道徳と不倫
年齢を重ねる中で、時代の流れのギャプを痛感しています。
かつての非常識が今や常識となり、その逆も然りの事象が、巷に溢れている。これまで深くも考えず、当たり前の言葉として使ってきた、道徳と倫理とは一体何だろうと、振り返って考えてしまう。「道徳」とは、「人としての道」であり、「倫理」とは、社会の中で「人間として生きていく場合の自己規範である」と言われる。道徳も倫理も、日本独自の風土習慣の中で長年に亘って培われてきたものだろう。しかし、今やインターネットの普及や経済のグローバル化で、世界の情報が善悪の垣根を越えて氾濫している。ここでいう「人」「人間」とはなんだろう。「犬畜生」ではないということか。今や犬も猫もペットとして可愛がられ動物愛護法も出来ている。人非人ではないということか・・道徳を論ずるときに、このような差別用語は引き合いに出されるべきではない。また現代社会における正しい「自己規範」とは、具体的にどのような規範なのだろう。概念的であり、不確定表現であり、言っていることが十分に解せない。今までは「不倫とは人にあらざる道」だと、躊躇なく他人に説教してきた。かつては日本にも「姦通罪」があり、北原白秋も処罰されたと聞く。しかし第二次大戦後の日本国憲法の改正で、「男女平等」に違反するため廃止となった。廃止ということは罪ではなくなったということだ。現在でも不倫を処罰する法律は皆無である。民法上では、肉体関係が或る場合に限り、不貞行為として規定されているが、不倫相手への妻の慰謝料請求権や離婚訴訟権を認めるものの、罰則規程ではない。このように考えてきたとき、新生語がどんどん辞書に取り込まれるように、不倫も時代の流れの中で、セフレやPMと名を変えて常識に変貌し、道徳上のいけないことではなくなったということか。それとも、これが文化の腐敗又は道徳社会の崩壊ということか。不倫は駄目だと諭すことが出来なくなってしまう自分に戸惑っています。どなたか論理的に説明できる方がおられたら、ぜひともご教授お願いします。
補足
もっとわかりやすくて、丸い感じのものはないでしょうか。 穏やかなものってありますか?