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東北大震災の復興について
- 東北大震災の復興に関して皆様の意見を伺います。
- 被災された方々の意気込みと、復興の難しさについて考えます。
- 復興に関して他県の過疎地に移り住む視点を述べます。
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NO1です。 ちなみに過去には村ごと、新天地を目指した。という例があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8D%81%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E7%94%BA 移りたいか残りたいか。は別にして、 そうせざるを得ない。そんな状況ではあります。 ただ、その場で復興できるなら、 その気持ちを大切にしてあげたいですし、 移りたいなら、精一杯の受け入れを してあげる準備をしてあげればよいのではないでしょうか。 地域ごとにまとまっての移住案には 基本的に賛成です。
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- jinjin1114
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他の質問で似たような議論を見つけました。 http://okwave.jp/qa/q6688444.html 結局、人の心の問題が大きいようです。 年齢が高ければ高いほど、今まで暮らしてきたところから離れがたいのでしょう。 質問さんもお考えのように、東北の一部地域の人たちが過疎地に移転した場合、 昔から住んでいる人たちとトラブルは起きないのだろうかという心配もありますしね。 地元・よそ者という意識が溶け合うには時間がかかるのではないでしょうか。 解決不可能ではないと思いますが。 質問者さんの意図はわかります。 避難所の厳しい現状から、なんとか人並みの生活に戻してさしあげたい、というお気持ちなのでしょう。 私は若いせいか、合理的にわりきって過疎地でもどこでも移動しますけれど、時間がたったら戻りたくなるかも知れません。 ただ、日本全国どこでも地震や台風などの災害はつきものですが、地震の予測確率が高いところには行きたくないですね。 (今高確率のところに住んでいるので、引越し考えてます。毎日がビクビクです)
お礼
回答ありがとうございました。似たような議論、拝見しました。大変参考になりました。 人の心の問題ですが、このレスの皆さんの故郷を想う気持ちは、心の問題というより我欲にしか感じられません。 今日もニュースで避難所生活が長引き、子供達がストレスから暴言を吐いたり、噛みついたりしていると聞いて、そんな小さな被災者を無視して復旧復興を叫ぶ知事達に、テレビの前でつい、キーっと、ヒステリックになってしまいました。私も生まれた時から一度も街を離れたこともなく、転勤族だけど偶然、実家の近くに住めて、親戚も友人も皆、地元にしかいませんので故郷はとても居心地よいですが、何かあれば、子供を持つ母として、どんな不安も不便も乗り越えて子供のことを一番に考えて行動したいと思います。 岩手県のご先祖は、津波の体験から、これより下に家を建てるなと石碑に残し、顔を見ぬ子孫のことまで案じてくれました。今の復興を声高に叫ぶ方に、子孫のことまで考えている方がいるのでしょうか。 民社党議員とゼネコン数社が、瓦礫処理、道路建設の予算配分をしたりして、被災者達への予算がほとんど汲まれていません(某報道番組であるコメンテーターが言ってました)。 今の子供たちは、国の借金やら原発の処理、環境問題、負の財産ばかり残されています。一部の方の故郷を想う暖かい気持ちが、利権がらみに利用されようとしています。 故郷の海が大事なのは、被災地の方からも回答をいただき、考え方も少しは改めてましたが、まだまだ冷たい避難所で育ち盛りの幼稚園児がカップラーメンの箱をうやうやしく贈呈されているニュースを見て、復興復興という知事や大人達が白々しく見えてきて、西日本の人間としては、義援金が意味のない復興に使われそうで、はっきり言って、痛み分けの気持ちが薄れてきています。まだ救われてない弱者を無視した見切り発車の復興に関しては、西日本にいる私にとっては対岸の火事です。勝手にしてと思うし、そんなのに税金使うなと思います。 なんだか、今日は、子供達がらみのニュースをたくさん見て、つい感情的になってしまい、乱暴な表現がありすみません。ご紹介いただいたレスでも、沢山、心の問題を言われる方が多く、もう諦めモードでそろそろ締め切ろうと思います。この国は、結局、何でも子供達、これから生まれてくる未来の子供達が犠牲になるしかない、子孫に冷たい国なんだなってことがわかりました。 東北の方々の問題なので、これ以上とやかく言うなって、雰囲気ですから、 支援の仕方や気持ちは、確実に変わりました。 