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原発の謝罪について
原発の謝罪では、現在の社長などが矢面に立って土下座などしているようですが、過去の責任者などはどの様な謝罪を行っているのでしょうか? また、その責を問われることはないのでしょうか?
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謝罪は日本村の風習のようなものです。 いはばセレモニーで、これがないと次に進まないお祭りの段取りのようなものでしょう。 不祥事を起こした政治家がよくやる「みそぎ」に似ています。 被害者はそれで感情を収めることになっています。 もちろん問題はそれだけでは何も片付かず、 責任問題の本質ではありません。 これから事故の真の原因を突き止める作業が始まるはずです。 そこで過去の責任者たちがその責を問われることになると思います。 長い道のりになると思います。 辛抱強く見守りたいと思います。
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- DOCTOR-OA
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政府や東電に謝罪を要求しても何の意味はありません。 今回も被害者に土下座しろと言われ、社長がしました。 なので被害者は納得しないとお可笑しな話になります。 日本は不祥事が起こるとTVの前で当事者が揃っての謝罪で なんでも治まってきた風潮がありました。 なんとも不思議な光景です。曖昧文化の象徴! 全てがTVのショーでしかありません。
- eikowings
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これから、東京電力に対する民事訴訟と刑事訴訟が来ることは明らかです。 ですから、司法の場で、色々な事実が明らかにされると思います。市民団体が、告発するらしいですから もし、東電の旧経営陣が起訴されれば、ある程度は明らかになると思います。問題は、司法が、起訴してくれないで、不起訴とか勝手に判断することだと思います。 それから、旧経営陣は、逃げて出てこないでしょう。 逃げないで、テレビに出てきている人は、石川迪夫という原子力村のドン位です。 加納時男という東電出身の自民党の議員は、雲隠れ、ホームページなど閉鎖しています。
- onioni1999
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個人じゃなく法人として謝罪してるんだから「今の代表者」じゃないと意味がない。 社長が謝罪してるのは社長個人の責任ではなく法人の代表としての責任。
- Yuu197904
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社長が個人で責任を取るのではなく、 責任者として会社を代表して頭を下げるのですから、 現在の社長が出てくるのが正しいと思います。 例え代表者であっても、 大きな企業にあっては何でも思ったとおりにやれるものではありません。 組織の中の様々な意見が微妙な力関係を背景に絡まり合って、 結果として様々な判断が行われるのです。 ですが、それでも、これだけの問題が起こったのは経営者の責任が大きい。 だから、社長が頭をさげるわけですが、それは社長であるからで、 今社長でない人が頭をさげることには意味がありません。 個人としての責任と組織を代表しての責任は区別しなければならないと思います。 極めて重要な社会インフラを維持しつつ、多くの人々の生活を支え、 かつ、人命に関わる判断を行わなければならない。 どんな強靭な精神の持ち主でも、一人の人間が抱えられる負担ではありません。 重要だからこそ、問題があったのは組織であり、人ではなく組織のあり方を議論しなければ、 『罰して問題だけが残る』状態になってしまいます。 責任論などことが構成の歴史研究者あたりにやってもらえばいいことで、 今は東電の会社組織のあり方と、そもそもの日本のエネルギー政策のあり方について、 真剣に検討すべき時だと思います。 別に東電の社長や歴代の経営者をかばうつもりはありませんが、 罰したところで跡の祭り。責任をとらなくていいという話ではありませんが、 それよりも重要なこの先のことを考えないで、責任論に終始するなら、 日本人は救いようのないほど現実的な処理能力ない人々として世界中の笑いものになることでしょう。 (あんまり回答になってなくてすみません)
- yukaru
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>過去の責任者などはどの様な謝罪を行っているのでしょうか? >また、その責を問われることはないのでしょうか? 過去の責任者というのは原発の危険性を認識していながら、好き勝手電気を使って原発まで建てさせた東電の利用者のことでしょうか? たしかに福島県民に土下座でもするべきかとは思いますが、そういう話は聞いたことありませんね、恥知らずばかりということでしょうね
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回答いただきありがとうございます。 過去、原発の危険性が指摘されつつも、安全と言い安全管理を怠っていた組織についてです。
お礼
回答いただきありがとうございます。 私も、 「問題があったのは組織であり、人ではなく組織のあり方を議論しなければ、罰して問題だけが残る状態になってしまいます。」 まさに、この点を思ってこの質問をさせて頂きました。 例えば、年金問題でも処分が甘すぎる気がしています。結局、不祥事の損失は過去の責任者は負担せず現責任者と国民負担になっています。 結局の所、責任の所在がただの運・不運となってしまっているような気がしています。仮に、不祥事や不明瞭な点を見つけても自分がトップである間発覚しなければ良いだけであれば、組織の仕組み上、その問題には触れず次の人に席に譲ったり隠蔽への圧力がかかるのではないかと思っています。 東電については、これからなので何も言えませんが、年金問題であれば、あれほどの規模で、東大卒など優秀な人間がごまんといながら、誰1人として気づかなかったとは思えないのです。 その頃と、今の話が全く同じように思えて、誰か1人矢面に立たせて、マスコミもそれだけに注目して、嵐が過ぎるのを待っているように感じています。