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苦悩する17歳の女性、自身の違和感と孤独感について
- 17歳の女性が自身の違和感と孤独感について悩んでいます。
- 新しい環境で友達を作ることに苦労しており、話相手が欲しいと感じています。
- また自己評価に対する過剰な気遣いにより、眠る以外は他人の評価ばかりを気にしていた過去があります。
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こんにちは。40代男性です。知的な文章で素敵です。 あなたがおじさんと違うのは、一日の大半を「客観視」することに費やしている点だと思います。つまり、焦点が“自分”に向かっているのです。おじさんの場合は、自分のことは度外視して、『あ~、あれをしなくちゃ』とか『あの人には、こうしなくちゃ』とか考えている時間がほとんどです(いや、大半はぼ~っとしています)。すなわち、【没我】なんです。自分の行動について考える時でも、それは自分自身(=自分の人格・性格)とは切り離して、単なる行動・行為という客体について考えているのです。行動や行為は自分自身とは何の関係もないのです。 あなたは反省する時、自分自身(人格や性格)をはんせいするでしょ。僕は行動・行為を反省するんです。 うつ病うんぬんというのが目立った特徴なので、そこに目がいきがちですが、17歳という年齢なら、「自意識過剰」になるのは自然です。みんな通過してきたんです、違和感も。だから心配いりません。 興味のある話題について、誰も聞いてくれそうにない。寂しいですが、オトナになればそれが普通だと思ってきます。特殊な関係の異性となら可能かもしれません。あなたにしか、あなたの人生は生きられないのです。そのことに誇りを持ってもいいでしょう。「他人は自分のことをわかってくれなくて当然」なのです。わかってくれる人が現れたとしたら、それはとても幸せなことなのです。逆に、「自分は他人のことを本当に判っているだろうか?」という疑問が湧いてこないでしょうか。自分を度外視して、他人をどこまで理解することができるか挑戦してみるのも無駄ではないでしょう。そうすれば「共感」という絆で結ばれた“世界観”が持てるでしょう。 http://www013.upp.so-net.ne.jp/kata-kuriko/m02.html http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/014taijinninti.html http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/013kizoku.html http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku039.html
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まだ締め切られてないので謎解きにチャレンジします?まだまだ引き出しはいっぱい持ってます。だから回答します。 http://www.1101.com/essay/2000-11-22.html 「要約おかん」的に言うと、今回の質問はどうなるのでしょうネ?…「また、うつ病になってしまうのではないかと不安です。誰か根本的な解法を知りませんか?普通の基準から外れているとか、諸々の感覚(症状)があります。打ち明けますので、参考にしてもらって、何かヒントを下さい、助けて下さい!」…とまぁ、こんな感じでしょうか? http://www.forgiving.jp/depression.html 僕が注目するのはこの部分、「心を緩慢にすることで心を守るのです。心が壊れないようにするための当たり前の防衛方法ですが、喜びも悲しみも緩慢になってしまいます」。嫌な感情あるいはストレスから身を守るために、心(情動)を緩慢にすることで防衛しようとするわけです。感情が平板になるのは、その結果であって、原因ではないのです。この前「感動力」うんぬんと述べたのは、“扁桃体 委縮”(検索)が原因かな?と思ったからで、使わない筋肉が衰えるのと同じで、鍛えればいいのでは(素人の発想‐でも自信あり)と考えたからです。 ではどうすれば…に対しては、この部分、「心が壊れないようにするための防衛を取り払うことは容易ではありません。ただ取り払うのではなく、そもそもその防衛が必要の無いものであることを認識したり、自分の弱さや不完全さを受け入れたり、許したりして行く必要があります。」 嫌な感情だけが緩慢になってくれればいいのに、楽しい感情まで緩慢になってしまうとは、トホホですね。
お礼
要約おかん的に言うと「生きにくい原因とその対処法」ということになりますかね。一言で言うとそういうことだと思います。 うつ病はもう繰り返すものだと半ば諦めた気持ちもあります。治った気がしないのです。 普通の基準から外れていることはもちろんですが、他にも問題が多すぎて対処しきれません(笑) >心(情動)を緩慢にすることで防衛しようとする 確かにそうかもしれないです。心全体を緩慢にしているのかは分かりませんが……。 それが幼い頃に身につけたものだとしたら、防衛を不要と判断し実感するのは非常に難しいことに思いました。医師の指導を仰ぐしかなさそうですね……。 ご回答ありがとうございました。
