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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:辛く苦しい経験がないのにやさしい人)

辛く苦しい経験がないのにやさしい人

このQ&Aのポイント
  • 若い頃は、やさしさと、辛さ苦しさの経験値は比例すると思っていました。
  • 社会では、やさしさと辛さ苦しさの経験が比例しているとは限らないことがわかりました。
  • やさしい人にはさまざまな経験があり、それぞれの背景には個々の要素が関与している可能性があると感じています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2315)
回答No.6

確かに質問者様の仰るとおり「やさしい人」には「辛く苦しい経験をした人」が多いですね。ただ、それは「一般的には」とか「平均すれば」そう言えるレベルであって、あてはまらないケースも多いと思います。そして不思議とも思いません。 なぜなら、まったく同じ体験をしても、反応は違いますよね? 「辛く苦しい経験」を元に「やさしい人」「人格者」になる人もいれば、ひねくれて道を踏み外す人も大勢います。つまり、同じ経験をしてきても、逆にしなくても、人によって反応も学ぶ事も違うと思います。生まれつきの性質もあるでしょうし、それ以前の経験による違いもあるでしょうし、本人の努力によるものもあるでしょう。 それが「個性」であると思っていますので、「不公平」と感じた事はありませんでした。「公平」とか「平等」というものは「社会」の中でのみ存在するもので、自然にはありえないと思います。 ただ、ご質問をきっかけに改めて考えると不思議ではありますね。なぜ、同じような境遇で全然違う反応を示すのか、いったい性格の違いはどこで確立するのか・・・。 また、ひとつの事象に対し、同じ反応を示したからといって、「同じやさしさ」とは思いません。 変なたとえですが、梅の花一輪一輪の形はどれでも同じですが、木の姿はひとつひとつ違いますよね。そんな風に、一つのケースに対する反応は同じでも、人の「やさしさ」はひとりひとり違うと思います。そもそも何が「やさしさ」なのか、その価値基準自体が人によって違うと思いますので。 たとえば、困っている人を助ける事が「やさしさ」なのか、あえて突き放すことが「やさしさ」なのか、40過ぎですが、迷う事ばかりです。 何かうまく書けませんが、ひとつの「考え方」ということで、ご参考までに。

Forget_it_all
質問者

お礼

「困っている人を助ける事が「やさしさ」なのか、あえて突き放すことが「やさしさ」なのか」 その人自身にもよるし、相手にもよるし、お互いの関係にもよるし、決めることはできませんね。 ありがとうございました。

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その他の回答 (9)

  • zappa-z
  • ベストアンサー率23% (291/1232)
回答No.10

私は質問者さんとはまるっきり逆の考えでした。 若い頃は、やさしい人というのは、優しく愛されて守られて育った人だと、思っていました。 大人になり、とてもやさしい人格者の友人が苦労人であったのを知ったりすると、本当に驚いたものです。 愛され、守られ、優しくされて育てば、自然と同じように人に接するようになると思います(だってそれがその人の中では普通の事だから)ので、辛い経験を積んだうえでやさしい人こそが、一番の人格者だと思っています。 自分はつらい思いをして来たのに、人にやさしく出来る人を、私は尊敬します。

Forget_it_all
質問者

お礼

下の方々が仰っているとおり、人によって考え方、受け取り方は違うものですね。おもしろいと思いました。 ありがとうございました。

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  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.9

 再び。「幸せになってきたかな」と思い始めると、「苦労はしない方がいい」「悪いことを知らない事って幸せ」と思うようになったよ。人の気持ちは、その経験がなければ別にわからなくても良いんだから。わからない方が、良いことってのもある。そこにいい人悪い人、優しい優しくないは関係ない。  それと、不安なく幸せに育ってきたヒトに気づくようになったのは、そういえば幸せになってからだね。そういう人に接すると、逆に気を遣う自分と、気を遣わずに優しく幸せをお裾分けできる相手の違いに気づいて、後で反省することがある。気づけたことは少し成長かなとも思うけど。