少ない予算をやりくりして、被災者を受け入れようとしている全国の小さな自治体も余計なお世話で、空回りってことなんでしょうね。 今後は直接、子供達に届くような団体を探して、微力ながら子供達が少しでも救われるような支援をしていきたいと思います。 今、地震の高確率の所にお住まいとのこと、うちは、確率は低いですが、過去に九州西方沖地震を体験した恐怖があり、東日本大震災以来、毎日、空や動物の動きに注意を払い、もしもの事を考えますので、お気持ちお察しします。うちは原発も遠くないですから。これ以上、どこにも地震や津波、噴火などの大災害が起きないことを祈るばかりです。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 1308ykinさんの文章を読んでいると、何だか文章の奥行きに込められている心情の様なものを感じます。 >パンドラの箱が開いた後に・・・希望が心の支えであることは確かなようです。 その通りかと思います。 僕が大好きな言葉ですが、「人間は食べれなくて飢えて死ぬのではなくて、食べる希望がなくなった時に死ぬんだ」「暗闇が深ければ深い程、光は輝きを増すように、危機が深ければ深い程、人間の叡智は目覚めてくる」。 何だか、1308ykinさんに共有したくなりました。ところで、 >そのためには、先ずは、先ずは、心強いリーダーシップを政府にとってもらいたいんですが。。 に関してですが、お気持ちは分かりますが、僕は意見を異にしています。何故ならば、今の時代、特に日本では、もはや心強いリーダーシップを政府が取れない様になってしまっているからです。 それを理解する為に、人間一人ひとりが内面に抱えている判断基準とその問題性5つについて触れた上で、歴史の流れを見てみたいと思います。 1.誰もが皆、判断基準を持っている。 2.その判断基準は一人ひとりみんな違う。 3.かと言って、一つにさせたらもっと問題。 4.人間の判断基準は不完全。 5.不完全なのに、無意識では自分の判断基準は完全だと思っている。 そして、この判断基準に観点が固定されています。 この判断基準の問題性5つを置いといたままにしていれば一体どうなるのでしょうか? 判断基準が全部違うので人と人は分かり合えませんが、かと言って無理矢理一つにさせても生きる意味や価値も失われていきます。その状態で、どの判断基準も不完全だから、やる気もアイディアもイメージにも限界が起きる様になりますし、何と出会っても不完全が残る事になります。しかし、自分の判断基準は正しいと無意識では思っている為に、その判断基準に観点が固定されてしまいます。 つまり、無秩序です。 何と、人間の出発は無秩序(カオス)です。 そんな中、歴史はどの様に秩序を創ってきたのでしょうか? 前回の投稿に触れました、王様による暴力、市民(商人)による財力。何らかの力を持って取り組まないと、人間の出発カオスの問題をクリアする事が出来ません。 日本と違って西洋では、十字軍の遠征などもありながら、戦争に次ぐ戦争、争いに次ぐ争いなど、凄まじいものがありました。それが激しすぎたんですね。その基本単位は国であり、煽動するのは王様でした。 王様による暴力で秩序を創ります。 ですから、個人一人ひとりには強烈な抑圧が掛かっていました。フランス市民革命によって、王様から市民(商人)へと中心が移動する時の喜びようや、個人一人ひとりの幸せに対する追求は次元が違いますね。 >個人主義についてですが、・・・にレベルの差があると思います。 >日本人の場合は、・・・大切に育てられてきてますから。 全く仰る通りです。 日本を始めとして東洋は、ただ西洋から輸入されたものを受け取り、追及や研究開発する事なしで暗記しています。西洋は、個人の目覚めがあって、ルネッサンスがあって、多様な学術が開拓されています。東洋は、個人の目覚めがなく、ルネッサンスもなく、学術は西洋からの暗記です。 ただ、思想・哲学・経済・政治など、全ては西洋から来たものですから、仕組みとしては個人戦・個人主義が主流となります。 そんな中で、今の時代はどうなっているでしょうか?個人を守る仕組みがどんどん創られ、幸せや成功の道や夢の実現は全て個人をクローズアップしています。 当初は、個人にとって大ヒットでした。 ですが、これでも未だ問題があります。つまり、個人戦・個人主義が横行しすぎて、もはや企業も国も、最近は家庭でさえ、組織として機能しなくなりました。リーダーシップが発揮できないんです。 何故でしょうか? 外の王様は倒しましたが、中の王様を倒していないからです。 中の王様=判断基準です。 個人戦・個人主義が盛んになり、判断基準が生き生きしてきます。 暴力の時代を終え、少し前までは財力や権力で秩序が保たれました。 ですが、もはや限界です。 >一人でも去りたくない者がいれば、・・・個人主義は、恐ろしいものがあります。 時代は変わりました。個人は、もはや権力でも財力でも動きません。 では、昔の王様・暴力の時代に戻れば良いのでしょうか?違います。 故に、強いリーダーシップは政府には無理です。 