ちょっと気になったので。。。 >人間としての土台がぐらついているような気がするのです。 これはつまり、統一された自己像が確立されていないってことですな。まぁ17歳なら当然ですが。>今は新しい環境に馴染もうとしているところです…今春から大学生なのかなと思っていました^^;。僕は〇〇部部員であるとか、〇〇家の娘であるとか、所属でアイデンティティーが形成される面もありますし、何か感動した原体験が貴女と貴女以外の人物との差異として意識され、それがアイデンティティーの核になる場合もあるでしょう。僕は一般的には判断基準のオリジナリティーが土台としてふさわしいと思います。各個人の判断の根本には、好き嫌いという感情が必ずあって、それに理屈が肉付けされています。「犯罪がなぜいけないか?」の問いには、「イヤだから」という感情の裏打ちがないと、いくら理屈で説明しても説得力を持ちません。 友達と会話している時の自分と、ひとりになった時の自分で全然違う、わたしは二重人格ではないだろうか?こういう、自己同一性に対する不安を訴える人もいます。安定した自己のイメージをキープするには、安定した感情の発動が必要だと思います。そのために、僕がお勧めするのは「感動力」の訓練です(こんなことを発想したのは、今がはじめてです)。テレビドラマを見て泣いてみる、他人に共感できるようにその人の立場になって感情をトレースする、そうやって意識的に「感動力」を呼び覚ますのです。 僕の回答を見たら、もっと感動してもいいと思ったのに、それほどでもない反応だったので、そう感じたのです。感情も訓練次第で鍛えられます。心豊かに、ビビッドに生きたいなら… http://homepage3.nifty.com/sbtetuya/whatikizurasa.html http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1453354239 http://prayforjapan.jp/i/tweet.html http://nakeru2chmagazine.jpn.ch/
お礼
>統一された自己像が確立されていない 人によって接し方(性格)を変えるのでそのせいかもしれません。 嫌われないために人に従いがちなので、一貫した自分の意見を表現しないということもあります。 私はどうも羞恥や恐怖の気持ちが大きく今までそれを押し込める訓練をしてきたのですが、あまりよくないことだったのかなと思います。 >各個人の判断の根本には、好き嫌いという感情が必ずあって、それに理屈が肉付けされています。 なるほど、と思いました。 好き嫌いの感情を抑圧したら統一された自己像を確立できないのも当然かもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
補足
書き忘れたことがあるのでお礼の内容に補足を。 >僕の回答を見たら、もっと感動してもいいと思ったのに、それほどでもない反応だったので、そう感じたのです。 本当は嬉しいのですよ(笑) 褒めてもらえたうえに勉強になるなんて、自分にとってこれほど気持ちのいい会話もそうそうあるものではないと思います。 ただ自分の素直な感情を表現することに抵抗感があるのでそっけない文面になってしまったのかもしれません。 私の感情が他人より平板である可能性も否定できないですが……(笑) 意識的に感情を抑圧できたのだから意識的に呼び覚ますことも可能かもしれませんね。 今更ながら思ったことを。 gadgetdesuさんのご回答は詳細で的を射ているのですが、そういう分野のお仕事をなさっているのかな?と思いました。 これは独り言程度に受け流してください(笑) それでは。
追記;参考に http://okwave.jp/qa/q4551152.html http://yaplog.jp/flairkoji/archive/94 不確実さ”が、脳の栄養源 http://blog.livedoor.jp/frontier1221/archives/cat_1406674.html創造性豊かに
お礼
ありがとうございます。非常に面白い内容でした。
締め切りに間に合って、良かった! それにしても、良くできた質問文ですねぇ。自分の悩みをこれ程ニュアンスを損なわずに表現できるものではありませんぞ。お主、なかなかやるなぁ(笑)。僕がここまで入れ込むのは、貴女が知的だからです。僕が何かを言うと、その意図したことを越えて、その奥にあることまで理解してしまう、そんな能力を感じるのです。ひょっとして文学部? よくよく考えてみると、「自分には何かが欠けている」と感じること自体は、しごく健全な悩みではないかと思えてきました。たぶん、その問題をクリアしても、また何か問題を見つけてきては悩むんだと思います。悩むことこそが貴女の本質では?^^「自分は偽善者ではないか?」「見せかけの思いやりのような気がする」、こういう感覚は理想を求める青年期の若者なら、持っていない方がおかしいくらいの疑念ではないかとも思います。 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/08/0.html 他人の心を先読みして、それに応えてしまうのも、よくあることです。 そろそろ結論だして終わりにしないとネ。。。 たぶん、これがいちばんピッタリかな? http://www.katotaizo.com/lecture/index.html 「本当の『自分らしさ』とは何か」
