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ネットでの交流に対する偏見について
私の知り合いは、ネットでの交流を馬鹿にしています。「相手の顔が見えない」ことをその理由にしているのですが、皆さんはどう思いますか。 「相手の顔が見えない」ということは、相手が男か女かわからないということなのですが、相手が自分を偽って登録していたとしてもそういうことはあり得るのがネットだということを承知していれば何ら問題はないと私は思います。 むしろ、相手が男であろうと女であろうと言葉の遊びをしていると思ってネットでの交流を楽しむということもあり得るのではないでしょうかね。
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おっしゃる通りあり得ると思いますよ。 ネットはひとつのツールでしかありません。 自分がネットをどうように活用するか。それだけだと思います。 顔の見えないどこのどいつかもわからない人と交流を持ちたくなければ ネットを活用しなければいい。それだけだと思いますよ。 ネットで得られる情報には信憑性の高いものから低いもの(デマ)まで様々です。 確かに顔がわからないのをいいことに、自らの利益重視であたかも本当のようにデマを流す人もいるでしょうし、 誹謗中傷することに喜びを覚えてしまった人も少なくないでしょう。 そういう人とネットで交流を持つことは私自身避けたいです(笑) しかし、たとえばソーシャルネットワークサービス(SNS)で、直接会ったこともない人とでも、 こちらがある程度オープンに交流を図っていけば10人に1人くらいは交流していて楽しいと思えるユーザが いると思います。男女問わず。 それらの人たちが発信する考えだったり意見というのは、こちらの視野を広げてくれることがちょいちょいあります。 もちろん逆にちょっと賛成できないということもあります。そういう時は無理に意見をぶつけなくてもいいし、 ネット上の交流は気楽さがメリットのように思います。 >>「相手の顔が見えない」ということは、相手が男か女かわからないということなのですが、相手が自分を偽って登録していたとしてもそういうことはあり得るのがネットだということを承知していれば何ら問題はないと私は思います。 100%同意します。そのうえでネットを活用すればいい。 出会いを目的としてネットを使うつもりなら危険はたくさん潜んでいると思うので要注意でしょうね。
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- 2525elephant
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ネットの交流は限られた情報の中で行われるものであって、情報を省く事も創造する事も可能…という一面性・架空性を自覚していれば、何も問題はないと思いますし、楽しめるものだと思います。 逆に、そういう認識がないまま、情報操作によって自分のエゴの世界を築き上げているブログや愚痴ばかりの掃き溜めのようなツイッターなんかを見かけると、いかがなものか。。と思います^^; 知り合いの方は、得体の知れないネット社会の交流と具体性のある実社会の交流とのギャップの不快感に加えて、「自分勝手な非現実世界」というイメージもあるのかもしれないですね。
お礼
回答ありがとうございます。 知り合いというのは私の兄です。ネットがいかに大きな力を持っているか、説明しても聞く耳を持っていません。よく知りもしないのに知ったかぶりの自説を展開します。呆れてしまいます。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
私はチョット違うんです。 ネットでの交流をバカにはしてませんが「偽りの情報」に関しては指摘もしますし、続くのならば関係は切らせていただきます。 現実よりもずっとリアルな態度で臨むんです。 言いたいことが言えるのは良い事です。 しかしそれと嘘やデマ、誹謗中傷は「人間性の問題」ですから、比例していません。 むしろ「言いたいことが言えるから、気をつけなきゃ」と考えるようでないと、自分の意志とは異なる捉えられ方をする可能性が高まります。 ですから「私のレベルに合うか、それ以上の意志を持った人」じゃないと、お付き合いしません。 そういうのは文章で簡単に割れるものです。 実際にリアルで会ってみても、ほぼ「想像通り」の人柄と人間性であることがほとんどです。 そういうときには「ああ、ネットやってて良かった!」と思います。 言葉遊びの関係性も、それはそれで楽しいと思うんですが…私には向かないってことですね。 だってすぐにバレちゃうしね…その辺は下手糞だから。 向き不向きもあるし、楽しみ方も色々…それでいいんじゃないでしょうか。 最初から否定するのはチョット浅墓ですね。
お礼
>言いたいことが言えるから、気をつけなきゃ まったく同感です。ネットは便利なツールですが、危険なツールでもあります。うかく使いたいものです。
- silverfd
- ベストアンサー率57% (204/356)
かつて、パソコン通信で知り合った女性と結婚したことがあります。私の労働環境が理由(毎日家に帰るのが深夜、土日も出勤)で離婚しましたが、そうなる前の5年間、は本当に仲のよい夫婦でした。元奥さんを含め、私の過去現在の友人知人は、ネットで知りあった人間の方が圧倒的に多いです。最近では、ミクシィで恋人・友人・知り合い・飲み仲間になった人は、合計すれば100人近くいるでしょう。入ったコミュニティのうち、飲み会目的コミュニティがあったのが大きいですがね(笑)。 男の友だちにしろ、女性の友だち・恋人・恋人になってもらえなかった人?にしろ、私の場合はリアルという、物理的にも階層的にも障壁のある出会いより、圧倒的にネットでの出会いの方が実りが大きいです。ちょうど、リアルで膨大な書庫から本を探すのと、同数の書籍がPDFファイル化されて保存されているのをネットワーク上で探すのの手間の差に思えます。背表紙(顔)だけで探しているとろくなもの探せないけど、ネットなら中身も含めて検索できるし比較も容易、下手に本の丁壮(顔)に惑わされない分その本(人)の本質が良く見えたりもします。そういう意味では、『「相手の顔が見えない」ことをその理由にしている』ってのは私からしたらナンセンス極まりないですね。 私は根本的にネクラで選民思想が強く、薄い人間関係を必要としていませんので、枯れ木も山の賑わい的に、ネットだけで交流する人の数を稼ごうとは思ったことはありません。ネットでもリアルでも、人との付き合いは本質的には同じです。やはり、魅力ある人と知り合ったらリアルでも会ってみたいですね。でも、私みたいにそういうウザいタチじゃなきゃ、『相手が男であろうと女であろうと言葉の遊びをしていると思ってネットでの交流を楽しむ』ってのも充分ありなんだと思います。きっと、質問者さんは私よりもリアルでの人間関係に満足されているんだと予想します。
お礼
貴重な体験談ありがとうございます。 私は、リアルでの人間関係には満足していません。いろいろと問題を抱えているためにネットでそれを相談しています。それに対して多くの方から親切なアドバイスが寄せられます。本当にありがたいことだと思っています。
- kernel_kaz
- ベストアンサー率23% (665/2872)
ネットの交流は使い方次第 ネットでは交流できるが、リアルでは交流できないという偏りがあるなら、それは異常と言えるだろうけどね
お礼
ネットは貧者の核爆弾という人もいます。本当にそうだと思います。うまく利用したいものです。
お礼
御理解ある回答ありがとうございました。同じ思いの方がおられることに安堵します。