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よい文章とは?

よい文章とは何なんだろうと考えています。 私は文章を仕事にする人間でも志望者でもなく、ただ単純に疑問に思っただけのことです。 自分で言うのもなんですが、私はたびたび人に文才があると言われることがあります。 もっともそれは素人レベルの話であって、プロとしては違った話になってくるのかもしれません。 そんな自分なのですが、確かに他の人より論理的に筋道のたった文章を書けるような気は、確かにします。 ですが、読みにくいです。 人より難しいことを書いて、なんかそれっぽく聞こえる文章かもしれません。 しかし、読みにくいんです。 自分自身今まで読んだ小説のことを考えると、難しい言葉や言い回しが並ぶ本より、シンプルでわかりやすい本のほうが読む意欲も続くし、実際おもしろいと感じていたことに気づきました。 そこで自分より文学に精通する方のご意見を聞かせていただけたらと考えました。 よい文章とは何なのかについて、自由に考えを聞かせていただけないでしょうか? ご回答よろしくお願いします。

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noname#113694
noname#113694
回答No.3

>よい文章とは何なのかについて、 「達意の文」 http://blogs.yahoo.co.jp/jngwk691/47785171.html 「文学」の文は、上に加えて「美しい文章」でなければいかんと思いますが・・・。

noname#105596
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 やはり私が感じていたとおり、言いたいことがわかりやすい文章がいいんでしょうかね。 とても納得できる記事でした。 ご回答いただきありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.7

 回答番号:No.1、2,4です。  昔、岩淵悦太郎さんでしたか、悪文というのを出しましたね。  無論かの方も、質問者の仰せの、“質問者より文学に精通している方”だとは少しも思いはしていなかったでしょうが。  国語学のかたでしょうね。  判決文のいくつかを例に挙げて、ご論説されていました。  法律や判決文は理性があれば、悪魔にも通じるべきものとして作成されます。  国語学や文学のいういい文章とは視点的、そして機能的に異なります。  それでも文脈が整除されていなくて、通じないようでは正に悪文であり、且つ、判決文としては役目を果たせません。  しかし、気分にうったえるものではありません。  そういうところは多分詩歌(しいか)や小説、ないしはジャーナリズムのものとはことなるでしょう。  でも国語のルールを出てはいけません。  国語学がいう読みやすさは二の次にしても、リズムと格調がないといけません。  そういう意味では、判決文には非常に文学や国語にご造詣のあるかたが携わっておられます。  つまり判決文は読みやすく、分りやすい文章が多いと存じます。  例外があることはありますが。

  • kollagen
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回答No.6

誰にとって、どのように「よい」のか。それによって違ってくるかと思いますが‥‥。 わたし自身が文学を学び、心掛けていることとしては、ただ「声に出したときのリズム」です。音楽をやっていたからかもしれません。 ほとんどの人が文章を目で追いながら、頭の中で音として文章を捉えています。まずは、すらすら読み進めてもらうこと。それができなければ意味も入ってこないと、わたしは思います。 語呂がわるくてしつこい箇所はないか、逆によすぎて気持ちがわるい箇所はないか、似たような響きのことばばかり使っていないか‥‥。 実際、文豪とよばれる人たちの文章は、声に出しても自然です。 どうでしょうか。 あっ、わたし文学に精通はしていませんが、こんなふうに感じました。

noname#105596
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 ご回答を拝見して、とても納得できるものがありました。 私の文はしゃべるときと書くときで全然違います。 そこなのかなぁと感じました。 ご回答いただきありがとうございました。

noname#113694
noname#113694
回答No.5

3番です。 分り易い文章=平明シンプル ご質問に「文学」という言葉が出てきました。 そうすると、分り易いだけで済まなくなってきます。 しかし、美しい文を書こうとすると、なんだか美文調になっていやらしくなってきます。 下の丸谷才一の文なんかはいかがでしょうか。 わかりやすく、気取ったところがなく、美しい文章です。 「ですます調」と「である調」が、入り混じっている文もありますが、違和感なしですね。 「丸谷才一」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E8%B0%B7%E6%89%8D%E4%B8%80

回答No.4

 回答番号:No.2  私も50年前から10年間は大学などで法学専攻。  憲法と法哲学、そして刑訴と民法は必要と関心から、一生懸命やりました。そのための4年+αです。  分り難いよりも、日本人の心性リズムには真新しいのでしょうね。  回りくどいのです。  主語と述語を明確にすればいいのですね。理屈と事情、経過をごたごた言いすぎです。  その点では、帝国憲法の文章とリズムはいいけど、話し言葉ではない。  伊藤博文の義解(けんぽうぎげ)も簡略ですね。  宮澤さんのコンメンタールは量が多いですね。  自分で勉強させればいいのに、親切ですね。  判例法での憲法の方が信頼できますね。

回答No.2

 それと、古今東西の聖典の文章はたいへん素晴らしいと存じます。  でもその翻訳したもので成功しているものは見受けられません。  原文にかぎります。  しかし英文でもバイブルはところどころ、失敗がありますようで。  以上のことは尊敬している、親しい先輩の筆になるものでも、原文の迫力にはとても敵いません。(かないません)  翻訳とは全く、新たに書き起こすことでもあるのかと、思うことが屡です。(しばしば)  ロマン・ロラン  「ほんの十二人そこそこの間の知己と思っていたのに、この数年にクリストフは靴をすり減らして世界中を旅してきた。久しぶりで出会うと、『君がクリストフか』と訊ねるものである。まったく様子も容貌もクリストフとは思えない」

noname#105596
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 >翻訳したもので成功しているものは見受けられません。 日本国憲法の文書は英語の日本語訳で作られていることはご存知でしょうか? そのせいか、日本語的な言い回しではない、わかりにくいと感じられる点が多くありますね。 そのことを思い出しました。 他の回答者の方もおっしゃるように、言いたいことがわかりやすく、それでいて美しい文章がよい文章なのかなと感じました。

回答No.1

「質問者さんより文学に精通」しているわけでは無論ありませんので投稿する視覚はありませんが、心がけているのは人の理解や受け入れ、あるいは心のリズムとつながりを配慮したいと存じております。  無論、その仕事をしているのではありませんが。  ジャーナリズムや歌人などの文章、そして性格の明るい人の文章は入りやすく、飲み込みやすいですね。  それは結果であり、苦労されているのでしょうね。

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