お礼
褒めてくださってありがとうございます(笑) 一応文学部志望の受験生です。 >よくよく考えてみると、「自分には何かが欠けている」と感じること自体は、しごく健全な悩みではないかと思えてきました。 確かにそうですね……。言われてみればそうだと思います。 欠点があると感じるからこそ人間は努力するのでしょうし。 そう感じること自体は健全なことですよね。 「人間として大切なもの」が欠落していると感じるから不健全に思えるのでしょうか。 少し深刻に考えすぎている気がしてきました。一人でいるとどうも泥沼にはまってしまうようです。 >たぶん、その問題をクリアしても、また何か問題を見つけてきては悩むんだと思います。悩むことこそが貴女の本質では?^^ でしょうね(笑) 生きている限り何かしら問題に気づいては悩み続けるのだと思います。 悩むこと自体は人間として至極健全なことですよね。程度が過ぎるとよくないのかな……。 自分を苦しめている原因を早く探し当てたいです。 ただ開き直ることもあります。 しない善よりする偽善だと思っているので。 書いているうちに思い出しましたが、人間としての土台がぐらついているような気がするのです。 これはどんなに考えても答えらしきものを出すことさえできませんが……。 いつものことですが、深く考えていくとだんだん分からなくなっていきます(笑) ご回答ありがとうございました。
質問者という立場には、いつもこのような不満が付きまといます。 http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/settoku5.htm 「自分で決めた」、「自分で選択した」、このような感覚を僕は“主体感”と名付けました。 がどこへ向かうのかあらかじめ決めない(誰かを悪者にしない)ナラティブセラピー的に回答したかったのですが、どうも下手クなようです。 http://tokyo.cool.ne.jp/jaca2001/mondai.htm 回答がほめられたとしても、それはマインドリーディングがそうさせているの部分もあるのではないかと思っています。 どうぞお礼コメントで、気を使わないでください。 黙って、読んで、心の中で参考にしていただければ、僕はそれでじゅうぶんです。 しつこい、という点では僕も神経質かも(笑)
お礼
>がどこへ向かうのかあらかじめ決めない(誰かを悪者にしない)ナラティブセラピー的に回答したかったのですが、 私のスタンスとしてはそういうつもりでいます。誰かを悪者にすると本質が見えにくくなってしまうと思うので……。 ナラティブセラピーというのは初耳です。 マインドリーディングとご回答を褒めることがどのように関係するのか考えましたが、どうも調子が悪く理解が追いつきませんでした。 URLを読む限りではマインドリーディングは相手の表情や言動を悪いほうにとってしまうという風に解釈をしたのですが……。 >どうぞお礼コメントで、気を使わないでください。 黙って、読んで、心の中で参考にしていただければ、僕はそれでじゅうぶんです。 私の性格が滲み出てしまいました(笑) 気を遣わない……難しいですが(笑)、また気を遣いだしても温かく受け流していただけると嬉しいです。 ご回答ありがとうございました。
連休で暇ということもあり、また回答させて下さいネ。 >幼少時から人に優しくするのが苦痛でした。人に優しくすることは自分が忍耐を強いられることとイコールだと考えているからです。 見えない地下茎で何かと何かが結ばれていると、他人からは不可思議な反応に思えます。なぜ優しくするのが苦痛なのか?なぜそれが忍耐を強いられることとイコールなのか?僕はある仮説を元に推理してみました。まず、貴女は神経質であると仮定します。神経質にもいろんなレベル、いろんなタイプがあると思いますが、その基本は融通の無さです。つまりは頑固で自分を変えるのが苦手です。幼い頃、『〇〇ちゃん、その人形(消しゴム)誰誰さんに貸してあげて』と先生に頼まれるのですが、軌道修正が効かないので、心理的にはイヤ~な感じがして『貸してあげな~い』と幼い貴女は断ります。すると、『今使ってもいないのに貸してあげないなんて、なんて意地悪なの』と、言葉に出すか出さないかは別として、非難されます。貴女にとって、何気ない『これ貸して!』が、あたかも自分が非難される序章のように感じられます。そして、他人にやさしくすること=自分を変えることを強要されること、という感覚になるのです。 これはあくまでも仮説です。神経質+気が強い、神経質+気が弱い、そのほかにも色々な組み合わせで様々な個性が生まれます。自分にあった生き方は、自分でオーダーメイドするしかない。そう思います。 http://www.f5.dion.ne.jp/~with/seikaku.htm
お礼