次は、全く新しい力との出会いによって感動社会。 一人ひとりが最高のリーダーシップを発揮しながら、尚も全体と調和出来ているグループリーダーシップです。それは、政府からではなく僕たち一人ひとりから始まる事ではないでしょうか?それが日本から。今から始まる。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 復興といった時に、それは復旧・復元の事ではありません。 それは、とても大切な意味を持ちます。 復興が、ただの復旧・復元レベルに終わってしまったら、生きようとして最後まで津波と闘いながらも命を落とされた人々や、今も余震に脅え今後もずっと続くかもしれない地震・津波・原発と向き合う現地の方々や、世界中を感動させて賞賛・賛美・畏敬の念を抱いて頂けた事などの意味とは、どうなってしまうのでしょうか? 何年かをかけて元通りに戻したというレベルでしたら、失われていった事の意味や、逆に生み出された美しさ・素晴らしさなどは、一体どんな意味があったのでしょうか?また、地震・津波・原発事故が起きたら元に戻って、同じ事を繰り返すというのでしょうか? 本当に、復興とはいったい何なのか?について、真剣に向き合う事がとても重要です。未来には、一体どんな日本にしていたいのか、どんな生き方をしたいのか、どんな人間関係でありたいのか、どんな社会・地域を創っていたいのか・・・そこに一人ひとりが向き合う事そこが、真の復興への一歩であると思います。 そういう意味で、1308ykinさんの投げかけはとても素晴らしいものです。素晴らしい問題提起であり、考えるキッカケとなりますし、素晴らしい生き方だなぁと思います。今後ともよろしくお願い致します。 >共感いただき、ありがとうございます。しかし、私の発言が一部の方を傷つけたのは事実です。。 賛否両論は起きる事でございましょう。 そんな中、傷つく誰かがいる事も起こり得る事でしょう。 そこに気付いた時に、傷ついた方に配慮をしながら、ご自身の意見・考え方に変化をつけたり、その方の心を親身に受け取る姿勢があるならば、僕は何も問題はないかと思います。むしろ益々、投げかけるべき事だと思います。 1308ykinさんが、誰かを傷つけようとする意図がある訳ではないなんて事は直ぐに分かる事です。 ところで、1308ykinさんの投げかけは、個人一人ひとりの思考の枠、意識の枠を一気に広げる効果を持っています。今まで、日本はアメリカ・西洋のやり方を受け入れて個人戦・個人主義で走ってきましたが、そろそろ日本らしさに戻るべき時が来ているかと思います。 東日本大震災が教えてくれている事は、個人戦・個人主義に対する疑問を投げかけているのではと僕は受け取っています。その個人戦・個人主義は、プライバシーを守ったり個性が尊重されるなど、とても素晴らしい側面がありますが、今の時代は、逆に個人戦・個人主義によって全体が同時に沈み、全体が機能を失う状況が出来上がっていますね。 全体が元気で、全体の機能が正常なときは、個人は全体にモノを申して良いですが、全体が沈没し、全体の機能が失おうとする時には、個人は全体の為に機能する事も重要です。全ての個人は、全体の中に含まれているからです。 恐らく、1308ykinさんが気になっている点も、部分と全体、個人と国家などのバランスをどう計れば良いのだろう・・・という点にある様に受け取りました。その意味で、お家について、或いは住み慣れている、という事について、僕なりに思う事を書き記したいと思います。 昔、まだ農業社会のプレートが当たり前で、王様が社会の中心であった頃、個人は引越しの自由も結婚の自由も教育の自由もありませんでした。引越しも結婚も教育も、全て王様にお伺いを立てなければなりませんでしたし、王様の意に叶っていないものは罰せられました。 やがて、フランス市民革命やイギリス産業革命などの後押しによって、社会の中心は王様から個人へと移り、プレートは産業社会へと移動しました。 個人から見れば、相当に王様から抑圧を受けていたものでしたから、個人一人ひとりにとってはこの流れは大ヒットしました。今では、個人戦・個人主義は随分と進み、引越しも結婚も教育も、日本と言うこの国は比較的自由です。 ですが当初は大ヒットだった個人戦・個人主義は、今となっては様々な問題を生み出す元ともなっています。資本主義は、金融バブルによって崩壊の一途を辿り、政治は利権に利用され、教育もインターネットの方が様々な情報が多い為に日に日に先生や教授の権威が落ちるばかりです。 全体が機能する上では個人戦・個人主義は全く問題ありませんから、個人は国や会社である全体に対してモノを言う権利も自由もありますが、全体に歪みが出来ている今では、個人全体が一気に沈没する状況です。 この場合は、個人戦・個人主義だけではいけません。 元々、生命は公共のものです。僕たちの体を作るたんぱく質でさえ地球や太陽から借り受けたものです。人間は、自分の体の為に生きるのではなく地球や全生命など、公共の為に生きるべきではないでしょうか?
