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不謹慎な感覚とは?事例を比較
- 地震・津波被害発生後、イベントを自粛するか敢行するか。どちらがより不謹慎なのか比較。
- 地震被害と他国の災害を比較し、被害の大きさについての発言。どちらがより不謹慎なのか考える。
- 「不謹慎」とは慎みや考慮の欠如であり、発言や行動が見ている人を不快にする状態。センスの欠如とも言える。
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「不謹慎」に度合いは無く、比較すること自体難しい様に思います。もし不謹慎かどうかを比較するならば、今回は被災者に対する配慮がなされているかどうか、という点のみになると思います。 具体的には、 【事例1】はどちらも不謹慎ではない。 (A):突然災害が起き、事前に予定していた楽しいイベントを被災者に配慮する形で中止しているので不謹慎ではない。(続行したら、被災者に対して哀悼の意を文章や言葉で表さない場合は不謹慎になる) (B):災害の事後、被災者の為に企画した利益度外視のイベントは、チャリティの様な形で配慮されて催された場合は不謹慎にはならない。(被災者を元気づけるという名目ながら、内容が配慮されていなければ不謹慎になる) 【事例2】はどちらも命を比較して被害の程度を比較している時点で救いようもない不謹慎。 (A):被害のレベルは死者数のみを比較するものではない。また、「全然大したことない、軽いほうだ」というのは被災者に対して失礼な発言で、そういった意味で不謹慎。 (B):外国人だろうが日本人だろうが、命の重さは比較出来ない。「外国人が何万人のたれ死のうが」とは海外で命を落とした方に対して失礼で不謹慎。 というわけで、どちらの事例もAB共同等レベルの不謹慎です。事例1はシチュエーションが震災の事前と事後で違うので比較できず、事例2はどちらも話にならないレベルで比較しようがないといったところ。
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感覚としては、不謹慎と言う言葉は死者を冒涜している場合に使います。 非常識というのは、人によって常識が異なる(大抵は自分の信じていること=常識)ので 常識に照らし合わせると自分本位と映りかねません。 また、不快にするような状態といっても被害妄想な人もいますから何とも言えません。 スーパーに朝から並んで米買えなかったらその人は不快な気持ちになるでしょう。 だからといって、それが不謹慎かといったら違うでしょう。そういうのは僻みと言うんです。 日本の場合、美徳がある、品格がある等と諸外国から言われていますが、 思うに、単にリスクから避けているだけだと私は思います。 安全で行けば食物をわずかながら貰えることを知っているから暴徒と化さないだけだと。 もし、日本が食物を配らない国なら当然暴徒化します。 日本人だからと言って、他の者の右に倣う必要は無いと思います。 確かに右に倣えば失敗は極力抑えられます。しかし、それは同時に考慮しないことを意味します。 何故、悪いか、何故不謹慎なのかを考えずに済むことで右に倣ってそういうものだと言い張る人は 日本人には特に多いです。俺はこう思っているから不謹慎と言われようと貫くと言う人は 日本人には少なく、むしろ変人扱いされます。つまり、考えることがバカだと、 考えた結果、皆と同じ方向を向かないと村八分にされるわけです。 それが日本です。 品格があるだのなんだの言われていますが、諸外国の誰もがまさか日本人が考えない人種とは 思ってもいない。言葉だけのレディファーストを考えずにやっている時点で不謹慎と言う言葉の 意味もわからず、誰かの真似をしているだけという人もそう少なくはないと私は思います。
事例1のA/Bも事例2のA/Bも両方、同じ様に不謹慎ですよ。 今回の様な大地震に関する場合、まずは被災者の皆様、また、亡くなられた皆様に対し、言葉で表現するなら「激励」の言葉をかける。或いは「哀悼の意」を表する。それが一番なんです。食料や水等の援助物資や資金も大事ですが、心の問題です。石原都知事や大竹アナの心無い一言。これはもう不謹慎を超越して、言った本人を人間として扱って良いのかどうか。 人それぞれの考え方の尺度の違いはあるでしょうが、私はそう思います。
お礼
なるほど!納得!ありがとうございました。