毎度有益なご回答をありがとうございます。 gadgetdesuさんのご回答を読んでいると気づかされることが多く、自分の肥やしになります。 >他人にやさしくすること=自分を変えることを強要されること、という感覚になるのです。 おっしゃる通りです。気遣いをすると自分の領域に土足で踏み込まれるような、強制的に自分をねじ曲げなくてはならないような、そんな感覚がありました。今も心のどこかではそういうものが残っていると思います。 頑固なわりにすぐ芯がぶれます。 神経質だというのは大当りです(笑) 「自分に合った生き方」を見つけることは難しいと思いますが、大切なことですよね。 一つずつ手をつけられればと思います。 URLのほうも参考になります。ありがたい限りです。 それではありがとうございました。
おはようございます。また、くどいようですが回答させて下さい。 >私は生まれつき思いやりや優しさの足りない人間なので これは違うと思います。自分⇒他者、という意識よりも、他者⇒自分、という意識が過多であるがために、本来持っている貴女の優しさを覆い隠しているのです。意識の持ち様が「他者中心」になっているのです。 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/06/1.html http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/05/1.html http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay2005-7.htm 心が囚われる原因は、幼少期に持った潜在意識があるのかもしれません。 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/04/9.html http://yukiduke.jp/hitorigoto/huko.htm http://yukiduke.jp/kyoizon2.html 自意識過剰の反対のことを無意識過剰と名付けたのは阿川佐和子だったでしょうか。誰もがいつまでも天真爛漫ではいられません。酔っぱらって裸になってる人は無意識過剰です。きっとバランスが大事なのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます、嬉しいです。 >私は生まれつき思いやりや優しさの足りない人間なので 幼少時から人に優しくするのが苦痛でした。人に優しくすることは自分が忍耐を強いられることとイコールだと考えているからです。 今は「嫌われたくない」という気持ちが強いので何とか思いやりらしきものを人に提示することを覚えましたが、心のどこかでは確実に嫌だなと思っています。 それでも昔に比べると大分自然に思いやりを持てるようになったというか、痛みを知ったので多少優しくなったのかもしれないとは思いますが、形から入った感じは否めません。 どうにも込み入った話なのでこれ以上申し上げるのは控えさせていただいたほうがいいかもしれません……すみません。 自意識が優しさを覆い隠している……のでしょうか。 おっしゃる通り何事にもバランスは大事ですよね。その状態が一番楽なように思います。 URLの内容も拝読しました。 リンク先にあるように平穏な家庭環境だったとは言い難いかもしれません。親はまともな部類に入ると思いますが……。 それではご返答の労を強いて申し訳ありませんでした。非常に有益なご回答ありがとうございました。
お礼のコメントをいただきまして、ありがとうございます。 僕のまわりは兄弟や親戚関係を含めて、あまり「本音」を見せない人たちばかりでした。みんな高学歴です。でも、そのことに気付いたのは、いわゆるガテン系の職場に変わってからでした。思ったことを胸にしまっておけない人たちと比べることで、そう気付いたのです。彼らの表現は直接的で、オブラートに包むようなことはしません。感心すれば素直に喜んでくれるし、機嫌が悪ければ顔に出ます。扱いに困る面がある半面、単純なので疑心暗鬼になることもありません。人間とはどういう時に機嫌が良くなって、どういうことをすると機嫌が悪くなるのかという学習において、恰好の教材です。ハイソな人たちは何をしてもあまり怒りません(怒る時はいきなり態度を変える)ので、教材としては適していません。ガテン系の人はすぐ怒ります。可笑しいくらいに。 貴女の感じる違和感や壁というのは、そうした「本音」を見せない人たちへのものではないでしょうか。それは同時に、本音を見せていない自分自身を他人の中に投影しているのです。「本当は気分を害したのではないだろうか」とか、「つまらないのを無理して付き合っているのではないか」とか、表情を変えない人たちの中にいるとヘンに気をまわしてしまいます。 僕は思うのですが、人はダブルスタンダードを使い分けられるほど器用ではない、と。この度の災害に対してネットで少額ですがン万円寄付しました。言葉で表現するのは難しいですが、そうすることで「あたたかみのある世界観」が持てるような気がするのです。「どうして増税されなきゃいけないんだ!、自己責任だ!」という意見もありますが、そういう人たちは「自分で責任を負う覚悟」がある反面、「他人は誰も助けてくれない」という世界観の中で生きています。どちらが正しいというつもりはありませんが、他人に対してと自分に対してで、違う世界観を持つことなど出来ないと信じています。 だから他人に「共感」することが大事だと思うのです。ややもすれば自意識過剰な人は、「自分VS他のみんな」という構図で世の中を見てしまいます。生きる上において、この「共に」ということは、大事な要素だと思います。 http://park6.wakwak.com/~psychol/communicate/cbase/bubun.html http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku059.html http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku191.html http://www.counselingservice.jp/lecture/lec113.html
