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カートボネガット(猫のゆりかご)タイトルの由来
- カートボネガットの「猫のゆりかご」のタイトルの由来について教えてください。
- カートボネガットの「猫のゆりかご」には興味深いメッセージが込められているような気がします。
- タイトルと関係なく、本を読んだ時に感じたメッセージについても教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
私がこれを読んだのがはるか昔で、いま手元に本がないので、見当違いなことを書いていたらご容赦下さい。 確か主人公があやとり紐のない手を広げて 「猫、いますか?ゆりかご、ありますか?」 といったことを言っていたように思います。 つまりあやとりで紐を繰るように人間はいろいろな営みを繰り返してきたけれど、結局最後はその手の中は空っぽだ、という意味かなと思うのですが…
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- Siegrune
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・「猫のゆりかご」というタイトル 平凡な日常どこにでもありそうな風景。 ・内容 世界の終末。 対比を強調させたかったのでは? あるいは、いつ起きてもおかしくないといいたかったのかも。 似たようなタイトルのつけ方は他にもちょくちょく見かけます。 たとえば、古い小説ですが(映画化もされましたが) ネビル・シュートの「渚にて」(On The beach) があります。 これも、青春映画のタイトルでもおかしくないようなタイトルで スタートからいきなり世界の滅亡確定ですし。。。 (とりあえず生き残ったけどこれから死ぬことが確定的になった人たちの行動の話。)
お礼
回答ありがとうございました。 対比。確かにそうかもしれません。 明るいタイトルでありながら内容が暗いと、印象が残りますし、 余計にインパクトが大きくなると感じますもんね。 ネビルシュートの[渚にて]は読んだことありませんが、 こちらの話も、エンディングでは死ぬことが確定した人の話で終わっているので、 機会があれば読んでみたいと思います。 ありがとうございました。
- chevette
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日本語で「あやとり」というとあまりピンときませんが、英語のCat's Cradleには、マザーグースとか不思議の国のアリスなどに通じるような、可愛いけどちょっと不気味な雰囲気を感じませんか。そこがいかにもマッド・サイエンティストの象徴としてふさわしいのでは。ひねくれたユーモアというのか、恐ろしい発明とのミスマッチをわざと狙ったタイトルなのかなと思いました。 ちなみに、高校生のとき、タイトルにつられて何も知らずに手にしたのがきっかけでSFにはまりました。「世界の終末」だったら現在に至るまで読んでなかったと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 可愛いけれど、不気味な感じ。共感をもてます。 自分もタイトルで、よもやこんなエンディングになるとは おもいませんでした。 ミスマッチ感が生み出す疑問を作者が狙っていたのなら、 まさに、自分は作者の術中にはまったことになります。 恐ろしい発明をなす科学者が あやとりで生み出す猫のゆりかご。 まったくもって、考えれば考えるほど術中にはまってしまいます。 ひねくれたユーモアはまさにカートに相応しい言葉だとおもいました。 ありがとうございました。
- mshr1962
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Wikipediaで「猫のゆりかご」に載ってます。 主人公が原爆が投下された時間に あやとりで猫のゆりかごを作って遊んでいたからです。
補足
早い回答、ありがとうございます。 ウィキペディアの内容は私も拝見しました。 たしかに、アイスナインを開発した研究者は 原爆投下の時にあやとりをしています。 しかし、そのシーンについて、 つまり、あやとりについてカートは深くは書いてはいないと私は感じました。 もしかすると、私がそのシーンを読み間違えており、 そのシーンの重大な意味を見逃しているのかもしれません。 なにせ、タイトルなんですから、 原爆を投下された時に科学者があやとりをしていたから、 タイトルをあやとりにした。なんていうのはすこし考えにくいです。 そもそも、原爆に関して少しは触れているものの、 本の中では重要なポイントではない気もしています。 その後、彼の息子もあやとりをするのですが、 そこでも私はそのシーンから何も感じることはできませんでした。 もし、あなたが、そのシーンから得たメッセージがあるのなら、 教えていただけるとうれしいです。
お礼
回答ありがとうございます。 主人公といえる人物の一人、科学者の息子が残した言葉ですね。 一人の人間が紐を操るように、 交差させるように、 絡み合わさせるように出来上がった歴史。 しかし、そこから人類が手にしたものはなにもなし。 この本で言うなら、 手にした技術から手に入れたものはなし。 ということ。。。ですかね。 このタイトルに答えは無いのかもしれませんが、 自分の中であなたの答えが一番正解に近い気がします。 そして、おかげで、自分なりの答えを見いだすことができました。 ありがとうございました。 最後に、自分の感じたものを残しておきます。 人は交差する紐から猫の入る揺り篭を想像する。 交差する紐から人の一生を想像する。 しかし、そこにある物は紐であり、空間であり、何もないのだ。 考えてみれば、科学者がアイスナインを生み出したもの、 水を常温でも溶けないようにするといった思いつきから。 想像や思いつきから物質を生み出す科学者が、 紐の形で物質を想像するという、閃きや思いつきのあそび [あやとり]を愛したことも納得できる。 だが、科学者の想像力を理解できるわけもなく。 興味から世界を破滅においこんだ彼を理解できるわけもなく。 彼の息子はあやとりをする彼に恐怖をいだき、 [そこには猫も。揺り篭もない。]と言い残したのだ。 想像力によって出来上がる科学 そしてそれによって引き起こされる世界の終末。 想像が世界をほろぼすのならば、 人間の想像力の塊で生み出された遊び [あやとり]は世界の破滅を書く この話のタイトルに最もふさわしいのだろう。 自分の感じたこれが答えとも思いません。 しかし、自分なりの答えをみつけれて、すっきりしました。 ありがとうございました。ベストアンサーにさせてもらいます。