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文楽の「出遣い」について

正月ということで久しぶりに文楽を見ました。 じっくり見てみようと思ったのですが、 やっぱり出遣いが気になって仕方がありませんでした。 出遣いの方が主役になってしまい、 命が宿るべき人形が、しょせん人形にしか見えませんでした。 皆様はどうですか? 出遣いはやめてやっぱり黒衣にしてほしいと思いませんか? 能面をつけない能なんてだれも幽玄を感じないでしょう。 それと同じようなことが言えるのではと思うのですが、、、、、

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  • 7nikochan
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回答No.1

傾城阿波の鳴門の舞台が出身地です。 黒衣の方が、確かに人形の細やかな動き、またその動きによる見事なまでの感情表現に集中出来ますね。 ここからは教わったことで、質問者様はご承知と思いますが、元々出遣いは、あまりの人形遣いの上手さに「どんな人が遣っているのか見てみたい。」との要望に応えてだったとの事。 しかしながら私の場合ですが、その遣い手の上手さに見入る前から出遣いが当たり前でしたので「魂が宿ったかと見紛うまでの人形の動き」を見たことがないんです。 ....人間の方が気になって気になって。(笑) 出来ることなら「どんな人か見てみたいっ」といった気持ちで楽しんでみたいです。 その為には、やはり黒衣があった方がいいですね。 ◎文楽の舞台は「顔」だらけ 貝田尚重 ◎文楽の出遣いはなぜ? BIGLOBEなんでも相談室 で、検索して見てください。興味深い記事がご覧頂けるかと思います。 (携帯からのカキコミで、URLが転載できません。お手を煩わせて恐縮です。)

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 一件もご回答がなければ本当に寂しいところでした。 私の思いと同じようなご意見をいただき喜びも一入です^^ 出遣いが行われるようになった理由として、 「どんな人が遣っているのか見てみたい。」 という要望に応えるため、と言われていますね。 しかしそれなら公演の終わりに顔を見せればすむ事で、 むしろその方が効果は大きいだろうと思うのです。 このままではかえって文楽なんてつまらないもの、 誰にも見向きもされなくなりそうで心配です。 『文楽の舞台は「顔」だらけ』、面白かったです。 ありがとうございました。