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そもそも国益とは・・・?

Naive な質問で申し訳ありません。 近頃、「国益」という言葉を聞くことが多いように思います。 皆様は「国益」とはどのように考えておられますでしょうか。 恐らく「国」「益」それぞれの定義からして難しいものと思いますし、それぞれ異なった定義であれば、国益の定義も様々になるのではないかと想像しております。それで種々の御意見を伺って勉強してみたいと思った次第です。 勿論、一般論として最新の近・現代国家論に基づいた学問的・教科書的なご回答をご教示していただけるとありがたいのですが、独自の社会観点をお持ちの方も沢山いらっしゃるようですので、ユニークなご回答も歓迎いたします。またある特定の「国」(現代日本国や現代北●鮮 etc. ) を想定した具体的なご回答でも構いません。 皆様のお考えになる「国益」について、広く御意見を頂ければと思います。 よろしくお願いいたします。

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  • north073
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回答No.6

真面目なご質問には、真面目なご回答しかつかないというところでしょうか。 私もご期待に添えるかどうか(笑) さて、私は、「国益」というのは国を構成する個人、法人の利益の総体だと思っています。 功利主義でいえば、これらの構成員の最大多数の最大幸福というやつです。 現代の国家においては、各構成員が自らの利益を主張し、政府・議会はこれらの利害を調整する場であるという考え方があります。 すべての利益が等しく主張されるのであれば、このようなシステムは、まさに最大多数の最大幸福を導き出すのですが、利益グループの力には差があるため、結局一部勢力の利害が国の政策に強く反映されることとなってしまいます。 これが、現実の「国益」です。一面的な言い方だと思いますが、「ブッシュ政権は石油産業に操作されている」とかいうやつです。 この「国益」があたかも国民の利害と一致するかのように宣伝が行われることになります。 そりゃそうでしょう、政府は自らの施策について正当性を獲得しなければならないわけですから。 これにころりとだまされると、「国益」の方が自らの利害よりも優先するように考える個人が現れるようになり、極端な場合、自らの生存が脅かされているわけでもないのにかかわらず、生命を捨てることにもなります。これは功利主義には反することです。 そう、ここに至って、「国益」は最大多数の最大幸福であるという前提を脱して、国家権力そのものの利益という前近代的な姿を現すことになります。 「国益」とか「愛国心」とか、「国」のつく言葉は、風呂敷みたいなもので、中に入っているのが札束なのか、紙束なのか、毒蛇なのか、開いてみないとわからないのです。 まあ、結局、最後は自分にとって何が得で何が損かをきちんと考えろ、ということですね。 これは、簡単そうに見えて、けっこう難しいことですが、各国の外交を見ていると、こういったトレーニングがきちんとなされているんだろうなあ、と思います。 個人の損得も考えられない人に、国の損得が考えられるわけがありません。

