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「確率の収束」の考え方について
確率は試行を繰り返していけば収束に向かっていく、という事は分かるのですが、その確率の収束というのは、個別の事象全てに当てはまるのですか?それとも全ての事象を統合して初めて言える事なんですか? 例えば確率2分1のくじ引きA、B、2種類あって、何千回、何万回も引いた結果、Aは当たり確率が20%、逆にBは80%という結果が出たとします。 くじ引きA、Bの結果を個別的に見ると異常としか思えませんが、両者合わせると当たり確率はちゃんと2分の1になっている。 だから確率はちゃんと収束している、何の問題もない。という事になるんですか?
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言葉の意味をしっかり把握していないと、ナンセンスな議論に陥ってしまいます。 当たりとはずれが等確率のくじでは、当たりになる確率は、いつも1/2です。この確率は、定数であって、収束とは無関係です。何千回、何万回くじを引いても、この確率は、変わりません。また、確率が1/2だということは、2回くじを引いたときに1回は当たりになるとか、100万回くじを引いたとき50万回は当たりになるとか、そういうことは一切保証していません。 で、何が収束するかというと、独立にn回くじを引いたとします。nが大きくなるとき、「当たりの割合が0.7以上になる確率」は0に収束します。この0.7は、1/2より大きな数なら何でもかまいません。「当たりの割合が0.9以上になる確率」「当たりの割合が0.6以上になる確率」「当たりの割合が0.500001以上になる確率」は、どれも0に収束します。同じように、1/2より小さな数字について、「当たりの割合が0.4以下になる確率」「当たりの割合が0.2以下になる確率」「当たりの割合が0.499999以下になる確率」は、どれも0に収束します。 したがって、2回くじを引いて2回とも当たるのはたいして珍しいことではないですが、1万回くじを引いて1万回とも当たるのは、すごく珍しいということになります(あくまでも当たる確率が1/2のくじを独立に引く場合)。 上の確率の収束は、確固たる真実です。異論があるかもしれませんが、個人的には、確率に「理想の確率」も「現実の確率」もないと思っています。「理想」とか「現実」とかの修飾語を付けるのは、不必要なだけでなく、いたずらに話を分かりにくくしているように感じます。
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- Ishiwara
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「何の問題もない」とはどんなことか、定義してかからなければなりません。 もし100万回クジを引いて、ちょうど50万回当たったとします。その試行者から私宛に「問題ありませんか」と問い合わせがあれば、私は「大いに問題あり」と答えるでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。確かにそうですね!なるほどと思いました。もう一度よく考えてみます。
- syaname
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興味があったのでいろいろ考えてみました。 あくまで確率の収束は理想論で現実ではあり得ないのではないか、というのが一番普通の考えです。 そのくじで4回中3回当たったからと言って当たる確率は75%ということはないはずです。 常に50%の確率で当たります。 たとえばコインの裏表を見る試行で裏が10連続で出ることだってあるはずです。 そのときに計れば当然確率は50%を割ることもありますし、その逆もあるかと思います。 このように実測すると理想値からのズレがあるかと思いますし、収束するかも定かではありません。 あくまで理想の確率で常に引いたとき確率は理想値をとって収束する、という考えが元となっているので 現実でいくら実測しても確率はそもそも収束しない、と思います。 解答にはなっていない気がしますが、どうでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。そうですね。現実の試行結果が「確率の収束」という原理に従わされているわけではない、という風に私も思います。実際の確率のブレというものは想像よりはるかに大きいのかなあ…と思います。
お礼
回答ありがとうございました。全く仰る通りで、その辺の区別を私はごちゃごちゃにして考えていました。もう一度頭を整理して考えてみます。