お礼
再びの回答ありがとうございます。 私は、とにかく当座の過酷な現実と見通しのたたない未来から救いたい一心で提起しましたが、zakky74さんのおっしゃる個人主義と全体のバランスについての考えが、根底にはあると思います。 国から何をしてもらうかでなく、あなたが国に何ができますか?って、大統領の台詞、英語の時間にでてきましたよね。 のろまの政府のせいで、衣食住すら満足に満たせずに避難所生活を送らされていたら、誰だって、日本がこれからどういう未来を迎えたいくかのビジョンまで考える余裕はないでしょうね。 個人主義についてですが、そこに至るまでの歴史が西洋のものとは、違いすぎることの因果があるのではと考えます。革命などにより市民自らが自由を勝ち取った西洋の国と敗戦して第三者から自由や人権を与えられた我が国とでは、その使い方、にレベルの差があると思います。日本人の場合は、本当の意味での個人主義ではなく、農耕民族特有の我田引水が助長されただけです。私も含め、本当に個人主義や自由の意味を理解できている日本人は多くはないです。特に若者は、個性が何かもわからないときから、オンリーワンと言われて大切に育てられてきてますから。 一人でも去りたくない者がいれば、そこで復興すべきなんて、意見もありました!バランス感覚のない、曲がった個人主義に驚きました。たくさんの税金を1人のために使ってでも欲求を満たしたいと思う国民がいるのが現実です。その上、県外へ移転した方、残っている方が、単純な個人的希望で決断しているという短絡的発想しかできないようです。想像力の欠落した国民の個人主義は、恐ろしいものがあります。 パンドラの箱が開いた後に残ったのは希望だけでしたよね。失ったものが多い方ほど、今、東北をもう一度甦えらせる!という希望が心の支えであることは確かなようです。 同じ街が同じ場所に復元されなくても、東北の方の粘り強さや優しさ、文化、技術(工業、農業、醸造)は、消えてなくなることはないと、ご自身達が自らを信じてほしいと思います。そして、日本全体を見て、考えて動いていかれると思います。日本や日本人の価値観が津波を気に変わっていくのは間違いないでしょうし、東北の方が前よりももっとよい文化を築かれることが長く沈んだ日本を復興させると信じています。 そのためには、先ずは、先ずは、心強いリーダーシップを政府にとってもらいたいんですが。。
- jinjin1114
- ベストアンサー率17% (7/39)
>西日本の方が気候も暖かいから暮らしやすいと思います。 でも、西日本にだって地震は起きますよ。 長い目で見たら、住むところは分散したほうがいい。 西日本で大きな災害があったら、寒くたって東北に身を寄せる人も出てくるでしょう。 東北は日本にとって大切な穀物庫であり、海産物も豊かです。 (原発事故のおかげでたいへんなことになってはいますが) 私は30年以内に起きると言われている東海・東南海・南海地震の地域に住んでいます。 いつ被災するかもわからないのに、東北のかたがたにこちらにおいでとは安易に言えません。 むしろ地震のエネルギーが放出された東北の方が、今後住むには安心な気さえします。
お礼
先に回答していただいた方(雪国に住んでおられる方)にも、お礼もかねて補足説明しておりますが、地震が来ないから西日本がいいと言っているわけではありません。津波で壊滅状態になった地域の方が、個人責任で全国の自治体の受け入れ先にバラバラになって行かれている現状があり、それがさらにストレスになると思います(特に転校する小学生)。国が壊滅的な街ごと役場ごと移転させては、どうかと思います。別に西日本でなくとも、秋田などでも受け入れてくれるならそこでもいいです。一から道路や施設を作り直すお金も個人に現金支給してあげられます。西日本だとまだよいと思ったのは、被災者が寒さがつらいとニュースでおっしゃったからです。今、現在、東北もずいぶん暖かくなってきているようなので、あなたには、気にならないようですが、あなたは、お年寄りや子供連れが冷たい床で毎晩寒い思いをしていて、それが復興するまで何年間も続いても、平気なんですね。寒さに関しては、他の方にも反論をいただき、九州の人間が心配しなくても、寒い国の方々には気にならないようですね。杞憂でした。(寒い地域に住んでいても暖かい室内で言っているだけだと思いますが。) 西日本にも地震は来ます。けど、もしもの話じゃなく、一刻も早く苦しみを救ってあげたいって、思わないんですね。色々考えて行動を起こせない日本人、未曾有の事が起きても、過去の経験域から越えられない政府の対応の遅れの原因もだんだんわかってきたような気がします。 理解いただけなくて、残念です。 西日本の人間は、黙って、だだ義援金を送っていればいいんでしょうね。。 あなたの住む東海地震が来ても、自己責任で個別に避難されたらいいんじゃないでしょうか。 子供にパワーをもらえますという被災地からのニュース、子供は子供ながらに大人に心配かけないように振る舞っていることだけは、考えていただけたらと思います。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
