価値観とは、人が生きてきた過程で経験してきたことです。
ですから価値観が違うのは当然だし、意見が違うのも当然です。
たまたま一致したことはあってもそれは偶然です。
例え双子であっても価値観が完全一致することはないです。
価値観は違って当たり前、意見も違って当たり前です。
だからこそ相手を配慮し、合わせる努力が必要なんです。
とはいっても合わせるのはどちらか片方がではなく、
双方に合わせるという意味です。
ちなみに、私と妻は価値観は当然違いますが、
趣味から休日の過ごし方から音楽の趣味から何もかも違います。
私はアウトドアだし、妻は完全にインドアです。
私は料理しますが、妻は食う専門です。
でも、付き合ってくるとだんだん似てくるものです。
年間0冊読書する妻が年間200冊読書する渡しに薦められ、
昨年は年間50冊は読んだそうです。
ジョギングなんて絶対しないと言っていた妻が今では週2走ってます。
カップラーメン大好きな妻が、私が嫌いだから食べなくなりました。
これらの例はすべて私に合わせてもらっている例ですが、
だからといって私に対して何でもかんでもやってもらっているわけではないです。
恋愛するとわかると思いますが、大抵の人は求めあいます。
私に言わせれば求めあうから別れるんだ、と思います。
私は一切求めないんです。与えるばかりです。
でも、くれといったものは与えません。私がこれをしたら喜んでくれるだろうということを
考えて、与えてあげる。それがお節介なものだって当然あります。
カップラーメンは食わせないけど、自家製麺でラーメン作って食べさせてやるとかね。
そうやって考えた与え方をし続けることによって相手は変わるわけです。
人は変わらないとよく言うけれど、それは変えろというから変わらないだけであって、
物事を遂行するには急がば回れなんですよ。直球でやれやれいうのは、
それこそ言うは易し、行うは難しなわけです。
全く違うから惹かれあうというのも科学的に理論が通ってます。
人というものはDNAが遠い存在(類似が少ないほど)ほど心が通いやすいと言います。
これは科学的に証明もされています。
あとはその縁をどう生かすかですね。
求めると殺すことにつながります。生かすのは考えて与えることですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 ”大抵の人は求めあいます。 私に言わせれば求めあうから別れるんだ、と思います。” その通りですね。”~してほしい”と思うときりがない気がします。お互い無理なく自然に合わせていけたらきっと長く付き合っていけるんですね。