Forget_it_all
質問者

お礼

そうですね。辛いことはなるべく少ないほうがいいですね。 ただ、人生何が起こるかわかりませんので、降って沸いた出来事に負けない強さを持つには、、、むずかしいです。

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noname#132068
noname#132068
回答No.8

あるところまでの優しさは同じかも知れませんが 心の痛みまでわかった上での優しさは後者にはないと思います 優しくは出来ても痛みを分かち合うまでは出来ないんじゃないでしょうか

Forget_it_all
質問者

お礼

そうですね。皆さんの回答を読んで、やさしさの違いに気づきました。 ありがとうございました。

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  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.7

二つの考え方があってさ。 1・まず「優しさを身につけるには?」という考え方。 こちらに関しては諸説あるだろうけど、僕としてはNo.3さんの考えに同意。優しさは(優しさを)体験したからこそ身につくって考えなのかな。”辛苦”で身に付いてるわけじゃないって考え方。 基本的に苦労すると曲がっちゃうと思うんだよ。曲がって当然だと思う。そこで曲がらなかった人が底抜けに偉いんであって。曲がる曲がらない、どちらが自然かと言われれば、普通は曲がる方が自然。なんだってそうだろ?ストレス掛ければ曲がるのがこの世の真理。(物理的にはもちろん、精神的にも) そういう”曲がり”は人を強く堅くする。その代わり脆くもする。柔らかさを犠牲にするだろうし。純粋な優しさってのはそうやって犠牲にしてきた”柔らかさ”なんじゃないか、って思うんだよね。 柔らかさを取り戻す為には、ある程度強さ硬さを犠牲にしなくちゃいけない。鈍してやらなきゃ身につかない。これは人間にだって当てはまってると思うんだよ。叱ってばかりじゃ次第に強情な人間になっていくようにね。 強くなったり柔らかくなったり。そういうのを繰り返して、”しなやかさ”や”堅牢さ”などと形容されるような「一段上の表現」を手に入れられるのかもしれない。まあ、これは余談なんだけど。 この辺は”鋼の鍛え方”を下敷きにしている。どうも人間と重なるところが多いと思うんだ。いや、”強さ””硬さ””柔らかさ”・・・。この辺の概念が既に物理的なものだから、それも当然っちゃ当然なのかもね。(例えば”ストレス”という概念なんかは工業用語が語源だし。僕らは既に、物理的に精神を語ってるんだと思う。) まあ、これは僕の考え方ね。 2・あとは「何故優しいの?」という考え方。 こちらを考えるには、最初に挙げた「優しさを身につけるには?」の答が必要だよね。で、その答があるのなら、それに素直に従って考えるべき。 例えば僕なら、「素直に幸せを感じられる人なんだろう。」と納得する。周囲の優しさをそのまま素直に優しさとして受け入れられる人だったから、ちゃんと優しさを学んでこれたんだな、ってそう思う。ある意味恵まれてるとも思うけど、それ以上にチャンスをきっちり活かせる人なんだと感心するというか。 だって、大抵の人は何かしら優しさに包まれてるんだもの。人との出会い、社会の仕組み。特定の個人でなくても、優しさって身の回りにいっぱいあるよ。 そうじゃなくって、苦労によって人の痛みに対する共感を得て、その結果優しくなる、という考え方もある。(今の僕の考え方とは違うけど・・・でも、こっちが本当なんじゃないか?と思う時もある。結局さ、どっちが本当かなんてまだ分からないんだ。強いて言えば、前述した僕の考え方は物理的な予測に基づいてるし、こちらの考え方はより精神的な予測に基づいていると言えるのかもしれない。) その場合は、やっぱりそれに従って考えるべき。基本的にはね。 つまり、貴方の場合は「そうは見えないけど、見えないところでこの人は、何か苦労してるし努力してるはずなんだ。」と考えるのが普通なんじゃないかな?って思うんだよ。 そりゃあ、そんな事は既に考えた上で、それでもその形跡が見当たらないから、こうやって質問してるんだろうけどね。 ただ、「見えないから、無い」ってのは違うと思うんだ。そこは強く言いたい。 一見、何不自由なく暮らしてるように見える人っているけど、その裏で何してるのかは誰にも見えないし、そもそも見せないものなんだよ。 例えば、貴方だって逆に周りからそう思われてるのかもしれないよ?「そんなに苦労してるような話は聞かないけど、でも・・・」って。だって、自分の過去なんか他人に話したりしないわけじゃない?きっと、貴方が思ってる以上に、他の人は貴方の事を知らないと思うよ。 他人からは貴方がさんざん辛酸を舐めてきた事は見えなくても、でもその過去は貴方の中に事実としてしっかりあって、今の貴方を形作ってるわけじゃない?それと同じだと思うんだよ。 どの物差しで測るか、って事なんだろうね。 相手に対する共感(つまり、優しさは苦労に比例するという考え方。相手の内面。)を物差しにするか。 それとも、環境の様子(つまり、外的要因による変化。優しさは与えられるものという考え方。)を物差しにするか。 物差しはがっちり動かないようにしないと、考え方が行き当たりばったりになってしまうよ。 ・・・でも、片方の物差しで説明がつかないなら・・・。もう片方を試すのは当然アリだよね。 もしかして、貴方は今、もう片方の物差しを試す時に来てるのかもしれないね。 長文、失礼しました。