その土地での思いで、受け継いできた土地などもありますが、一番引き留めるのが人とのつながりなんですね。現在人とのつながりが弱くなってきています。だから移転しても気にならない人もいます。 知っている土地、知っている街、知っている人々があるからこそ安心出来る。だからこそ離れられないのです。結びつける力は文化となって伝承されたりもします。 子どもも適用力はありますが、直ぐにとは行きません。小学校の入学とともに引っ越しされて、子どもが長いこと泣きながら学校に行く子供もいます。私は二人ほど見てきています。 つながりが切れてしまったからです。また新しいつながりが出来ると安心するのですがね。それは人それぞれなんです。 復興はゼネコンのもうけとも言い切れません。阪神淡路で京都から大阪から職人が行きましたが、持ち出し分も多く利益はそこそこだったようです。また予算も大量にあるわけでもないので。 私自身、被災したとして同じ街に戻るでしょう。それはなぜか、行方不明の方達が戻って来られる場所が欲しいからです。無事助かっている人達を迎え入れたいからです。 阪神淡路の事を時々取り上げます。関西では。その時失った人とのつながりが辛いようですよ。 それと、耐震基準が阪神の時にあがったように、沿岸地域、津波被害を受けた地域ではより対策を取った安心出来る街作りが行われると思います。安心出来る街に生まれ変わると。 マスコミは抜粋している可能性はありますね。やはり気持ちの整理が出来ない人々は沢山いますよ。もうちょっと落ち着いたら週刊誌などが取り上げてくれるでしょう。それと報道特集的な番組も両方の意見を採り上げることもありますよ。 私が今居る街ですが、不思議と人々が出て行っても戻ってくるような街なんですね。学童保育で自分も学童にお世話になって、我が子も同じ学童にという家庭の多いこと。離れられない理由があるんでしょうね。私もこの街に引っ越して気に入ってしまったのが不思議です。
お礼
ゼネコンの件は、もういいです。先に回答してくださった方で解決してます。。 私も地元の友人がたくさんいて、今は、偶然、実家や親族の近くに住んでいますので、その環境のありがたさはよくわかります。また、転勤族ですので、いつかはここを離れなければならず、故郷を去るつらさもわかります。 ですので、学童保育の話までされなくても、充分、わかっています。 故郷のよさや、つながりの大切さを今、この質問で教えていただくつもりもなく、私も日本人ですから。 阪神淡路の復興は、そのまま、建物や道路をお金をかけて戻せばいいけど、この前代未聞、未曾有の大災害(地震、津波、原発)の中で、故郷を思う気持ちはわかりますが、まだまだ余震も続くし、100年後にはまた津波が来るので、いっそのこと移転して、しかも同じ地区ごと移れば、コミュニティも崩れないし、より多くのお金が行き渡ると私は考え、色んな立場の方の意見を聞きたいと思いました。。 その場所で復興できるのなら、なるべく、そうするべきだと、私は思います。だけど、子供の一年は、大人の5年、10年に匹敵するのに、いつまでも長期的な復興を待っている間にどんどん成長してしまいます。 阪神淡路は、家が倒壊したけども、家財や車、思い出が流されたり、道路が跡形もなくなくなったわけではありません。 復興のレベルが全然違うと思います。 県外の市営住宅や官舎に移りたい方は、個人で自治体に問い合わせて、知り合いと散り散りに色んな土地に移転するしかなく、仮設住宅も抽選なので町内バラバラに住まざる得ないのが、現実ですよ。 現地にとどまったからといっても、知り合いや親戚と一緒に居られないのが、今の日本政府の能力です。 だったら、 武雄市のように役場ごとまとめて、受け入れようとしている自治体があるし、もっとそういう自治体が増えて、さらに国が斡旋してあげれないものかと思います。毎日、冷たい床の上で冷たいおにぎりしか食べられない被災者を目にして、まだ、その方が、まだましなのではと思いましたが、故郷を復興させる!という希望が、今、被災者の心の支えになっていることもあるので、No.2の方に言われたように、問題提起のタイミングとしては、早すぎたというか、思いやりにかけたと思います。
去りたい人は去れば良いでしょう。 1人でも去りたくない人がいれば、復興は必要だと思います。 貴女には通用しないでしょうが。
お礼
去りたいとか去りたくないとかの話をしてません。 すでに移住された被災者も、去りたくて故郷を去ったわけではなく、家族の今後を考えての苦渋の選択だと察します。今も被災地にいらっしゃる方も去りたくないからとか単純な理由じゃなく、仕事や責任、政府の曖昧な対応に先行き不安で動けずにいる方も多くいらっしゃると思います。そんな方々が移転先でも不自由ないように、いつまでかかるかわからない復興でずっと仮設暮らしをすることのないように、国策として、現地復興について、こだわりを捨てて、先の復興案はいかがなものかと提起したまでです。 復興について、色んな価値観や考え方があることを皆さんから教えていただき、私自身、考えさせられたり、反省したりすることもありました。 それらの回答も読まれてますよね? 失礼ですが、gooabcさんだけ、ピントがずれてます。問題の主旨がうまく伝わらなくて残念です。 去りたい去りたくないって、、、 人間生きてたら、家族や会社があったら、個人の気持ちだけで身勝手に動けるものじゃないですよ。 国がリードして、後押しもして、道筋をつけてあげないと、個人でどうこうできる問題じゃないと思います。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
素晴らしい問題提起です。 僕は感動しました。 ぜひ、今後もこの様な形で身近な人も含めて一人ひとりに投げかけて頂きたい質問であり、投げかけだと思いました。僕自身、とても共感しえるところでしたので読みながらとても嬉しかったです。 僕なりに想うところを述べたいと思います。 M9.0の大地震を受けて、地震・津波・原発事故と続く未曾有の大震災の意味を慮るに、これはただの自然災害とその対応ではいけないと危機感を募らせています。 今回は、阪神淡路大震災の時と次元が違って、文明災害にまで至っています。 また、街の壊滅的な情景を見る人は、まるで戦後であるかの様だと評しますが、ハッキリ言って、第二次世界大戦以上の敗戦を喫したと見るべきでしょう。 加えて、世界に名高い9.11の被害とは比べ物にならないくらい大きな3.11の被害である事もまた、頭に入れておかねばなりません。 何よりも厄介なのは、余震・放射能汚染などと後を引きながら早期決着の見通しが不透明である事です。 如何でございましょうか? そんな中で、何年間もかけて建物やインフラが回復する事、或いは原発事故半径30Kmに至っては30年間もかけて建物・インフラが回復して、そこに人が住む様になった事を指して、それを復興と呼ぶ事ができるのでしょうか? 呼びません。 呼べません。 