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家族への劣等感と就職活動について
- 私は就活中に自分の家族に劣等感を抱いています。家庭環境の低さが自分の意識を下げているのではないかと考えています。
- 家族の経済的な状況だけでなく、母との関係や家族の人間関係の悪さも劣等感を感じる原因です。
- 自分のひねくれた性格や希薄な人間関係により、明確なビジョンが持てず、モチベーションも低いです。家族との接し方と気持ちの切り替え方を教えてください。
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社会人の手前まで来ましたね。 本当におめでとう。 これから、まさに 貴女による 貴女の人生が始まるのです。 貴女の人生はあなたのもの。 貴女の役目は 貴女の人生を全うすること。 当たり前のことなのに、 これが難しい。 親は貴女のために生きる義務がある。 でも 貴女は、親のために、 親に従って生きる義務はありません。 *常識的な意味ですよ 貴女は、 お母様に恩義を感じている。 お母様を悲しませることのないように 私は何とかしなきゃ、 と思っていらっしゃる。 それだけの気遣いができる大人に成長できた。 素晴らしいことです。 貴女の「劣等感」。 社会に出ると「強み」です。 自信たっぷりで 世の中に出て、 つぶれる奴が多いです。 「希薄な人間関系」。 強みです。 会社はサークルじゃありません。 利害関係が優先です。 「孤独」に強いことはいいことです。 お母様は やり方はともかく 立派に子育てをされた。 わたしは自分の大切な時間を 両親に割きすぎてしまったことを とても後悔しています。 男、40歳代、既婚、子あり。です。 やらずに後悔するより、 やって後悔しましょう。 人生はたった1回です。 貴女が好きにできる時間は そんなに多くありません。 仕事、結婚、育児・・・ 一歩を踏み出す 素敵な自分を想像することが いまの貴女には必要な気がします。 後ろを見ながら 前に進む必要はありません。 前を見て進みなさい。 いまの貴女を 形作った20年の歴史を、 武器に変えて進むのです。 貴女の文面は綺麗です。 文章は人柄が出ます。 応援します。 貴方の未来は貴方のものです。 がんばれ。。。
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- otemtak29
- ベストアンサー率0% (0/1)
まず、誰しも少なからず不満足を持って生きています。 そして、今幸せな人も、たまたま今の生活があるが、 常に変化しています。 また、大学に行きたいが、しがらみのせいで 場合によっては家族のせいで行けないと思いながら、 身を粉にして働く人もいます。 つまりは、いま、自分の生き方を幸福だと自ずから思う事が 幸せであり、根本的に生まれや環境を恨んだ所で どうにもならないんです。 それから、人は無理に良くなろうとかしないほうがいい 時期もあります。人は年を重ねて落ちついて 感情も緩和されるもんです 今は、一応は人並みに生活ができてることにだけ 感謝してるだけでいいと思います。 親は日に日に老けていきます。 やがて、どうしょうもない 別れがきます。 いつまでも、母親が嫌いなんて言ってられないんです
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
お金や物、世話をしても、 実は親が子から愛情をうばっていることはあります。 見える物の流れと、愛情の流れは、同じではないんです。 あなたは、苦労しています。 文章を読む限り、あなたのご家庭は機能不全家庭の可能性が高いし、 ご両親とも、いわゆる「毒親」になってしまっているのではないかと思います。 苦労してきたことをまず、自分で認められるようになってください。 苦労しながら育って、頑張ってきて、とても疲れているはずです。 自分がハンデを負っていることを自覚しないと、 他の人と比べてしまい、いつまでも劣等感にさいなまれます。 ハンデがあるのにそこまで頑張ったということなんです。 見えないハンデを負っている分、他の人より大変だし、 誰もほめてくれない分、自分でみとめてあげるしかないんです。 他の人はああだこうだ、ぜいたくだの親に感謝しろだの言うでしょう。 けれど、それはいまいちわかっていない人のセリフです。 無視して結構。 >今後の私は家族とどう接していけばいいですか。 >そしてこの気持ちをどのように切り替えていけばいいですか。 インスタントにどうこうなるような、簡単な問題ではないのが現実です。 まずはご家族とは離れて住むことからではないかと思いますし、 離れて住んでからは、精神的にも距離をおいたつきあいかたを始めやすくなると思います。
- chokoita
- ベストアンサー率19% (55/280)