Forget_it_all
質問者

お礼

そうですね。 そうは「見えない」人でいられたらかっこいいなーと単純に思いました(笑) ありがとうございました。

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  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.5

僕の経験上、ご両親にも友達にも恵まれた人は優しいです。逆に人に裏切られたとか家族が荒れてる人はなるべく人と関わらないように生きるでしょう。 よくドラマで上流社会の人が悪人で、貧乏な人は善人というのがパターン化してますが、あれは逆のことの方が多いと思います。裏切られた人は裏切ることを覚え、優しくされた人は優しさを覚える感じがします。 ただし、苦労を乗り越えてその上へ行けた人のみは本当の優しさを持っている様ですね。貧乏とか、裏切られたとかで、それに呑み込まれてしまった人は駄目ですね。他人にも同じことをします。そこから抜け出れた人が真に優しさを得るのでしょう。 逆に恵まれていた人は苦境を知らなかっただけなので、結局は中途半端な優しさで他人を駄目にしてしまう事も多いのではないでしょうか。 人とはなるべく深く関わらず、関わった人にはとことん責任を持つ。それが本当の優しさなんでしょう。

Forget_it_all
質問者

お礼

深く関わらない、というのは、下の方が仰っている「自我の確立」と同じようなことだと思いました。他者との境界をしっかり持ちつつ、ふれあったら優しく。いいですね。 ありがとうございました。

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  • vsm42952
  • ベストアンサー率27% (111/398)
回答No.4

こんばんは 優しさが、本当にあなたの為なのか、それとも他人に注ぐ優しさ自体がその人自身を支えているのか、そこが問題です。 つまり、感謝という形の見返りがあるならば、大抵の方は他人に優しくなれるということです。 あなたは苦労人であるのなら、見返りのない優しさや努力も時として必要であることをご存知なはずです。 これと、他人を通してただ自分自身を支えるための優しさとは違うものです。 後者は、優しさという仮面に隠されたエゴです。 また、優しさは厳しさと隣り合わせなものです。人をいたわっても、所詮他人は他人、他人の人生までは背負えないのは当たり前です。この辺りの感覚は苦労して覚える方と、最初から他人に対する関わり方がそうである方とおられます。苦労される方は、元々この辺の感覚が曖昧で、他人に対して余計な世話や心配をした挙げ句、自分自身が立ゆかなくなって、やっと覚えます。最初から覚えていらっしゃる方は、他人と自分の境界がハッキリしており、割り切りがよいです。コレを持ってして、自我が確立していると言うのです。 自我が確立している方には、家庭で十分な愛情を受けて育った方です。そして、困っている方にどう接するかは、親を見て学んでいます。まあ、平たく言えば、人格者でしょうね。 不公平に感じるかもしれませんね。本当は公平なんですけどね。そこを詳しくやるには、かなり突っ込んだ話になってしまいます。

