自殺 尊厳死 と 臓器移植について
私は精神疾患です。最近は特に心身共に調子が悪く、不快感を与えるこのような質問をするご無礼をお許し下さい。
自殺も尊厳死も当人は良いですよね。本人は死にたいのですから。希望通り死ねるのですから。『自分なんか生きていても、家族のお荷物だから』とか『自分はいない方が家族のためだ』と、自殺志願者、尊厳死希望者は言います。そうですね。私もそう思って自殺を図ったことがあるものの、生きています。
だけど残された家族、人の気持ちはどうなるのですか?『自殺に追い込んだ』『尊厳死を選ばせた』と、一生悔いて生きていくのでは、ありませんか?
先日。脳死状態の特集を観ました。
死んで脳死と判定されたけど、本人が生前に脳死状態に陥った場面、臓器提供をする意志表示をしてなかった場面が多いと、有りました。
ふと思いました。故意に脳死となる方法はないのかと。自殺をすることで家族が嘆くことには、変わりはない。だがこの世には生きたくても、臓器移植をする他に助かる方法がない人がいて、臓器提供者を待っている状態の人もいる。
自分の家族に自殺を選ばせたけど家族の誰かが自殺しても、それが脳死状態での自殺だったら、、、他の人を生かせる自殺だった。
大切な人に死を選ばせたことは悔やまれるけど、他人を生かすことが出来る自殺だったと、家族は思えないのでしょうか。
自殺をする場合は必ず脳死状態になれるように行い、臓器は必ず移植すると意志表示をして、自殺をすれば、助かる人が増えて良いんじゃない?
と、ここまで考えて、そもそも故意に脳死状態になることは出来るのだろうか?と、思いました。また、突然家族の誰かを失う悲しみは、同じなのではないか?
尊厳死も確か日本の法律で、まだ認められていないのではないか?
例え認められていたとしても、その人に臓器提供の意志があっても、、、と思うと、思考が迷宮入りしてしまいました。
そもそも故意に脳死状態を、引き起こすことが出来るのだろうか?
今の私は自殺志願者ではないけど、人間いつかは死を迎えます。私は最後くらいは他の人の役になる死に方をしたいと、思っています。
目茶苦茶で憤慨する内容の質問を、最後まで拝読してくれて、有り難うございます。
お礼
道徳的に正しいお答えいただき、ありがとうございました。 もし、あなたが末期の癌をわずらい、抗がん剤の苦痛、カヘキシー、患部疼痛、モルヒネによる意識喪失、などを、あなたがあなたの体で味わったとき、私のこの質問の意味を理解するでしょう。