お礼
再度のご回答ありがとうございます。今しがたURLのほうも拝読しました。いろいろなことを考えました。 >貴女の感じる違和感や壁というのは、そうした「本音」を見せない人たちへのものではないでしょうか。 ここのお言葉について自分なりに考えてみようと思います。 確かに私は本音を見せない自分自身のために疑心暗鬼になっているのかもしれません。おっしゃる通りです。 恰好の教材のお話、目から鱗でした。そういう捉え方があるとは……。 でも私はきっと怖くなって避けてしまうと思います。 弱い人間です。 私の場合、まず相手の理解に努めることや共感というのが鍵になりそうです。このお話にも感銘を受けました。 相手を理解しようとすればより良い環境を整えられるように思いました。 私は生まれつき思いやりや優しさの足りない人間なので(これだけで悩む権利などなくなってしまうように見えますが)、ダブルスタンダードというか、糊塗して表面だけでも社会の最低限の規範に適応しなければなりません。課題山積ですね。 それでは長々とすみませんでした。非常に有益なご回答ありがとうございました。
以前の私にとてもとてもよく似ています。 もしかするとあなたは私と同じ所属先の人になるのかもしれませんね。 スピリチュアリズムを勉強してみませんか?? 私の場合は、「シルバーバーチの霊訓(1)」という本との出会いによって闇から救われました。あなたの悩みの根本が解決されるかもしれません。 もし今なんだか読む気になれないとしても全然かまいませんが、「シルバーバーチ」という名前だけでも覚えておくと、いつかふと、読んでみようかな?という気持ちになる時が来るかもしれません。 参考までに。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%81%AE%E9%9C%8A%E8%A8%93%E3%80%881%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%B3-%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4806313823 あなたは決してつまらない人間ではないですよ。 あなたが感じている周囲との違和感も、その理由が分かったときに逆に自信や誇りになり、周りと違う自分のことを好きになれるかもしれませんよ。 あなたは今つぼみの状態で、必ず花開くときがきますよ。 応援してます!
お礼
ありがとうございました。
- rewon
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私も小学生の時に「○○ちゃんの話は難しい」と言われ 泣きながら帰って、親に訴えたことがあります。 テレビを見ない文学少女だったので、 当時からトルストイなど読んでいましたから。 母はびっくりして、アイドルのレコードを買ってくれたり 歌番組やアニメを見せてくれたりしましたが あまり興味を持てませんでした。 中学生の頃はよく 「自分はどうして生まれてきたんだろう(使命)?」 「自分は何者だろう?」などと考えていました。 とは言え、友達も親友もいたので孤独ではありませんでしたが そういうことは話題に出来なかったのは確かですね。 >以前自分が何に属するのか知りたいと思い スピリチュアリズムを勉強してみませんか? ますます浮世離れするかとは思いますが 答えらしきモノが見つかるかも知れません。 「シルバーバーチは語る」「セスは語る」「ライトボディの目覚め」 などがおすすめです。 自分が何に属するのか知れば、あらゆることに超然としていられます。 新しい環境で、もう少し人間観察をしてみませんか? そうすると、自分と同じ匂いの存在に気付くはずです。 いなければ趣味を同じくする人はSNSなどで探すことにして いじめられない環境を整えることに専念するのも手です。 >「どうすれば嫌われないだろう?」 自分がされて嫌なことは人にしない、言わない。 これだけ守れば、今している他の気遣いはしなくても大丈夫かと。 「みなに好かれたい」という野心があるなら また話は違ってきますけども。
お礼
私も小学生のころは年不相応な本を好んで読んでいました。 同じ匂いの存在を地道に探そうかとも思います。 好かれたいというよりは嫌われたくないというほうが近いですね。 ありがとうございました。
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お礼
そうです、私は「没我」の状態になりたいのです。自意識がなければ少し楽になれそうな気がします。 やはり時間が経つのを待つほかないでしょうか? お言葉がことごとく的を射ていて驚きました。 非常に有益なご回答ありがとうございました。