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「責任」が嫌い、決意が嫌い
責任という言葉が重くて嫌いです。 お菓子の食べすぎで太って、ネットで相談しても 「それはあなたの責任であることを肝に銘じましょう」という回答ばかりです。 その意見は最もであると思いますが、それと同時にその言葉に対してなぜか腹が立ってしまうことが 多々あります。 多分図星をつかれているからだと思います。(すべて自分が正しいと思い込んでしまう癖) ある程度時間がたつとイライラも収まるのですが、そこから心のなかの葛藤が始まってしまいます。 「私は今まで何をしてたの」、「全部自分のせいなんだ」など、自分を責めています。 そして、「よしがんばろう!」などの自分の決意を考え出すと凄く気持ち悪くなります。 (というか熱血っぽくて恥ずかしい、気持ちわるい) これは本当に自分でもわけがわからないのです。 まとめると、本心はいいほうにもっていきたいと考えているけど、頭がそれを拒否している・・・ 見たいな感じです。 どうすれば少しでも改善できるか、皆さんの意見を聞かせてください。
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- hyuuma8579
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同じ事柄でも、人から言われてやるのと自発的にやるのでは、責任量が違ってきます。 責任を果たすこととその結果生じる喜びの量は比例します。 つまり、人間は果たした責任量に相応して喜びを感じることができるというわけです。 したがって、同じ行動するのでも、人から言われてやることより、自発的にやった方が責任量が大きくなる分だけ、喜びという結果も大きくなって得られるのです。 だから、人から言われたことであっても、しかたなしにではなく、自発的にやる方に転換してしまえばいいだけの話です。 人から言われるという事象を利用して自主的にやることに転換すれば、責任量はMXAになりますから、気持ちもいいことでしょう。 基本的に、自己責任を果たすことは、人間なら誰であっても気持ちいいし、幸せや喜びを得る上での必要条件となるのです。 あと、後者の悩みは、自分を客観視することに甘んじています。 客観性は必要条件ですが、十分条件ではありません。 自己陶酔せよとまではいいませんが、主観作用なくして喜びは発生しません。 つまり、ただ知的に冷静に自分を見つめるだけでは、自己の成長はないのです。 知にばかり偏るということは、何かが原因で知的コンプレックスを持つに至ったことを暗示しています。 しかし実は、自己に酔うという感覚は何をする上でも重要なのです。 事の大小に関わらず、何かが人に伝わる時、同じ伝わるのでも、自分が心酔してこそ、他者にも最高に伝わるからです!! 人間の心の三機能は、知・情・意で、真理・美・善を求めていますが、客観的認識やそれに基ずく判断は知の作用ですが、やる気という意(行動力)の作用を生み出す根源は、情感性なくしては生じえません。 いい悪い(=快不快)、つまり納得は、情感性の機能です。 あなたの場合、知にばかり偏っているか、もしくは情の成長が遅れているかのどちらかが考えられますが、いずれにしても、知・情・意のバランスが崩れて不安定なのだと思います。 知的コンプレックスなど・・・何か心当たりはありませんか?
- nouten1515
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ママ 「オモチャ片付けなさい!捨てちゃうわよ!」 〇〇「うるさいなー今やろうと思ってたのに やる気なくしちゃったよ」 的な現象ですかね きっかけが無いとオモチャ片付けないのに 命令口調で言われると萎える感じの 責任・頑張る・決意ってゆう感じの言葉が嫌いなら とりあえずやってみるぐらいのスタンスでb やらなきゃいけない!ってなると、プレッシャーとか酷いですしね。 なんかしら目標が無いと頑張る方向すら分からないですし。 ネットはママ的考えの人が多いですから 正論(?)ぶつけてきますからその心構えも必要ですねw
今回のあなたのネットへの質問の回答が 自分ではわかっていることなのにそれに追い討ちをかけるものばかりだったので 腹立たしかったのでしょう だから質問はしてみたもののあなたが必要とする回答が得られなかったってことですよね 自分のせい 自分が悪いからこうなった だから頑張ろう この考えがダメなんですよね だったら今の現状から始めれば なぜこうなったんだ 自分が悪いからだ ではなく ただ今の現状をどうしたいのか どうすればいいのかって考えて見れば そしたらやる気が出るかもよ
- cafeM
- ベストアンサー率24% (233/950)
プライドが高いんじゃないでしょうか。 「根拠のない自信」が人一倍あったり、 あまのじゃくな部分が強かったりしませんか? 自分自身で「よしがんばろう!」と思えない 人間に向かって、おいそれと手を差しのべるほど 世間は甘くないし暇じゃありません。 だから、決意することは恥ずかしいことでも何でもなく すべてはそこから始まるんだと考えてみてください。 そして、決意したのが他でもない自分自身ですから、 責任を負うのも当然自分自身ということになります。 それを何度も実践し、成功や失敗を繰り返すうちに だんだんと自分のプライドや自信に根拠が生まれてくるし、 「決意」や「責任」への嫌悪感も薄れていくんじゃないでしょうか。
ストレス食いで太るタイプなのではないでしょうか?ストレスを感じやすくて繊細な方なんだと思います。 責任っていうのは、そんなに深い意味ではない(食べれば太るという程度。太ってもよければ食べればいいし、太りたくなければ食べないか運動するしかない。自分の望み次第)と思うのですが、そこを大きく感じてしまうと言うことは、食べたくて食べてるわけではないけど、そう思うとストレスを感じるから、食べるのをやめるわけにはいかないんだよ!っていう葛藤があるのではないのではないでしょうか?それか、もっと違う何か誰かの責任を取ろうとして重かった経験があるか、決意をして頑張っている人に嫌なことをされたことがあるか。そういう前向きな自分になってしまうことを、拒否しているのではないでしょうか? 何か以前に頑張っている人でとっても嫌な人っていませんでしたか?それか、嫌なことがあって自分の責任だと思って溜め込んだ経験があるとか。 要は頭ではやせたいと思っていても、心の中では、やせないでいて自分の心の何かか、誰かを否定する気持ちのほうが、ご自分の中で大きいのだと思います。人は得なことをするので、やせてもてたいと思ったら、結構すぐやせられると思うんです。でも、あなたにはそういう表面的なことよりも、責任とか熱意とかを感じることが、すごく自分をいじめることのように感じるのでしょう。