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境界例が適応する過程でのリスク
- 境界例によるコミュニケーションのリスクや人間関係の難しさについて探求します
- 境界例によるリスクとは何か、相手を傷つけることのリスクを考えます
- 自己愛や他者を信じることの難しさ、人間関係における真似のリスクについて考えます
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こんばんは まず >私に欠けている「人と接するのに何が大切なのか」を学ぶ事において 他人を傷つけることはやむをえないのでしょうか。 私の個人的な意見ですが、やむをえないと思います。 全く他人を傷つけずに、また傷つけられずに生きていくことは、ほぼ不可能なのではないでしょうか? 病気であってもそうでなくても、おっしゃるように自分の主観でしか他人と関われません。 その主観は、色んな人と関わってケンカになったり仲良くなったり そうでもなかったり・・・と、経験を積み重ねることで変化・成長はするでしょうが。 正しい「好き」も、人それぞれの 極端にいえばエゴかもです。 身を捨ててでも助けたい、という「好き」もあなたのエゴなのでは? だから、あなたを「気持ち悪い」なんてひどいことを言う人にまで「好き」でいる必要もないかと。 ただ、身を捨てるほどの思いで好きだったのに あなたの思うような人でなかった場合、その相手を憎く思う、 なんてことは逆恨みになっていまいますよね。 好きな人の「いい部分」を真似るのは悪いことではありませんが その「いい部分」をあなたらしく真似して、あなたらしく表現できることが大事だと思います。 真似をするリスクとしては、ただの真似だと相手に心から伝わらず 伝わらないことで、あなたがキズついて、また勇気をだせなくなるかもということです。 あなたがおっしゃってる「信じて欲しい」ということ 何を信じて欲しいのか、具体的なことはわかりませんが まず、あなたを偏見なしでまっすぐ受け入れてくれる人に出会えること、願っています。
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- bayashiko0517
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周りのものが信じられなくなって 全部憎くて 正しさが何なのかわからなくなって 途方に暮れて 私もつい最近まで あなたと似た苦しい状況下で 物事を考え 生きていました。 周囲に相談したりもしてみましたが 「考えすぎだよ」で済まされてしまう始末。 私はその「考えすぎ」る癖が どうしたらなくなるのか、一緒に考えてほしいのに。 なのに「考えすぎだよ」と ぽつんと独り放りだされたみたいになって あぁ、ちゃんと取り合ってくれない人に どうして話したりしたんだろう、馬鹿みたい、とか。 でも、最近気づきました。 それでいいんだ、って。 人はきっと あくまで自分を基準にして生きていくしか できない生き物なんです。 誰かを好きになったり 嫌いになったり 愛してみたり 裏切ったり。 その行動を起こす基準は その感情が起きる基準は 本当に あくまで自分基準なんだと思います。 そして その基準を作ってる自分も 流動的で 必ずいつも同じではありません。 今幸せか。 それとも不幸せか。 その場その場で判断していくしか 方法はないんだと思います。 そして 人間はそれでいいんです。 あなたの家族に対する嫌悪感も 自分を信じてくれない人を身を捨てて助けるなんて馬鹿馬鹿しく思うことも 間違ってないし 正しいのでもありません。 中から出てくる感情は どうしようもないし、それでいいのです。 真似にともなうリスクについてですが 強いて言えば 自分が見えなくなるかもしれない という事だと思います。 他人の行動や考え方に溺れて 自分がわからなくなる事だと思います。 でもそうなる確率はあまり考えなくていいと思います。 誰かを真似ようという行動は あくまで「もっといい自分になりたい」という向上心のもとに在るからです。 「あの人と同じになるため」の行動になってきたら それは少し、注意が必要かもしれませんが。 あなたが心から 「幸せ!」 と言える日が来る事を願っています。 そのときの感情を 邪魔する権利など誰にもないので とにかく「幸せ!」を噛み締めて ください。 それでいいのです。 あなたは正義でもなく気持ち悪いのでもなく あなたはあなたです。
お礼
ありがとうございます。 もう少し考えて見ます。
お礼
もっと自由に生きてみます。