完全な無いものねだりだね 貧乏で大学行けない家庭も一杯居るし 離婚して母親だけ、なんて友達も私は多かったですよ。学生時代。 あと、隣の芝は青く見えるものなんです お友達の家だって、実は喧嘩しまくってる家だったかもしれないよ? 隠してたかもしれません 身体は痛い所もないのでしょう? それだけでも有難い話なんですけどね 私は毎日歩くのもつらい身体なので…。 健康な身体に生んでくれて良かったじゃない 大学行けるくらいの能力もある。 大学のお金も親が出してくれてる。 母ちゃんへの対応は、それが正解です。100点満点だと思います ちょっと駄目な母ちゃんかもしれないけど 母ちゃんも所詮人間で、完璧な存在ではないので 許してあげて下さい もう小さな子供じゃないんですから いつまでも親のせいにしてないで 自分で自分の幸せ掴みにいかないとね つーか、何で大学行ったの? よく考えて。
- larme001
- ベストアンサー率44% (271/608)
どんな人間でもこの国で生まれた以上、それなりに頑張って勉強したり、スポーツに勤しんだり、あるいは良い「人間」になろうと心がけたりすることである程度の範囲においては自分の地位や能力をコントロールすることはできます。ですが、なぜかわからないが自分の生まれた家族というもの、つまり血の繋がりだけはどんなにばんばってもかえることはできません。どれだけ自分の両親が嫌いだろうが、兄弟が犯罪者だろうが、「血が繋がっている」というだけの事実のみで日本人としてのアイデンティティが保証され、法律的にも「扶養義務」なるものが存在するわけです。 一方で、そもそも「血が繋がっていること」とその人が好きか嫌いかというのは究極的にいえばまったく違う次元の話でしょう。よく「尊敬する人は両親です」なる答えがひとつの優等生の模範解答として挙げられますが、「先生です」ならともかくなぜ「両親」が常に尊敬されなければならないのかといえば、別に尊敬しなくたっていいようにも思えます。自分を育ててくれた、、、という「義理」があるとは言えど、もしかしたら友人の○○さんのお父さんの方がはるかに尊敬する「父親」かもしれませんし、血のつながりとか社会的な義務として(ある意味しょうがなく)育ててくれた「両親」を無条件に尊敬したり、敬愛する必要があるというのは必ずしも論理的とは言えないでしょう。それなら、自分が育っていく過程で出会った別の人間やあるいは、文献等で知った過去の偉人の方などを自ら選択するほうが理にかなっているとも言えます。結局、「血のつながり」や所謂「家族」なるものを社会という制度に持ち込んでいるのはあくまで共同体として国家が管理する側としての都合でしかなく、管理される側からすればそれに論理的正当性を求めることは不可能だと思います。 以上を述べた上で、私の意見です。「敢えて」述べますと、逆に言うと「非論理的、不合理」だからこそ無条件に信じられること、信頼できること、大切にしたいことっていうのは生きていく上で必ずしも批判すべきとは限らないのです。たとえば、自分が将来絶対に苦労すると分かっていても、敢えて回り道して挑戦したい自分の夢がある人って五万といますよね。あまりに過激だと困りますが、自分の信念を持って「キリスト教」とか「仏教」とか「イスラム教」の教えに対して忠実に生きることは、決して人生の足かせになっているとは思いません。自分が人生の中でかりに「親友」と呼べる人間にでであったとしても、それはあくまで自分が「気が合う」とか「好きだ」とかを「合理的に考え」てつきあているわけで、それは一部ではいいようにも聞こえるのですが、逆に言うとその合理性が揺らいでしまうと、そういう付き合いや関係ってのは簡単に崩れてしまうということも事実なんです。両親がお互いに嫌いになったら簡単に離婚できるかもしれませんが、親と子の関係というのはどのような状況になっても、結局無条件にそこに関係をもたらします。なぜなら、「血が繋がっている」という事実があるから、そして家族だからです。ゆえに、どんなに生まれてから出会った沢山に人と親しくなって家族以上の付き合いになっても、その関係というのは合理的なお互いの納得の上で形成されたものである以上、その前提が崩れる可能性があり、逆にどんなに嫌いだろうがなんだろうが、その血が繋がっているという事実は超えられない、ともいえるわけです。 ちょっとややこしい言い方をしましたが、私の意見をまとめると「家族が嫌いなら嫌いでもいいし、尊敬できないなら尊敬しなくてもいい」でしょう。ただ、お互いがどうなろうと死ぬまであるいは死んでも「血が繋がっている」という事実は事実として存在する以上、その関係というのは本当は「どんな合理的世の中で形成してきたあなたのかかたい絆よりも切り離せない」こととして残る。そしてこの事実を踏まえて敢えて一生逃げ続けるか、尊敬できないながらも繋がり続けるか、こちらから積極的におせっかいに働くかは本人の自由だろう、ということです。人間関係そんな不合理があっても全て一人で生きるより悪いことではないのかもしれませんぜ。
お礼
一番、心にスッと入ってきました。 心が軽くなった気がします。ありがとうございました。