それは復興ではなく復旧・復元です。 しかも、目に見える形だけの、それもまた地震・津波・原発事故・・・などにとても弱くて脆い形だけの復旧・復元です。それを持って、何が復興と言えるのでしょうか? 本当に重要な事です。 復興と復旧・復元は違います。 以下は、自分のブログでして厚かましいおススメとなりますが、1308ykinさんに応えたい想いがあり、ぜひ読んで頂きたく記しました。 【大地震の意味。どんな日本を創りたいか・・・その道具とは? http://ameblo.jp/shima-zakky/entry-10840531822.html 東北地方太平洋沖地震による大震災。錯覚の復興、真の復興、復興の方向性を問う。 http://ameblo.jp/shima-zakky/entry-10843640525.html 復興モデルが日本に必要な時。しかし復興と復旧は違います。 http://ameblo.jp/shima-zakky/entry-10845176886.html 日本とは、日本の国民性なり!復興のモデルは、モノ作り・製造業に置いてはなりません。 http://ameblo.jp/shima-zakky/entry-10846352816.html】 被災地の方ほど、僕はモノ作り・製造業に不信・不安が来ていると思います。 現地が人が最も求めているのは、一見すると建物・飲食・電力の供給・・・に見えますが、本当は違います。被災地の方ほど、健康な心、心の安心、心の安定、をとても求めていますし、繋がる心、支えあい、を求めています。 サムライの心、わびさびの美学、日本らしい日本の心が一番芽吹いているところが被災地であり、実はとても愛に溢れている空間となっている事でしょう。 そこに、また目に見えた形だけの元に戻るレベルの復興をやってしまったら、一体なくなっていった人たちの意味は何だったのでしょうか?世界を感動させ、賞賛・賛美・畏敬の念を抱いてもらえた事は何だったのでしょうか? 半径30Kmには人が30年間入れないという事の意味はどうなってしまうのでしょうか? 原爆を落とされた広島・長崎が、ただ建物が前よりも立ち直ったからといって完全復帰しているとは言わない様に、東日本大震災も真の復興とは何なのかについて、一人ひとりが真剣に向き合う事だと思います。 リーダーや責任者たちだけに任せるのではなくて、日本の復興、世界の復興、人間の復興、サムライの復興、それを僕たち一人ひとりから投げかけていく事が重要な時だと思っていました。 そんな中、1308ykinさんの問いかけはとても素晴らしいです。 これからは、日本の中心産業をモノ作り・製造業から人づくり・教育文化産業へと変化させていく時です。今回、世界を感動させたのは、Made in Japanではありませんでした。Made in Japanに続く新しい国家ブランドHeart of Japanを立ち上げる時です。 心の健康、サムライの心、わびさび美学、日本には素晴らしいものがまだまだ眠っています。それを掘り起こし、電力に依存しない仕事、機械やモノに依存しない日常生活を送る事を真剣に考える時だと思います。 復興とは、前にあった勢いが今は落ちているけど、前の時の勢い、或いはそれを超えるぞ!とする時に復興です。どこに投資するのか?大切です。
お礼
共感いただき、ありがとうございます。しかし、私の発言が一部の方を傷つけたのは事実です。。 西日本は、東北への支援に対し、「明日は我が身」ということを忘れて、どこか他人事のような、上からというか、同情や哀れみの気持ちがあるような気がしてなりません。そんな一時の感傷的な支援が長期化した場合、不平不満などが出てくることを危惧します。 なので、少子化や過疎化の問題をかかえている地域に学区ごとに移り住んでくれたら、お互いがウィンウィンの関係が保てるし、失ったものを取り戻すことにお金を使うことよりも、教育など未来のための積極的な投資がたくさんできると思いました。 何を優先に考えるかというときに、私だったら先ずは子育てです。子供の未来です。子供のためなら、住み慣れた場所を離れるつらさも耐えられます。新しい土地でうまくやれるかの不安にも耐えられます。 だけど、色んな方の意見を聞いて、人それぞれ、守りたいもの、優先したいものが違うのだとわかりました。私が子供達の未来を大事に思う気持ちと同じくらい、先祖が眠る故郷を守りたい、育ててくれた海を守りたいと思う方々がいらっしゃるのです。 そういう方々を理解した上で、尚、故郷を離れて、新しい土地に落ち着き、頑張ろうと考えている方々には、国が政策として、同じ町内や学区、もしくは自治体ごとに同じ地域に移転できて、その場所で、前にいた土地以上にいい街を作っていけるようにしてほしいと思います。市営住宅や公務員宿舎の提供があっても、今現在は個人的に問い合わせて、個人的に移転入居することになり、友人や近所の方とバラバラになってしまい、コミュニティまでが崩壊してしまいます。 とにかく、長期的視野で考えないといけないことだけは、確かですよね! ブログ、拝見させていただきたいと思います。ありがとうございました。
- muramiyagi
- ベストアンサー率56% (30/53)
宮城県の者です. 一言でいえば,ふるさとが好きだし,何よりも海が好きなのです. 津波の被害に遭った人で,海を嫌いとかいう人はいませんでした,私が話をする限り. 何度も何度も何度も何度も津波に遭っても,海が好きだからそこにいるのだろうと思います. DNAのなせる業ではないでしょうが,そんなもんです. でも,多賀城とか仙台市若林区で,漁業とは関係なく津波で命を落とされたり,被害に遭った人は違うと思います. 私たちが復興という言葉を使うときは,そうした建築を指すことはあまりありません.むしろ,漁業をどう復興していくのか,とか,市場をどう立ちなおさせるとか,そういうことです. 町をどうするかというグランドデザインはむしろそういう産業をどうするかを決めてからになりそうです. そういう意味では宮城県の村井知事は若干先走り気味の感じはします.
