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神経質で気が小さいのは治らないのか?
生来の気の小ささのため損ばかりしています。 小さな頃はいくら努力しても、発表会などであがってしまい惨めな思いをすることが多々ありました。 現在、社会に出ても性格の根本は変わらずです。 毎日のように、何かに悩み、ストレスがたまり、気苦労が多い日々を送っています。 性格を変え、図太くなる方法というのはないものでしょうか? いい加減、自分の性格に嫌気がさします。
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気が小さくなった原因があると思います。 赤ん坊でオギャーと生まれてから、怖い経験をした時の記憶が残ってる場合もあります。 「三つ子の魂百までも」といいますが、本当に一生、無意識レベルに残ってしまうものだと思います。 思い当たる原因を「原体験」といいますが、思い出して、責任の所在をはっきりさせることだと思います。 心労が重なる体験を数多くされていると思いますが、「私はあの一件で臆病になったんだ」と原体験を明らかにしたほうがいいと思います。そうすることで一時的に人のせいにする気持ちも起きてくるかも知れませんが、今までのように自分ばかりを責めて暮らすことが無くなってくると思います。 どんな名車だって走り続ければガタがきます。そしてガタが起きた原因だってあります。ただ原因を嘆くのではなく前向きに修理する気持ちになることが大切だと思います。そうして疲れた自分を許して、現状の自分を受け入れる準備が出来ると思います。 あとは各心理療法を取り入れているカウンセリング、療法家を訪ねるのもいいと思いますし、語呂合わせではないですが「気功」を学んで気を強く持つ鍛錬をするのもいいと思います。 「気が小さい」のが気功で治るかどうかはわかりませんが、精神安定、普段緊張でアンバランスになってしまった自立神経の調整、その他数え切れないほどの効用が得られると思います。 自分を許して、ちょっとだけ前向きに動き出せれば、もう「図太くなった」といえるのではないでしょうか。
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- kyoromatu
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こんにちは。 そっか~それじゃとても疲れるよね~・・ でもそんなことで時間費やしてたんでは、 せっかくの一度きりの人生、勿体ないよ!! >性格を変え、図太くなる方法というのはないものでしょうか? あります! 一言で言えば、意識を変えることです。 簡単なことです。 ただ自らを、何が何でも変えるんだという、強い信念のもと自己意識の改革を実行しなければ、絶対変わりません。 ただそれだけです。言わずもがな、マニュアルなんてありません いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識で解決させることはできません・・ もう少し、物事をシンプルに考え、割り切るテクも磨きましょう。 あなたに10ケの悩みがあったとします、小生にも全く内容の同じ10ケの悩みがあったとします。 おそらくあなたは、10ケの悩みに見えるのですが、でも小生は1ケに見ます。 横に並べて横から見るか、立てに重ねて真上から見下ろすか・・ そう出来るだけ単純化することです。 小生のHNクリックしてコメントを見て下さい。 私流の割り切り意識改革のオススメの言葉を10ケ 用意してありますので、気に入ったものがありましたら どうぞお持ち下さい。 その言葉を念じながら、たまに水シャワ-でも 浴びたら、絶対図太い人間になれますよ。 ガンバレ~~
- gutugutu
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私は無神経で、デリカシーがなく、ずーずーしい奴が大嫌いです。つまり貴方の様な人の方が好きなタイプなんです。私のような者もた~くさんいますから。 頑張って下さい!
お礼
回答ありがとうございます。 そう言っていただけると嬉しいです。 励みになります。 ありがとうございます。
上手く表現できないのですが、もしできるのでしたら、演劇をやってみることをお勧めします。他人を演じること、その心を考え表現すること、頭で考えるよりも、「開放感」があります。なにより、変身願望を満たしてくれると思います。でも、毎日の生活の中で、自分を演じていない人というのもいないと思うのですが。たとえ他人が図太く見えたとしても、その人にはやる事がはっきり決まっているだけだから、迷わないのでしょうし、その人だって絶対悩みはあるはずですよ。神経質だということは細かなことに気がつくということですし、危険な作業をするに当たっては、欠かせない性格であると思います。前向きに捉えてみてください。長々とすみません。
お礼
>もしできるのでしたら、演劇をやってみることをお勧めします。 演劇は高校の時にやったことがあります。 セリフを覚えるのは大変でしたが非常に充実した時期だったと思います。 確かに、演劇は開放感があり、変身願望を満たしてくれる部分があったと思います。 しかし、仕事のことなど考えれば残念ながら演劇は現実的ではないようです。 >神経質だということは細かなことに気がつくということですし、危険な作業をするに当たっては、欠かせない性格であると思います。 これは、言えてると思います。神経質がプラスに働く部分も少なからずあると思います。 回答ありがとうございます。
- nes_
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こんばんは。 >いい加減、自分の性格に嫌気がさします。 とてもたくましいお言葉です。しかし、自己否定までしてはいけません。自己否定は他者否定、その他すべての否定にまで及ぶので、落ち着いて人の話が聞けなくなる、強情な人間(それを不良と呼ぶ)になります。 ideaismさんのような誠実な人(苦悩と思慮深い人)は、社会が最も求めている人材です。なぜなら、確実に仕事をこなす最も信頼できるタイプだからです。そういう人間が組織には不可欠です。ただし、それがプレッシャーになることは、大いにあり得えます。なぜなら、その過敏な気質は、さまざまな外的刺激によって絶えず振り回され、へこまされ、動揺を受けるため、「安定」しないからです。ネガティブな言い方をすると、その「不安定」さこそが、組織にとって都合が良いのだとも言えます。 非常に微妙な言い方になりますが、その性格は、現代社会では最も不利であるが、最も有利な性格なのです。まず、この性格のメリットとデメリットを受け容れることが肝要ではないでしょうか。そうしたとき、初めて「自信」が生まれる。自分の意志によって、そのゆるぎない特質である、誠実さ、堅実さをいかんなく発揮してください。 この性格による苦悩から解放されたいとおっしゃるかもしれません。しかしそれは簡単なことです。すべてを投げ出せば良いわけです。すべてを投げ出して、「無」にすることはそういうことなのです。ideaismさんの今の希望は、まさにそれと同じようなことです。しかし、それは間違っている。あきらかに間違っている。財産や、周囲の人たちだけでなく、無形の歴史をも否定することになる。いったい「無」から何が生まれるのか。私にはわかりません。 努力する限り、人は悩むものではないですか? もちろん、いろいろな方法によって、結果的に性格が変わることがあるかもしれません。しかし、それを「変えよう」と思った時点で、自分に敗北することになります。これまでの人生のプロセス(つまり自己そのものを)を放棄し、人造人間みたいな、冷酷で贖罪意識とは無縁な人間になろうとすることは、野蛮としか言いようがない。もし、意図的に変えられるものがあるとすれば、社会そのものです。自分を変える力よりもずっと少なくて済むし、しかもそっちの方がはるかに意味のあることです。 ideaismさんのような人が生きやすい社会に変われば、どれだけ、私を含めた多くの人が生きやすい社会になるか、どれほど信頼と連帯に満ちた社会になるか、わかりません。だから、私はideaismさんのような信頼できる人がもっと側にいれば良いと思っています。
お礼
なるほど。 気功ですか。 調べてみようかと思います。 ありがとうございました。