Forget_it_all
質問者

お礼

そうですね。 見返りを求める優しさは、かなり誰でも簡単に行っていることで、それを「やさしい人」だとは思いません。仰るとおり、エゴを感じます。 自我の確立した親となりたいです。 ありがとうございました。

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  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.3

 ウチの嫁さんがそうですね。逆に俺が君タイプかな。  で、わかったことは、苦労して何でも知っているつもりだし、だからこそ人の気持ちがわかったから優しくできるハズだったが、悪く言えば、苦労ばっかりして、人の顔を伺えるようになっただけで、「幸せ」を知らないことに気づいたのよ。  子供に何をしてあげても、自信が持てないのね。「楽しかったか?」「幸せか?」と聞いてしまう。「当たり前やん」と嫁さんには当然のように言われ、子供には「今までずっと幸せ」と言われて逆に絶句する始末。「俺はあんなに自信たっぷりに(今でも)親に言えるだろうか(言えない)」、さらに子供に何でもすれば、するほど我が子に「こいつはいいよな」と嫉妬してしまう自分も見つける。  幸せは、苦労では身につかない。経験しないと、わからないんだと思い知りましたね。そういう意味では、両親が人格者で、不安なく育った者は、違う質の汚れていない優しさを持っていると思います。  そういうヒトを見つけて幸せになっていくことを、あなたにも希望します。私は、やっとわかりました。その前に確かに不公平を見切らなきゃいけないのは、ちと哀しいですが、化学変化をしないと、私のような曲がった者は、幸せをわからないのでしょう。いつも本音を出すスタンスですので、ブロックされることも多く(笑)辛口でここでもやってきてますが、実生活では、「出会ってよかった」と言われるようになりました。自分に自信が出てきましたね。だから辛口になっちゃったんですが。

Forget_it_all
質問者

お礼

下の方も仰るように、やっぱりやさしさには種類がありますね。 いろんなやさしさを持っているとよいなと思いました。 ありがとうございました。

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回答No.2

やさしさにも色々あるように思います。 単に(と言っては失礼ですが)自分が相手に対して「こうしてあげたい」と思うことをためらわずに実行できる、という意味でのやさしさであれば、辛い・苦い経験は必要ないと思います。 ただ、自分だけの幸福を求めず相手にも分かち合いましょう、というような教えを受けている人(家庭その他の環境において)であればそうできると思います。 それとは別に、相手の立場・状況を理解して相手のためになることは何かを考え、助言してあげたり・助力してあげるのもやさしさだと思います。 このような場合は、相手の立場・状況などを的確に理解できる必要があり、例えば一定の人生経験だったり、質問者様が仰っているような辛い或いは苦い経験のない人には、その相手の辛さがそもそも理解できないということはあると思います。 だから質問者様が辛く苦しい経験から人に対してやさしさを持っていることとそのような経験なしにやさしいと見える人がいることは似て非なる場合もあるのではないでしょうか。 あと >このことに、正直、不公平だと感じます。 この点については、私はそもそもこの世が公平だとは思っていませんので特に不思議には感じませんでした。 公平であるべきか、については議論の余地が色々ありそうですが、結果的には、ですけどね。

Forget_it_all
質問者

お礼

やさしさの違いについて、確かに、そうですね。 それぞれのやさしさを持っている人をいろいろ思い浮かべました。 相手を理解するには、経験が必要な気がします。 ありがとうございました。

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  • 33obachan
  • ベストアンサー率25% (119/473)
回答No.1

愛情をたくさん与えられて来た人は、自然に、他者へ愛情を注げるのではないでしょうか。

Forget_it_all
質問者

お礼

なるほど。。。 まったく思いつきませんでした。ハッとしました。 自分の子供はそう育てたいです。

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