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叱る・注意≠愛情

私はいま大学生で、寮に入っています。 寮にはたくさんの規則があって・・・・・・ その規則を破ると怒られるし、 上級生はそれを知ったら注意しなければなりません。 好きで言ってるわけではないので、ひねくれただけかもしれません。 叱る・注意する=愛情、その人のためだとは思えません。 寮内の「わ」を乱したから。その責任を問われている。 注意する立場である自分がなめられないため。 としか思えないのです。 同時に、自分が叱られても相手からの愛情はあまり感じられません。 叱る・注意する行為は時に二人の間を引き裂くこともあります。 が、上手な叱り方は学びました。 どうやったら「叱る・注意する=愛情・その人のため」 だと思えるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.4

確かに、そうだと思います。 今のその状態では、単純に規則だから、という事でやってるんでしょう。 でも断言しますよ。 規則を守る事を、学生のうちに学んでいる人は、社会人になって非常に 生きていきやすくなります。 規則を守る事を教えて貰わずに大人になった人間は、その後社会で非常に 辛い目に合うしくみになっています。 そういう意味で、直接その上級生が愛情があるとかないとかの問題ではなくって 「規則を守らせる」という校則(寮則?)の中に、学生の将来に対する心配と愛情が こもっていると見るべきでしょうね。 ※※※ 「叱る・注意する=愛情・その人のため」 が体験できるようになるのは、社会に出てからになりますね。 社会では逆に、人は叱ってくれません。 仕事に忙しいので、できないヤツは自然淘汰ですし、その理由さえ教えてくれません。 日本の社会は特にそういう点、冷酷です。 だから「わざわざ叱ってくれるのは愛情」である事がわかるのです。

  • motio112
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

そもそもなんですが、 質問者様は規則に不満を持っているんですか。 ならその疑問は寮の管理者に聞くべきです。 規則があるんですよね。 その規則には作った人がいるんです。 意味があって、守ってほしいんですよ。 質問者様が規則に納得すれば得ですね。 守ることに意味があるならそれを教えればいいんじゃないですか。 守ることで誰かがまたはどこかで、良いことがあります。 ちょうど親が子に歯磨きしなさいって言う感じじゃないですか。 歯磨きするのは虫歯にならないためなんだよって。 あとは あなたが優しく注意すれば その人は後から誰かに厳しく叱られないと 思えばいいのではないでしょうか。 あなたが注意して その人は規則を守り続けたら それはその人のためじゃないですか。

回答No.2

個人的意見です。 べつに「叱る・注意する=愛情・その人のため」と思えないでもいいのではないでしょうか。 この世には「愛のある叱り」と「愛のない叱り」があると思います。 すべての叱りが愛のあるものだとは限らないと思います。 それとも 「愛のない叱り」を「愛のある叱り」と思えるようになりたいという意味でしょうか。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

まあ、学生生活においてはありがちなことかもしれないけれど、そもそも規則を破っただけなら「注意」だけで済みますよね。「叱る」必要はありません。注意だけなら、私もいまだに赤の他人にだってしますが、丁寧に、具体的に、代替え案を示しながら、お願いすれば、たいてい快く理解してくれます。しかし、理不尽な先輩や先生を見られるのも学生のうちかもしれませんね。大人になってまでそれやってると、ただのバカだから。

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