諦めるとか、受け流すとか、色々な技術はあると思います。
ただ、ひとつ着目しておいて欲しい点があります。
それは絶対的に能力が高い人間は、社会において必ず重宝されるということです。
どうしても必要な人間というものに対しては、社会の側がルールを曲げてくれますし、勝手に有利な状況を作り出してくれます。勿論、諦めたり、逃げたりする幅も小さくて済みます。
これが重要なところではないでしょうか。
そうなるとやることはひとつです。現実解は、長期に渡って自己の能力を高め続ける、です。
これをさぼると、理不尽に耐える方法や、理不尽を諦める方法や、理不尽を受け流す方法などの本来知らなくても良いはずの方法を学ぶことに時間と労力を費やさないといけなくなります。
私のイメージでは、理不尽に直面したら、それを正面突破出来るだけの能力を自分に付与するという単純なものに基礎をおき、それに向けて日々努力するような環境を設定しておき、どうしても無理なものだけ避ける、というものです。
まず最初から、諦めるとか逃げるという選択肢を持つことは、あんまりよろしくないと思います。
まずは全身全霊をもって立ち向かい、正面から戦うことです。そして、その為に日々自分の力を滋養しておくことです。
社会に出れば5年、10年ははやいものです。その間に力を蓄え続けることが出来るのか、諦めて流すことばかり覚えるのかでは、10年後にどえらい差になって返ってきます。見事にその人の人生を固めてしまいます。
だから、毎日一日一日の積み重ねを10年続け、人間として全方面的な能力を向上させておくことが最終的には、「嫌世感」を自分の中から抹消することにつながると思います。
では、がんばってください。
お礼
回答ありがとうございます。 世の中がルールを変えてくれるような人、ですか。 正直イメージわかないですね。 能力を磨く努力には限界はあると思っています。 努力はそこまで報われるものではないことを知っています。 ただ、必要があるので努力はします。