解説は、それを書いた人の解釈であって、それが正解というわけではありません。作者の解釈ですら正解とは言えないのです。
そもそも小説はどう解釈しても構わないものですし、多様な読み方ができることこそが魅力なわけですからね。
なので、解説を読んで「こういう読み方があるのか」と感心することはあるにしても「自分の考えは見当違いだった」と思うのは、なにか解説のありようを取り違えているように思えます。
ともかく、小説を読んで筋が理解できるなら、一般的な意味での読解力はあるのでしょう。それを発展させて、文学小説をもっといろんな角度から読めるようになりたい、ということであれば、それなりに文学的な技術と知識、経験が必要になります。
とりあえずソシュールの記号論(とりあえず初学者には『記号論への招待』と『はじめての構造主義』を薦めることになっている)、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』、『野生の思考』、バフチン『小説の言葉』は読んでおくといいでしょう。
小説の方は、とりあえずは日本文学の基礎にもなっている海外の作品には目を通しておいた方がいいでしょうね。元ネタを知っていれば視野も広がりますから。セルバンテス、ラブレー、フローベール、スターン、ゴーゴリ、ドストエフスキー、カフカ、バタイユなど。それに限らず、有名で一定の評価のある作品は、できる限り目を通しておきます。
小説の読書量も大事ですが、同様に、ある作品に対する他者の読み方をたくさん知っておくことも、自分の読解の引き出しを増やすことに繋がります。文学者が書いた論評なりはもちろん参考になりますが、今ならネットを使っていくらでも感想なり論評なりを調べられますから、それも大いに利用するといいでしょう。
お礼
私は小説の捉え方から勘違いしていたということですね。解釈、それは十人十色だと。そして海外の文学は、恥ずかしながら「異邦人」やら「蝿の王」「変身」くらいしか読んでませんでしたので、名にし負う作品の数々を読み散らしながら、記号論なども並行して読んでみます。 ありがとうございました。