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国益

個人的な幸福よりも国益の方が重んじられるべきなのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • W_P
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回答No.3

No2さんも指摘されているように、「それは国益につながる」というようなことは、実際は「ごく一部の人達の利益につながる」ことである場合が多いものです。 「国益は個人的な幸福より重んじられるべきだ」という言葉の実体は、「一部の特権階級の利益のために、庶民は己の幸福を犠牲にしなければならない」ということである場合が多々あります。 「国益」という言葉に惑わされないようにすることが大切でしょう。

3ed4rf
質問者

お礼

はい、国益という言葉に惑わされないようにしたいと思います。有難うございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

個人的な幸福よりも国益を重んじることが行き過ぎると、 数十年前の日本のように、人命が虫けらのように失われ る結果に陥ります。 国益を神聖視し過ぎるのは、危険だと思います。

3ed4rf
質問者

お礼

そうですね、国益に重きを置きすぎるととんでもないことになりますね。有難うございました。

  • piyochun
  • ベストアンサー率20% (69/332)
回答No.5

個人の利益よりも国益が重んじられるのは、大半の人にとって結果利益をもたらすことが多いからでしょう。簡単に言えば多数決ですね^^ すべての人の意見を聞き入れ、すべての人を幸福にすることは事実上不可能ですもの。 ま、政治の場合それを主導する人の利益も相当入っているとは思いますが。。。

  • nobchan
  • ベストアンサー率23% (121/519)
回答No.4

国民と国家という図式で考えてよろしいでしょうか。 「国益」とは「国を代表する一部の方々の利益」のことですから、その一部の方々にとっては、その一部の方々以外の個人的な幸福より、国益が重んじられるべきです。 ただ、「個人的な幸福」と言ったとき、それが、すべての国民を意味しているわけでもないことに、注意です。 「国益」を重んじた結果、そのおこぼれが、国民に対して広く薄く、幸福を与えることがあります。 逆に、個人的な幸福を重んじた結果、国民の幸福にとって、著しく不公平感を生む場合もあります。 どちらがより「重んじられるべきか」と言ったら、「ケースバイケース」でしょう。

3ed4rf
質問者

お礼

国益を重んじた結果、庶民には全くおこぼれがまわってこないことの方が多そうな気もしますが。有難うございました。

noname#21649
noname#21649
回答No.2

「国益」の定義は? 小泉の「国益」ならば.小泉と小泉の関係者の個人的(一部団体が含まれます)利益を国益と称しているのですが。

3ed4rf
質問者

お礼

小泉さんの言う国益なんて、そんなものだったのですね。有難うございました。

  • azicyan
  • ベストアンサー率21% (368/1747)
回答No.1

どの件に関しておっしゃられているのか不明ですが、 組織が大きくなれば組織防衛の観点から、 非人道的なことを度々政府は、します。 「べき」と言うよりも、 現実はそうなり、 その辺が組織社会の限界だと思われます。

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