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責任を持つ事から究極に逃げたい場合

敢えて大袈裟なタイトルにしました。 ただ本音として、心の奥底にそういう気持ちがあります。 逃げ癖が強いのです。 自分の人生にも責任を持ってきませんでした。 死にたいと思いながら生きてきました。 それを必死に変えようとして、頑張ってきましたが 根っこの部分は変わりません。 生きてる目的がないから、仕事も続かないのだと思います。 こういう場合どうしたら良いですか? 宜しくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SARA0708
  • ベストアンサー率50% (2/4)
回答No.2

こんばんは。私も逃げ癖が強く「似たような気持ちがあるなぁ」と思い答えさせていただきました。 質問者さまが、どのような立場なのかは分かりませんが逃げる事は決して悪い事ではないと私は思います。 「どうして逃げてしまうんだろう」「どうして自分はこうなんだ」と自分自身を責めてしまう事は、あまりオススメできません。それは自分が壊れてしまう恐れがあるからです。 【死にたいと思いながら生きてきました】 私も同じです。死ぬ方法を調べて何度か自殺未遂をしたこともありましたが「生きていることが全てなんだ」と実感しました。 なぜ今、お辛いのでしょう?それは、質問者さまが必死で生きているからだと思います。今、踏ん張っているからなのだと思います。それは素晴らしいことだと私は思います。 質問者さまが必要なのは逃げることではなく休むことです。 自分を責めるのではなく、そういう自分を認める心を持つことが一歩なんだと思います。 質問者さまは、いくつもの責任から本当に逃げてきたのでしょうか?そうではない事もあったはずです。今は、そう思えないのかもしれません。 逃げてしまったことで、自分に気づきがあったのなら一歩いっぽ進めます。生きる目的は探すのではなく見つけていくものなのだと思います。

tk777
質問者

お礼

有難うございます。涙が出てきそうになりました。 一度精神は壊れてます。 膠原病の診断を受けた時に目の前が真っ暗になりました。 それが受け止められず、精神を病んでしまい、結局はうつ病になりました。 子供の頃から逃げてる自分は理解しておりました。 それを変えようと必死になりましたが、結局は変わりません。 余計に自分を追い込んでしまい、自滅しました。 仕事も社員で雇ってもらった会社でも長持ちせず、直ぐに辞めてしまいます。 必死になり過ぎて、力尽きてしまうのです。 20歳で東京に上京し、15年間頑張りました。 今まで逃げてきた事に真正面からぶつかりました。 とても成長出来たと思います。 でも今は、もう体が動きません。 障害者手帳も取ってます。 障害年金も貰ってます。 もう、健常者ではなく、まともに働く事も出来ないのです。 精神疾患者の世間に対する目は冷たいです。 もちろん誰にも言ってません。(一部の友人を除いて) 心身共に病んでます。 この先生きる希望がありません。 それが正直な感想です。

その他の回答 (2)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

人生はどこかで踏みとどまって戦わないと、いずれどこかで行き詰まるか、逃げてきて先送りしてきたツケを払わされる羽目にはなります。人生って、そういうものです。だからどこかで現実と自分自身に向き合わなきゃいけないんだけど、逃げ癖がついた人はそれができないのです。

tk777
質問者

お礼

有難うございます。 確かにその通りだと思います。 自分と向き合う必要がありますね。 私は親から逃げてきました。 そして今も避けてます。 生きてるうちに克服したいと思います。 もうきついです。

