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文楽は必要でしょうか?
文楽芸能などいらないのではないでしょうか? 無駄な伝統文化は消し去り、もしやるなら純粋に客からの収入だけで興業収入を得てやるべきで、国や県が貸してやる必要はないのではないでしょうか? 県などが出さねばなくなってしまうような伝統文化はもう必要ないということです。 無駄な歳出を減らし、市民によきサービスを講じるように用途を考えるべきかと思いますがいかがでしょうか?
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- somikakuda
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日本人として生まれ、生きている以上、嫌も応もなく、日本語を使った、日本人的な価値観、倫理観、美意識の中で生きていくことになります。 これは諸外国の文化の影響がどんなに大きくなっても、そもそも、それらの異文化を取り入れる段階で日本風に解釈、アレンジしてしまう部分があるので、 日本人として生きる以上、日本的価値観や美意識からは逃れられません。 それらすべてのベースになっているのが、日本語です。 日本語や、日本文化を正確に、かつ、深く理解するために必要なのは、古典です。 現代日本語や、日本文化は、古典日本語や古典文化がベースになっているからです。 古典文化を理解するために必要なのが、ありがたいことに文字データとして大量に残っている古典文学作品と、 古典芸能です。 古典芸能は、日本人として必要な教養です。 文楽を見ても楽しくないと思う日本人が増えたのは、文楽のせいというよりも、 日本人の教養レベルが落ちたからです。 高校での古典の授業をもう少しレベルアップして、義太夫の語りくらいは聞き取れるレベルにすれば、文楽の客も増えて自立採算でもやっていけるかもしれないですね。 それができないのなら、政府や自治体の予算で多少保護するのは、しかたないことでしょう。 古典文学作品の原本や、仏像などの古典美術の保存や補修に予算が使われるのと 方向性は同じです。
お礼
淘汰される運命
補足
必要のない文化は淘汰される運命にあります。 残したければその客が出してくれる歳出でのみやられるべきで、それでこそ知られざる伝統文化ということです。 ひっそりとやっておればいいのです。