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親が厳しい子は、親から愛されている?
両親が厳しい子供は、両親から愛されている(大事にされている)という証拠になりますか?
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質問の回答としましては・・・。 「厳しい」と言う内容の詳細にも寄りますが、「虐待」みたいな「勘違いのバカ親」を除外されてると見なせば、 ★概ね「なると思います」 ですね・・・。 ちなみに・・・。 「過保護な親」と「厳しい親」は、少々違うような気がしますけど・・・。 ★「過保護な親」 子供の受験に「替え玉」を使ったり、子供に独り暮らしをさせないで「衣食住」全ての面倒を見続け、結局のところ、ダメな子供に育ててしまう親。 (子供を叱らず、子供の我儘を全面的に受け入れる親、と言う意味です) 子供が「マザコン」や「ファザコン」なのに、それに気が付かない親など。 ★「厳しい親」 生活態度や食生活には、口うるさく言う親。 ↑ 自分に言わせりゃ、「普通の親」ですけどね。
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- rowena119
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子供を甘やかすのは簡単ですが、厳しく躾けることは愛情が無いと出来ません。何かミスした時に苛めること簡単ですが、成長の為に我慢することは難しい。
お礼
厳しい躾は、愛情があるから出来ることですね。御回答ありがとうございました。
- tomban
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「厳しさ」の内容によりますね。 虐待に近いようなものは、厳しさとは言いませんから。 ひとつ言っておきますが、子供を愛さない親なんていないんですよ。 ただし!…その愛情というものが「ひとりよがり」だったり、押し付けだったり、不安感でいっぱいだったりする親であるとしたら、その愛情が間違って伝わるなり、曲がって伝わるなりするわけです。 親はみな子供に愛情を「持ちます」が、それが果たして「好ましいものかどうか」は、親次第だってこと。 だから「こういう親だから愛情深い」というのは、とてもじゃありませんが、こういった場で断定できるような簡単なものじゃないってことです。 それを念頭において、それから事例などを見て、自分で判断してください。
お礼
親ならみな子供を愛するものなのですね。御回答ありがとうございました。
- waru-oyaji
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法的な証拠にはなりえません。 両親から愛されている(大事にされている)という基準が曖昧 だからです。 私は両親から厳しく育てられた方だと思っていますが、両親から 愛されていない(大事にされていない)と思ったことは一度も ありません。 嫌だな、うっとうしいな、とは思ったことがありますが^^; しかし、そういう気持ちは簡単に消えてました。 現在、私も親の立場ですが、相応に厳しさを出しています。 それは、自分の子供には正しい道を歩んでほしい、将来苦労する ことがないようにという思いからの言動です。 子供たちがどう感じているかわかりませんが、少なくとも私は 子供たちを愛していますし、大事にしています。 昨今の子供虐待事件やこのような質問が出ることは、まず両親が 大人になりきれていない、一時の激情に任せて厳しく接すると いう理性の欠如に因るのではないでしょうか。 愛情を持ったしつけであるはずなのに、単なる憎しみやストレス のはけ口にしているということです。 「しつけ」という漢字は「身」に「美」と書きます。 まさに、相手自身を美しくさせるためにしつけるのです。 ですから、常識的に考えれば「愛されている」と解釈するのが 自然かと思います。
お礼
常識的に考えれば、「愛されている」と解釈するのが自然なのですね。御回答ありがとうございました。
- 6186move