お礼
この度の大震災心よりお見舞い申し上げます。 震災の大変な中、ご教示ありがとうございます。 皆に非難を受けるかなと恐る恐る投稿してみたわけですが、とっても深いご意見をいただき、思い切って質問してみて良かったです。九州から、毎日ニュース見て、何とか被災地の皆さんを早く今の苦しみから解放できるいい案はないものかと、ない知恵を振り絞って考えていました。 九州にも海がありますが、きっと東北の皆さんが生まれた時からずっと見てきた海は、また違った素晴らしさがあるんでしょうね。 復興と言えば、神戸のようにたくさんのビルや道路が綺麗に元に戻って、何事もなかったように生活できるものだと考えてしまってました。 三陸の海を愛する方のお話を聞いて、生活圏であり職場(海)に、なんの断りもなく汚染水を流した東電は、ひどいですよね。 ただ、子供達や子孫が、muramiyagi様と同じ気持ちであればいいですが、少しの揺れで泣き叫ぶ子供さんの話を聞いたら、順応性が高い子供たちなら、早く関係ない土地に移って、安心したいかなと思いました。 宮城県の方のお話を聞けて、本当に勉強になりました。ありがとうございます。そして、価値観、考えは、様々ですが、同じ日本人として、少しでも早く日本が立ち直れる様に祈る気持ちは同じだと思うので、お互い頑張りましょうね!
- snowrabbit08
- ベストアンサー率59% (13/22)
地元への思いいれや故郷を捨てられない思いもあるのでしょう。 子供のためと思ってもいざとなったら実行出来ない方もいらっしゃると思います。 確かに西日本は住みやすいでしょう。 でもそこに大災害がないとは言い切れない日本です。 私は雪国に住んでますけど工夫をすれば暖かくて過ごしやすいと思ってます。 そして地震に対しても2度も怖い思いをしてますけどここから離れる気はありません。 でも、その考えが間違っていると思いますか? >あんなに瓦礫だらけの場所を片付けて、一からインフラ整備してたら、お金はたくさんいるし、そうなると西日本の公共事業がますます下火になり、日本全体が不景気で疲弊してしまう畏れも考えてしまいます。 >子供や子孫のために不便は、我慢できないものでしょうか。 それって西日本を思ってのお言葉ですよね? では東日本はどうすればいいのでしょうか。 思うのは勝手ですけど、住んでいる方々の心情を察すればこんな言葉は出てきません。 私はそれぞれの思いから来るものを否定することは出来ません。 各々の意思や思い入れ、価値観で違ってきます。 今の東日本(特に被災地)の復興をなさずして日本の向上はないとも思います。 東日本を代表する美味しい魚や米、特産品。 どれをとっても東日本、東北にしかないものが多いです。 それをなかったものには出来ません。 思い出にしたくもありません。 私は人様の気持ちを変えることが出来るような偉い人間でもないので、住みたいのなら自由にと思ってます。 子供や孫たちが大きくなって都会なり西日本なりに移り住みたいという意思があれば誰も止めないと思いますよ。 >それとも、皆様そう考えてるのに、大手ゼネコンの儲けのために、同じ街で復興したい!という被災者のインタビューだけを抜粋して報道してるのでしょうか。 大手ゼネコンの利益の為に住み慣れている土地を離れないのではありません。 それぞれの思いがあり、思い出もあり離れられないんです。 そんな簡単なこともわからない質問者様は今時のお人なんだと思います。
お礼
私の文章が下手なばかりに不愉快にして、すみません。西日本が東北よりもいいなどと言っているわけではないです。私も青森に観光したことがあり、食べ物、風景など素晴らしいところだと思います。 西日本も地震が来る可能性は多いにあります。私も地震経験者です。 私が言いたいのは、他の地震と違って、津波で街全体が流されたようなところは、瓦礫を撤去して、測量して、境界線の立会して、土地の持ち主捜しだして、一人一人印鑑もらって、基礎工事して、道路作ってとしていると何年もかかるし、その間にお年寄りや子供連れがずっと仮設住宅で生活するのは、雪国の寒さの中、大変なんじゃないかなと思ったんです。 地震が2回来たそうですが、津波で流されたわけでないなら、もちろんすぐにそこを復旧して、立て直すのは当然です。南相馬市のような全壊した地域の方々についての話です。大人は向こう150年は、大津波はないと頭で理解できますが、子供のトラウマは、そんな数字じゃ納得してくれないと思います。 今、この期におよんで、東北がいいだの ご当地自慢をし合う時では、ないのでは。。 西日本を想って言ってるつもりもなく、被災者を支援するためにはたくさんの税金がかかるので、二兎追う者一兎も得ずにならないように、痛みわけをしないといけない地域まで衰退したら、支援どころじゃないと思います。特に福島の場合だと、これから半永久的に、国民皆で痛みわけをしないといけないわけですから。