  • 534889lc
  • ベストアンサー率88% (8/9)
回答No.1

初めまして。 私も逃げ癖が強く、 「いつ死んでもいい」と思いながら生きてるので、いろいろと無頓着で、どうでもいいと投げ出しながら生きています。 なので、真夜中に一人で歩いているとかも普通にします。 通り魔などに会っても、まぁいいかと思っているからです。 会わなかったら「ああ会わなかった」と、「そっか」程度で考えています。 嫌なことがあれば、 いつ死んでもいいのだから、 目の前の電車に飛び込もうとも考えるのです。 「今だ!」とタイミングを計ったことも何度かあります。 それでも何とか生きてきたのは、 電車に投身すれば、 電車を利用する多勢の人の迷惑になるからです。 飛び降りも周りの関係ない人たちを怖がらせてしまいます。 部屋で自殺したって大家さんや不動産屋さんが迷惑でしょう。 「いつ死んでもいい」と考えている自分のその適当な考えのせいで、 見ず知らずの大勢を巻き込むわけにはいきません。 そして何より、 こんな大きくなるまで育ってしまいました。 育ててくれたのは親です。 毎日ご飯を食べさせ、 寝るためのベッドを置いてくれ、 学校、服、遊び、 私のために汗水流して嫌な思いをしながら稼いだお金を大量に使ってくれたのです。 私のために使わなければ、 もっと自分たちのために使えたでしょう。 もっと遊んで暮らして、 もっと楽に生きていけたでしょう。 でもそれを私のために使ってくれたのです。 自分たちの「楽」のためじゃなく、 「苦」を選んで育ててくれた。 今でも心配してくれるし、 話も聞いてくれる。 決して良い子ではないし、 理想の子供でもないのに。 私はそこに「無償の愛」を感じました。 私の命は、親が人生を払って育ててくれた命です。 だから、生きる義務があると思うようになりました。 それに、 少ないですが友人も仲間もいます。 その人たちを悲しませたくないから、 ツラくても死にたくても、 一歩は踏みとどまれるのです。 「責任から逃げる私が、 最低でもやらなきゃいけないことは、 皆に生かされた自分を、 自分自身で殺さない」くらいです。 なので仕方なくですが生きてます。 仕方なく生きるために、 仕事もバイトですがしています。 頑張って変えようと思わなくてもいいのではないでしょうか?? 死にたい、などという気持ちを変えることに心労しては、本末転倒な気もします。 「あー綺麗な景色」 「あー今日いい天気」 そんな小さな良いことを探してみれば、意外とあるかもしれません。 いっぱいいいもの買えた。 可愛い犬を見かけた。 欲しいものができた。 あれ食べたいなー。 なんでもいいと思います。 死にたい気持ちは変わらなくても、 幸せは小さくてもやっぱり幸せです。 長くなりましたが、 ご希望に合う返答だったでしょうか?? 「死にたいと思いながら生きてきました」 という一文に共感して、 思わず長々と自分のことを書いてしまいました。 何かお役に立てたら幸いです。 長文、失礼致しました。

tk777
質問者

お礼

ご回答頂き有難うございます。 必死に自分を変えようと、少々頑張り過ぎていたように思います。 私は30歳の時、膠原病が分かり、その後うつになりました。 病気だけが原因ではないかと思います、私の考え方が偏って いたから、うつになったのでしょう。 全てを奪われた感じになり、絶望感しかありませんでした。 やりたい事が出来ないのであれば、もう死んでもいいと思いました。 それからは転落の人生です。 働こうにも体が痛く、フルタイムでの勤務が出来ません。 当然収入も低くなり、今まで自分が嫌っていた人達に自分が そうなってしまいました。 だったら働け、という事になりますが 今まで営業職をやってきましたが、対人関係に非常に過敏な状態となり 且つ、うつでの気分の落ち込みでとてもじゃないけど、やれる状態では ないと自分では判断してます。 無理してやって、またダメで、また死にたくなったりするのが 一番悲惨なので、、、。 この先の事を考えると、悲観的になります。 早く死ねるものなら死んでしまいたいと思ってしまいます。 唯一楽しいと思えるのは、美味しい物を食べてる時だけです。 後は体の痛み、精神の不安定さとの戦いです。 何をやっていても心が休まる事がありません。 もう半年も無職です。 出来る仕事も限られてきます。 もう投げ出したいです。

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