。(初めてのことですから) プールから放射能が出ていないとの事ですが全ての学校のプールで毎日測定し、医学的統計にもとづいた安全値と照らし合わせて安全と判断されなければ『現実の安全』が確保されたとは言えません。教育委員会にそこまで検証するだけの組織、予算、知識があるとは思えませんから、教育委員会は自分の上部組織の『形式的安全宣言』をそのまま『現実の安全』とみなしているのです。上からの『形式的安全』を根拠に自分の仕事をすれば教育委員会に対して安全責任をだれも問えないからです。 思えば、福島の事故は、関係者が原子力保安院の定める、形骸化した『形式の安全』を『現実の安全』とみなして本質的に危険な原子炉を運用したのが原因です。 『形式』は情報隠し、九電のヤラセ、政治の混迷、関係者の不作為などにより現実との接点を完全に失ってしまいました。 『現実』は各自の目の前にしかありませんから、身の安全は『形式』に惑わされる事無く、臨機応変に想像力を働かせて、自分で守らなくてはなりません。側溝も森や野球場も貴方が危ないと思えば危ないのです。そしてそのリスクは全て自分自身が引き受けるしかありません。(今後、避難地域以外の被爆に対しての保障は無いでしょう) みんなが平静を装っているのは、危険を言葉にすれば、危険が現実感を帯びて心に迫ってくるからです。逃げたくても逃げられない以上、現実を受け入れる以外ありません。毎日の生活に追われて、平静という『形式的安全』にすがる以外ないのです。(ある種の信仰とも言えるでしょう)  誰も充分なお金があれば引っ越しています。これが私達の置かれている厳しい現実です。

kino13
質問者

お礼

丁寧な返答ありがとうございます。わたしもあなた様に同感です!! わたしは島根県で育ちました。広島に近かったので、小学生のころから広島の原発の事やら、放射能の恐怖、放射能に対しての無知が2次災害を生むということを刷り込まれて育ったところがあります。おばあちゃんも当時の戦争のことをよく話してくれました。 どうも千葉県の人とは感覚が大きく違うようで、プールを避けたのは私だけでした。 わたしは「よくはいらせるなあ~」と思ってるのですが、他の人から見たらわたしは神経質とおもわれるのかもしれませんね。 3月14日にも千葉を離れ大阪に避難しました。知り合いの外人も何人か大阪に避難していました。夏休みも西日本に行く予定です。まったく日常に制限をしないことが、わたしは恐ろしいと思っています。 教育委員会に電話しても、千葉県にみならってるだけだといわれ、千葉県の教育委員会に電話すると、県と町は主従関係にあらず、各自治体が責任をもってことにあたるしかないとの返答でした。文科省とは連絡付きません。つまり誰も責任を取らず、責任の所在不明でたらいまわしです。 日本が子供たちを守ろうという気持ちになってほしいと思います。文科省の方々、どうぞ子供たちをすくってくださいと声を大にして言いたいです。子供は日本の未来です!! 形式的安全をよそおっても、数年後には結果はでてくるんではないのかという恐怖があります。みんなが大丈夫と思うから、わたしもそう思うというのはできません。でもちょっと、いやかなり浮いた感じにはなりますが・・。 できれば給食もお弁当にしてほしいくらです。内部被ばくが怖いので・・。内部被ばくしない権利がほしいのはわがままでしょうか?

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回答No.2

補足 国家は国民を守ってくれません。 そもそも邪馬台国以来、国家は国民の為に生まれたものではありません。国家が体裁を取り繕って、まがりなりにも、国民に奉仕するようになったのはつい最近のことです。今回の福島の事故の様に国家存亡の危機になればたちまち本性を現し、国家は国家の為に国民を平気で犠牲にするのです。 しかし、私達はアフリカなどの現状をに見るように、まとまった強い国家なくしては平和な生活を送れませんし、住む国を選ぶこともできません。私達はこの非情な現実を受け入れてこの国を少しでもマシな国にしていくしかないのです。(本当の国民の為の国家が実現するのは遥か遠い先のことでしょう。)

kino13
質問者

お礼

ありがとうございます。 こころのどこかで坂本竜馬がでてこないかなあと漠然と期待しています。 みんなが愛する国にしたいですね。 やっぱり国民は犠牲になるのでしょうか。福島にいる子供たちには一日もお早く疎開してほしいと思います。いまなら間に合うと思うのですが、5年後ではどうなってるやら、怪しいものです。

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