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小学校「離・退任式」のねらいとは?
公立小学校に勤めています。来年度の4月に、児童と転勤・退職される方とのお別れ式である「離・退任式」が行われます。今、その「離・退任式」の提案文書を作っているのですが、「ねらい」が何かわかりません。今まで「ねらい」がなかったようですが、「ねらい」がない式はおかしいと思っています。どのようなことが「ねらい」になるのか、誰か教えてくれませんか。お願いします。
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- poguri1014
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転勤・退職する職員の離任式・退任式を、4月に行うのですか? 私は3学期末、修了式の後に離任式を行う形式しか 経験したことしかないもので、不思議な感じです。 >今まで「ねらい」がなかったようですが、「ねらい」がない式はおかしいと思っています。 おっしゃる通りですね。でも、 >「離・退任式」の提案文書を作っているのですが、「ねらい」が何かわかりません。 教師でありながら、そのねらいを自分で考えられないことも、かなりおかしいです。 こういう場に答えを求めていらしたことから推測するに、 まだお若い先生なのでしょうから、仕方がないのかもしれませんが。 私も公立の小学校に勤めていますので、それまで「ねらい」がはっきり示されていなかった行事や 新しく始めようとしている活動の担当になった時には yutaka_1022さんと同様、どこに「ねらい」を置くべきか、どう作文するか、かなり悩みます。 でも、大切なのは、教師として 「その活動をさせることによって、子どもたちにどんな成長・変容をさせたいか?」 というところが原点になるべきです。 とても単純だけれど、とても大切な一点です。 行事だけではなく、普段の授業もすべてここが原点だと思っています。 なので、yutaka_1022さんも、今一度原点に戻って、シンプルに考えてみてください。 子どもたちを離・退任式に参加させることで、子どもたちにどんな成長・変容をさせたいですか? 難しいねらいよりも、「これだけは!」という重点を置けたらいいと思います。 それでもわからないようならば、こういう質問サイトではなく 職場の先輩方に相談するといいのではないでしょうか。 忙しい時期ですが、もうひと踏ん張りですね。 お互い頑張りましょう。
- songbook
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児童にとってのねらいは、 「お世話になった先生の離任、退任を知り、その先生方の最後のメッセージを受け止める。」 でよいのではないでしょうか。 別れの惜しみ、敬意などの感情も当然あると思われますが、それをねらいにするのは、どうも無粋のような気がします。 まあ、「ねらい」は大切ですし、ただの慣習と思われていた様々な行事、授業などの「ねらい」を改めて読んで、活動の裏付けと奥深さに学ばされたことは確かに数多くありますが。 なんでアーチを作って送りださなければならないの? なんでそこで校歌をうたうの? なんで花束を贈らなくちゃいけないの? それらのねらいが分かれば、納得して実行にうつります……。 なんでもかんでも「ねらい」がなければ成り立たないとする学校の経営の「洗脳」にはうんざりします。 よいと思ったからやる。続ける意義が見いだせなくなったらやめる。 それでいいのにね。
- ruck
- ベストアンサー率44% (589/1321)
すでに小学校を卒業した3人の子を持つ親です。 学校の先生は、担任が終われば知らん顔、というものではないはずです。 新学期に学校にいったら、お世話になった先生が何の知らせもなく いなくなっていたら、親も生徒も戸惑うし、淋しいのではないでしょうか? 「ねらい」と難しく考えたことはありませんが、1つにはそれを知らせるため、 もう1つには、保護者と子供に何らかの感謝の場を設けるためだと思います。 子供たちの通った公立小学校では、移動や退職の先生に、 有志(だいたいそのクラスの学級委員の親)が発起人になって、 離任式に花束や寄せ書き、タオル程度の記念品を子供たちから贈ります。 すぐ近くに公立中学があるので、卒業生も離任式が終わった頃に 会いにいったり、中学の入学式の後にも制服を見せにいきますよ。
始業式や終了式と同じような儀式の一つのように思います。 「ねらい」というより「目的」のように感じます。 「お世話になった先生が退職されます、他の学校へ転勤されますということを児童に伝え、 学校を離れる先生からも児童に対して何か一言お別れのあいさつをする」という、 世間での慣習を教える目的もあるのではないかと思います。 そこまで深く考えたことはありません。