Maqui
質問者

お礼

なーんだ、また良回答じゃん、イッちゃってる回答じゃなくて残念だわ!(嘘、笑^2)。 ・・・冗談はさておき、north073 さんご回答ありがとうございました! >さて、私は、「国益」というのは国を構成する個人、法人の利益の総体だと思っています。 >功利主義でいえば、これらの構成員の最大多数の最大幸福というやつです。 なるほど。ベンサムを由来とする考え方ですね。 >現代の国家においては、・・・利益グループの力には差があるため、結局一部勢力の利害が国の政策に強く反映されることとなってしまいます。 これは説得力があります。現代の大多数の「発展途上民主主義」国家みたいな国においては、この解説で充分理解可能ですね。よくわかりますわ。 >「国益」は最大多数の最大幸福であるという前提を脱して、国家権力そのものの利益という前近代的な姿を現すことになります。 現代国家を冷徹に観察すると「国益」とは巧妙に隠された前近代的なシステムの利己的な目標となるわけですね。これは言葉は違いますがSCNKさんのご意見に近いと思いました(現実的に、私もそのようなとらえかたがいいかな、と思っております)。 >「国益」とか「愛国心」とか、「国」のつく言葉は、風呂敷みたいなもので、 あははは、確かに。しかも、ビロードとか金襴の風呂敷ですよね(笑)。 >まあ、結局、最後は自分にとって何が得で何が損かをきちんと考えろ、ということですね。 >これは、簡単そうに見えて、けっこう難しいことですが、各国の外交を見ていると、こういったトレーニングがきちん >となされているんだろうなあ、と思います。 >個人の損得も考えられない人に、国の損得が考えられるわけがありません。 同感です(なお、皆さんもそうですが、最後の話し言葉での独白はとても素敵ですね、ある意味これが一番勉強になっております^^)。 私の乏しい経験でも、実際欧米人のいい意味でのエリートと話をすると、5年後、10年後の自分はこうありたい、だから今自分はこれを一生懸命やっているんだ、と気負いもなく言うんですよね。つまり、理想・目的意識と手段が非常にはっきりし、だから損得も明確に考えている。それが、ある意味、国という共同体を支えている、と感じたりもしてきました。 東洋のとある国ではそういう意識を持っている方は、中央省庁の官僚を含めあまりいらっしゃらないような気がします。 この、個人の意識改革なしに、国益を唱えても無駄なのでしょうか・・・、あらあら、なんてちょっと国粋主義っぽい文章になってきちゃいました、すみません^^;;。 north073さん、大変に勉強になりましたし、おかげさまで大分すっきりしてきました。ありがとうございました。

Maqui
質問者

補足

north073のご回答とは直接関係ございませんで、ごめんなさいまし・・ 皆様、残念ながらイラクで一つの出来事が始まってしまいましたね。いまさら「国益」などという言葉の定義遊びは意味がないかもしれません。が、逆に「平和ボケ」の私などにとっては真剣に、集中して考えなければならない好機になってしまいました。 それで、日本語の国益と、英語圏の国益(national interest)がどうも一対一対応にならない感じがして、英語のカテゴリに質問を出してみました。興味がおありの方は覗いてみてくださいね。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=503294 でございます。 ここも、今しばらく締め切らずにいたいと思います。再回答でも構いません。またいろいろご教示していただけたら嬉しいです^^

その他の回答 (5)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

参考程度に 大きく分けて、 (1)市民で構成される市町村の総体として国家が有るという考え方 (2) 国家があって市町村があり、市民がいるという考え方 の2通りの国家観が同時にありますね。 新しい国家や民主主義的な国家、共和政体といいますかそのような国家は、民意つまり、市町村単位の便益の総体が国益になりますね。 こういう国家観のもとでは他国間の便益、国益は市町村の便益が色濃く反映しますね。米の輸入問題などに現れていますね。 民主主義的な国家では、国益はより身の回りに近い問題で論じられるということでしょうか。一人一人の便益というよりむしろ、多数の便益が優先されますね。拉致問題の処理を振り返るとそのように見えますね。 一度国家が成立し、歴史を重ねると、国家という器が国家になりますね。これが(2)ですね。国家を通して逆向きに構成要因を観ていくわけですね。これが「お上」という概念ですね。立憲君主国は(2)の国家ですね。 困った時は何でも「お上」という構図です。間違いではありませんね。 他国との交渉は「お上」が国益にそって行うということですね。 このときの国益はなんですか。ということですね。 このときの国益は、当然「民」のためにでしょうね。 一人でも民ですから、一人の問題でも戦争を始めるのですね。 戦前はそのような例はたくさんありました。 現状はといえば(1)と(2)の要因を同時に内在しているのではないでしょうか。日本は、精神的には(2)、実務的には(1)という構図かと思います。アメリカは、内部的に(1)、外部的に(2)ですね。国民が選んだ大統領が対外的には立憲君主になるやり方ですね。 国民は、国内的に民主政体でありながら、対外的には「民」でありたいと願うならばそのような行動が必要ですね。何もせず、何も変えず、「お上」と「平和」と叫んでもなにも変わりません。 ということですか。

