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医師という職業に関して
医師は3人殺して一人前と言われているそうですが、どう思いますか。 やはり注意して罹った方がいいでしょうか。 医療の裏に関して教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者の意図が分からないので、どう 回答しようか 迷っています。 質問者は、医師は手術中に何らかの細工をしてでも、患者を殺して、自分が一人前になるためのことをしているとお考えでしょうか?それも、公に認められていることで、罪にはならないと。 ならば、多くの一人前の医師は既に3人ほど殺して一人前になっているので もう殺す必要はないので安心してお罹りください。ただし、その医師が3人ほど殺したかどうかは公にされないので、ひょっとすると質問者が3人目の患者になるかもしれませんね。その時は、医学の進歩のためと 諦めてください。 というのは冗談で 他の回答のように、いろいろな経験をした医師のことをそういってきたのです。 多くの医師が、まじめに治療に取り組み、診察をしています。 もっと医師を信頼しても良いと思いますが。
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- aokisika
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>医師は3人殺して一人前と言われているそうですが、どう思いますか。 それは医学のどの教科書に書いてあるのでしょうか?あるいは医師の認定医か何か医師の能力判定の基準にそのような条項があったのでしょうか? 小説や漫画の中でならそのような話は読んだことがありますが、実際の医療の現場で3人殺して一人前というのは、寡聞にして聞いたことがありません。 どこからそのような話が出てきたのかお教えください。
お礼
aokisika様、ご回答ありがとうございます。 以前、医療者のブログか何かに書いてあり、的を得た言い方だと感動して納得しました。 私は小説を読んだことはありません。 投稿すれば、更に具体的な例え話が聞けるかも知れないと思いました。 知ってどうするのか?---自分なりに納得したいです。現在は宗教・哲学・文学からそれ以上の慰め・悦びを得ています。人間が当てにならないものだということはわかっているつもりです。 すべての医師が劣悪な行為をしているわけではない(劣悪の規定も難しいですが) すべての医療行為が無意味な訳ではない------医療者はこういった議論をするためにいるのではなく、このタイプの議論をしているのは医療哲学・宗教・文学関係者なのが現状です。 医療者は個別の医療行為にしか責任をもっていません。ですので、医療全体論は医療界には実際は存在せず、個別の医療行為の契約内でしか議論はできないのです。(○○医療というものは存在せず、○医師と○病院の○○という医療行為というものしか存在しないのです)しかし、別の言い方をすると、そういう理屈で医療において、個別に2~3人位は葬られていると私は思うのです。その件に関しては、他の医師同士は関係ないということで別々にカウントされています。 今は医療関係者も含めて広く意見を伺いたい心境です。
- kitakanjin
- ベストアンサー率35% (215/612)
ERとか野戦病院のような修羅場ばかりでなくとも、死に至る病の患者を最後までじっくり診る事により医者はいろいろな事をその患者さんから学び、次の患者の診療に役立てるものです。 自然に治るような風邪とか湿疹ばかりを診て、1人も殺さない(死ぬ迄患者をを診療したことがない) 医師に、いざという時に貴方は自分の命を預けられますか? 「3人殺して」と言うのは、比喩的な言い方で、それだけ経験が豊富だという事です。 勿論、本当に駄目な医者もいますが。(どの世界でも同じ事)
お礼
>自然に治るような風邪とか湿疹ばかりを診て、1人も殺さない(死ぬ迄患者をを診療したことがない) 医師に、いざという時に貴方は自分の命を預けられますか? 自分は○人殺した、ひどい人間だ、と正直に言うべきだと思います。 言わないのは良心が歪んでいるからでしょうか? 考えたら仕事にならないからでしょうか? 医者の仕事って何でしょう?考えない事?神経を麻痺させる事? こういう仕事も必要なのは頭では分かりますが、宗教的・哲学的には大変疑問です。
- USB99
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助けようと思っても全員は救命できません。他の医師なら助けられたのか? 他の方法なら助けられたのか?そう自問し悔しく思ってさらに勉強して一人前になるという事であり、裏などありません。 もちろん、他医師の失敗は何よりいい教訓にはなりますが。
お礼
人間は医療に期待しすぎていると思います。 日本では医療に期待して無宗教というのは非常におかしい。 神は信じられないが、医者は信じられるというのは無理があります。 ご回答ありがとうございます。教訓という用語、倫理的だと思います。 自分のためなのか、助けるためなのか、仕事が助ける結果になっているのか、 自分のためにもなり、仕事でもあり、助けることもできて、良い結果が得られるのか 助けるとは何なのか.....考えれば考える程宗教であり哲学であり、科学なのか疑問に思います。 医師はどこか麻痺していると思うのですけれど。
お礼
>それも、公に認められていることで、罪にはならないと。 ならば、多くの一人前の医師は既に3人ほど殺して一人前になっているので もう殺す必要はないので安心してお罹りください。ただし、その医師が3人ほど殺したかどうかは公にされないので、ひょっとすると質問者が3人目の患者になるかもしれませんね。その時は、医学の進歩のためと 諦めてください。 宗教は隣人愛を説き、上着を取られたら下着も与えよと説きます。 医学の進歩のため諦めよというのも、医療分野でも宗教的発想なのかもしれません。 >多くの医師が、まじめに治療に取り組み、診察をしています。 ちょっとの事で、まいってしまったら務まらないので、麻痺する位のタフさが必要なのかもしれません。 真面目=動じない 取り組む=麻痺している という図式なのかもしれません。 お答えありがとうございます。 他の二人の方にも、お礼申し上げます。最初の方には、何だか不十分なお礼で申し訳ありませんでした。 こう書いても感謝していることには変わりありませんのでお礼申し上げます。