道路にお金をかけるよりも、少しでも多いお金が個人に渡ると仕事も家も失った人にとっては、安心感が全然違うと私は感じました。 ゼネコン云々に関しては、報道が、現地復旧を望む方ばかりの偏った報道をしているように思えて、ゲスの勘ぐりをしてしまいましたが、先に回答してくださった方が、そんなインタビューばかりではないと教えてくださり、解決しました。 とにもかくにも、被災地のことがわかってないものが、軽はずみに口にしたことで、傷つけてしまい申し訳ないです。私は、西日本のためを想ってとか、税金がもったいないとかでなく、過疎地に移住された方が、早く皆さんが安心できるようにと思ったまでで、また過疎地も街は綺麗なのに、このまま人に忘れ去られなくなっていくのは、もったいないので、せっかくなら、ゼロからの復興よりも、東北の農業技術とコラボして、もっといい街ができると、皆が幸せになるいい方法を考え出したつもりでいました。。
- morutiroro
- ベストアンサー率20% (402/1940)
私は、10代のころから色々と転居をしてきたので、何が何でも地元に留まる。という意志は全くないです。 正直、地元も過疎化してますが、そこを活気づかせようとは思いません。 ですが、東北の方は地元への愛着も深いのもあるでしょうが、今回は友人、家族、家、仕事、と失ったものが大きすぎるのだと思います。 ですから、まだその他の考えまで回らないのでしょう。 色んなものが眠る、ここを復興する。というのが、心の支えになっているのもあるでしょう。 もう少し落ち着けば、他の考えも出てくるかと思います。 また、他の支援の仕方も出てくるでしょう。 住めば都。という言葉は、今でも生きています。
お礼
確かに私の問題提起は、家族を亡くし、生き残った方々が今、充分でない支援物資の中で、必死に生きておられる時にするタイミングでは、なかったかもしれませんね。思いやりにかけりというか、浅はかでした。ニュースの映像では、私には絶望的にしか見えませんでしたが、現地の方々にとっては、復興への希望が今の心の支えになっているのかもしれませんね。でも、この先、落ち着いて現実問題にぶつかった時は、選択肢の一つとして、日本中に何とか手助けしたいとか、一緒に街作りがしたいとか思っている国民がいることを思い出してもらえたらと思います。 物資の仕送りも迷惑になる場合もあったり、遠すぎて、何をどう支援すればわからないので、被災者が近くにいれば、もっと国民はこの問題を身近に感じて、真剣に考えていくとも思います。 冷静沈着なご教示、ありがとうございました。
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お礼
本当にそうですね。 その場で復興できるなら、その気持ちを大切にしたいし、移転することになれば、精一杯の受け入れをする。その判断は、いつか当事者達が決めることですから、私達は、その判断を応援するという覚悟がいりますね。 岩手県宮古市の石碑に、 高き住居は子孫の和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるなと、書いてあるそうです。そのような戒めをご先祖様が示して下さったように、現地で復興するにしても、せめて海岸沿いは、住宅を建てないように、少しは何百年先の子孫のことを考えていただければと思いますが、それも、復興意欲に燃える方々には、聞く耳なしであれば、残念です。
補足
回答ありがとうございます。もう5月になりますが、私が想像していた以上に、国は本当に個人の人生や生活に対しては、無関心であることが見えてきました。だから、移転には先が見えず、不安が多すぎて、住み慣れた町から離れたくない気持ちが強くなってしまうのは、致し方ないですね。自治体ごと、新天地に移転するには、国がリードしなければ、自治体同士のギブアンドテイクだけではどうにもならないでしょう。南三陸の漁師さん達は、山を切り開いて高台に移り住む英断をされてましたし、女川町は、沿岸に商業地帯、高台に住宅という防災都市構想を計画されてます。そのような賢い自治体は、存在するようで、一部の我田引水な住人が妨害して、実現には相当な困難を要するにとは思いますが、応援したいと思います。 陛下のご訪問にあぐらや帽子を被ったままにいた被災地もありましたが、素晴らしい品格でお迎えされた町があり、そんな町の方々こそ、全国に散り散りにならずにまとまって、その文化や品格を残していただきたいと思います。 また、同じ場所に復興予定の方々には、それを認めて応援し、しかし、今後、津波が来ても国民に頼らないよう、また子孫を不幸にしないようお願いしたいと思います。 そして、戦後、私達のお祖父様達が汗水たらして復興させたこの国を経済、人材、環境、全てにおいて、衰退させた今のお年寄り、生い先短い方は、子孫やこの国の未来を最優先に考える器をもっていただけたらと願います。