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東北大震災の復興について
- 東北大震災の復興に関して皆様の意見を伺います。
- 被災された方々の意気込みと、復興の難しさについて考えます。
- 復興に関して他県の過疎地に移り住む視点を述べます。
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NO1です。 ちなみに過去には村ごと、新天地を目指した。という例があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8D%81%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E7%94%BA 移りたいか残りたいか。は別にして、 そうせざるを得ない。そんな状況ではあります。 ただ、その場で復興できるなら、 その気持ちを大切にしてあげたいですし、 移りたいなら、精一杯の受け入れを してあげる準備をしてあげればよいのではないでしょうか。 地域ごとにまとまっての移住案には 基本的に賛成です。
その他の回答 (11)
>その場所で復興したいという気持ちが理解できません。 これは、インタビューなどでそう答えている方がいた時に 私も同じように感じました。怖くないのか?sと。 誰しも故郷というものはかけがえのないもので、 その場所が大切という想いもあれば、そこに住む、 親戚、家族、友人、職場、仲間など様々なものに対する 思い入れがあるのだと思いますが、こんな震災の後だから 特にその思いが強く表れたのではないか。という気もします。 ただ、その後の報道を見ている限りでは、 ・大半の人は同じ場所で復興するのに恐怖を感じる ・できれば他の場所に移りたい。というものでした。 >我慢できないものでしょうか。 我慢というより、まずはやはり先立つものが必要なのです。 復興にとって一番必要なのは実は仕事だと思います。 西日本に行けば、住むところから、仕事から、将来の生活まで 全て誰かが面倒を見てくれる。それも地域の希望する人間全員で移れる。 ということであれば、そういう考え方をする人もでてくるでしょうけど、 実際は、そういうことはあり得ないと。思います。 基本的には、それぞれが自立自助でそれぞれの生きる道を 立てていかなければならないのではないかと。 そのための国の支援なり、義捐金などは一部の助けにはなっても、 すべてがおんぶに抱っことはなりえないのではないかと。 ゼネコン云々というのは見方としては穿ちすぎだと思います。 それより、現地において災害に強い街づくりを念頭に置いて、 そのグランドデザインは国が描き、それに基づいて住民が それぞれの暮らしを確立していく方が、現実的だと思います。 もちろん、そんなものを待っていられない。 恐怖が先に立つというような人は、質問者さんの言う通り、 新しい安全な場所に移るという選択肢を選ぶこともあり得ると思います。 >私の考えは、冷たいですか。 別に冷たくはないと思います。 現実に即してどうか。という視点は 実際になってみないとわからないのではないか。 実は、そのほうがより現実的である可能性だって ないわけではないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 先立つもの、仕事、一番の問題ですよね。 私は、つい子供さん達の目線でいっそのこと学区ごと、過疎地に移転すれば、友人とも離れなくてすむし、津波の恐怖に怯えることもなく、また、過疎地も少子化問題が解決していいのにと考えました。 九州の武雄市は、役場ごと移転も受け入れるといって、市営住宅やホームステイ先をたくさん提供しているのに、一組しか入居がないそうで、そんなにこちらに来るのが抵抗あるのかなと思ったんです。 大半の方は同じ場所での復興を恐怖に感じられているという報道もあるわけですね。そういう方達には、西日本の人間は出来る限りの受け入れをしてあげれたら思います。
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お礼
本当にそうですね。 その場で復興できるなら、その気持ちを大切にしたいし、移転することになれば、精一杯の受け入れをする。その判断は、いつか当事者達が決めることですから、私達は、その判断を応援するという覚悟がいりますね。 岩手県宮古市の石碑に、 高き住居は子孫の和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるなと、書いてあるそうです。そのような戒めをご先祖様が示して下さったように、現地で復興するにしても、せめて海岸沿いは、住宅を建てないように、少しは何百年先の子孫のことを考えていただければと思いますが、それも、復興意欲に燃える方々には、聞く耳なしであれば、残念です。
補足
回答ありがとうございます。もう5月になりますが、私が想像していた以上に、国は本当に個人の人生や生活に対しては、無関心であることが見えてきました。だから、移転には先が見えず、不安が多すぎて、住み慣れた町から離れたくない気持ちが強くなってしまうのは、致し方ないですね。自治体ごと、新天地に移転するには、国がリードしなければ、自治体同士のギブアンドテイクだけではどうにもならないでしょう。南三陸の漁師さん達は、山を切り開いて高台に移り住む英断をされてましたし、女川町は、沿岸に商業地帯、高台に住宅という防災都市構想を計画されてます。そのような賢い自治体は、存在するようで、一部の我田引水な住人が妨害して、実現には相当な困難を要するにとは思いますが、応援したいと思います。 陛下のご訪問にあぐらや帽子を被ったままにいた被災地もありましたが、素晴らしい品格でお迎えされた町があり、そんな町の方々こそ、全国に散り散りにならずにまとまって、その文化や品格を残していただきたいと思います。 また、同じ場所に復興予定の方々には、それを認めて応援し、しかし、今後、津波が来ても国民に頼らないよう、また子孫を不幸にしないようお願いしたいと思います。 そして、戦後、私達のお祖父様達が汗水たらして復興させたこの国を経済、人材、環境、全てにおいて、衰退させた今のお年寄り、生い先短い方は、子孫やこの国の未来を最優先に考える器をもっていただけたらと願います。