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“厳しい”という言葉が漠然とした表現なので回答が難しいですが、 親子関係や親の愛情について思うことを書きます。 親の態度は大きく分けると三つに分かれます。 一つ目のタイプは子どもを厳しく教育し訓練するスパルタ的な親。 二つ目は甘やかして放任する過保護・溺愛タイプ。 三つ目は両極端ではない平衡の取れたタイプ。 どれも親なりに子どもを愛しているのでしょうが、 育ち盛りで親の愛情を必要とする子どもにとっては、 いろいろな感じ方があるだろうと思います。 厳しく育てられると子どもは反発する場合がありますし、 厳しさが足りないとしつけが行き届かない場合があり、 子ども自身も「叱らないのは自分のことなどどうでも良いからではないか」 と考えることもあるようです。 結局のところ、親子関係次第にも思えますが、 厳しさの背後に親の愛を感じるなら、子どもはその厳しさを受け入れ、 答え応じようとするのではないでしょうか。 一方厳しさが単なる親の感情的なもので、一貫性もないゆえに 子どもをいらいらさせるさせるものなら、親の言い分はどうあれ その厳しさは子どもには愛だとは伝わっていないことになるでしょう。 愛は感情的でも感傷的でも溺愛的でも利己的でもありません。 子を思う親は、本当に子どもの成長と成功を願って信念を持って 子どもに向かいます。子どもから逃げません。 親の特権と義務の両方を放棄しません。 親が子どもに与えられる真の財産はお金や所有物ではありません。 むしろ自分の時間と知恵です。 子どもが自活して厳しい世の中を生き抜いていくために必要なことを 成長具合と必要に応じて教えます。 教育を学校や専門書に任せません。 自己信念に基づき、悪い付き合いや悪い習慣からは毅然と保護します。 摘み取らねばならないことを見つけたら懲らしめ、 親として果敢に取り組んで人格的成長を助けます。 子どもに本当に必要な厳しさを発揮するのは、 まさしく子どもへの親の愛の証拠だと思います。 しかし気分次第で子どもを自分の所有物のように扱うゆえの厳しさは、 虐待にもつながりかねない単なる親の未熟さだと思います。
お礼
子供に本当に必要な厳しさを発揮するのは、子供への愛の証拠なのですね。御回答ありがとうございました。
- sekanndo
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こんにちは。 既婚女です。 厳しい中にも"愛情”が必要なんです。 現代の若者夫婦は"虐待”がしつけ=愛情とまちがえて教育しています。 私は三人の子供がおり、三人三様、性格も違うし、1人の人格があります。 出来ること ・人並みの礼儀(挨拶 感謝の心) ・自分の意見が持てる場所を提供する。(家族が集う場所) ・プライベートに関与しない。 * ルールを作る(家訓) 私達夫婦は共同で子育てをしてきました。 ・子供の”健康管理、心のケアー”は母親。 教育、金銭問題は父親。 ・子供と共に、”親も教育されている事”を知って欲しいと思います。
お礼
厳しい中に、愛情が必要なのですね。御回答ありがとうございました。
- zero-jay
- ベストアンサー率37% (68/180)
何の証拠にもなりません 愛の形は人それぞれ 子供が自立できるよう厳しく育てるのも愛情 過保護に育て甘やかすのも愛情 どれが良いとも言えませんし証拠ともなりません また、子供の性格もそれぞれ その子供に対して最良の方法を考え育ててあげる 導いていくのが愛情じゃないですか だから愛の形はそれぞれなのです
お礼
厳しく育てるのも愛情の一部なのですね。ありがとうございました。
“厳しい”の質によると思います。 大事なことを教える為に 自分達が死んだ後も生きていけるように 厳しくする事には 愛があると思います けど、理由も無く厳しくしたり 例えば親の機嫌に左右される厳しさ これは愛されている証拠にはならないと思います。
お礼
大事な事を教える為の厳しさは、愛ゆえですね。ありがとうございました。
- gesigesi
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本当に子供を愛している親とは 過保護すぎるぐらい可愛がる親です。 その子供が死ぬまで苦労の無いよう、しっかりと守ってやるのが親の勤めなのです。 厳しくして世の荒波を越えさせようとするくらいなら、子供など作らねば良いのです。
お礼
本当に子供を愛している親は、苦労のないようにしっかり守ってあげて可愛がる親なのですね。ありがとうございました。
お礼
過保護な親と、厳しい親の違いを書いて下さってありがとうございました。本当にその通りですね。