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宮城谷昌光「重耳」の遍歴する公子
表記の主人公は諸国を遍歴します。 また、孔子も同じように理想の君主を求めて遍歴したとか。 戦国時代、こういうことは一般的だったのですか。 不確かな血統と能力をあてにするより、子飼の人材のほうがはるかに信頼出来そうに思えます。 受け入れる諸侯の側にはどんな利得があるのでしょうか。 現在の入社試験みたいなことでしょうか。
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- potatorooms
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補足
ありがとうございました。 ご教示の前提を理解しないと理解できませんね。 国を治める力の源泉は、武力よりむしろ君主の徳のようなもの、あるいは天命のようなものだった、ということになりますか、ちょっと信じ難いことですが。 「革命」思想にも通ずるのでしょうか。 そのような共同的な観念、幻想は、人間は天に支配されているとでも考えないと生まれないように思うのですが、いかがですか。 また、広い中国にあっては、評判が伝わるにも相当な時間がかかり、やがてはいい加減なものになるはずで、そんなものがあてになると考えたのでしょうか。第一、人を特定することさえ難しいのではありませんか。 散漫な質問ですみません。