Maqui
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >2通りの国家観が同時にありますね。 このような、国家観の相違からのご回答もお待ちしておりました。 mmky さんのご回答は具体例込みでとてもわかりやすいですわね。 私も、英語で言うところの Nation と Country の違い(どちらも国・国家と訳されますが異なるものですよね)からみた「国益」などというものも漠然と愚考していたりしましたので、mmky さんの見方もとても納得がいきました。 >現状はといえば(1)と(2)の要因を同時に内在しているのではないでしょうか。 この部、日米ともに、国益の具現化に double standard を有しているという分析は興味深く読ませていただきました。これは面白いですね。 大変勉強になりました。ありがとうございました。

Maqui
質問者

補足

ここまで5件のご回答をいただきました。 皆様、知的な方とお見えで、とても丁寧に答えてくださり、私には非常に勉強になっております。ありがとうございました。 ただ、観点が全く異なる立場の方からの(ちょっと心の底では期待しておりましたが)ご回答がないのが残念です(つまりですね、感覚的に「いっちゃってるなぁ」というお答えも勉強になるかとお待ちしておりましたのです)。 それで今の日本、米国、独仏、イラク、北朝鮮などのきな臭い国々の「国益」とは?という限定したお答えでもよろしいですので、ご回答が途絶えていますが、常識人を驚かせて下さるようなお答えでもいただければと、今しばらく締め切らずにお待ちしたいと思います。 よろしくお願いいたします。

  • jovijova
  • ベストアンサー率28% (17/60)
回答No.4

簡単に言うと、お国のためにといって行動している人たちのうたい文句です。直訳すれば、国の利益です。経済性、安全性いろいろな意味での利益です。ですが、考え方によっては、戦争することも「国益」です。攻撃される前に攻撃することによって、国の安全面での利益になり、戦争需要により、お金も回り、経済面での利益になります。

Maqui
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >お国のためにといって行動している人たちのうたい文句です。 この定義は簡潔かつシニカルで感心いたしました。思わずほほえんでしまいましたわ。「悪魔の辞典」にでもご紹介したいような(笑:皮肉ではございません、念のため)。 >経済性、安全性いろいろな意味での利益です。 確かに「安全」というのも大きな「益」になりますわね。日本人は「安全」はただ、と思っているとよく言われますけど、それを守る投資も巨視的には「国益」になるということでしょうか。 現実的な観点からのご回答、ありがとうございました。勉強になりました。

回答No.3

 解釈次第でどうとでも言える気もしますよね。短期的利益か長期的利益か、抽象的利益か実質利益か(抽象的利益というものがあり得るのかどうかも議論の余地ありですが)・・・  私の場合、単純にその国の憲法やそれに準ずる最高規範が掲げる価値を基準にして見るのが解りやすいんじゃないかなと思っています。    たとえば日本国憲法は前文において、平和主義、民主主義の貫徹を通じて「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」と宣言しています。  これは人類普遍の価値の実現を標榜し、伝道者たる崇高な目標に邁進することこそ国益なのだといっていると解釈してみるわけです。  しかしこれも結局は、現実の具体的手段選択の場面で日和見解釈の餌食となるだろう点では変わらない・・・。「平和維持には核抑止力の存在が必要だ!」とかになっちゃうんですよね。  現状追認のための論理操作はいくらでも可能なわけで、しかもそれへの反証を実証的に示すことも難しい。  「現実主義者」たちは、自分たちが汚名を引き受けて日々の現実を処理しなければ国は立ち行かないんだという「犠牲精神」に酔っちゃってますから、批判すればするほど頑張ってしまう。もちろん対案を提示できない「理想主義」の存在がまたそれを助長するわけですが。  しかし日本政府が国民を説得するのに脅し文句ばかりというのはどうなんでしょう。 「~しないとこうなってしまうぞ」式の性急な誘導ばかり。  そうしないと国民はなにも判断できず右往左往するだけだと、彼らは優しい羊飼いを自任しているのでしょうか。  国益というのは「高度の政治的判断」だからこそ国民が主体的に関わらなければならないはずです。 世論の構成比ばかりが問題なのではありません。一つ一つの意見の輪郭を捉え、それを再提示し、さらに体系化した政策へと昇華させていく過程が予想を超えて創造的でありうることへの確信を、政府と国民双方が共有することに民主主義の本質があると思います。  民主主義が絶対ではないかもしれない。しかし民主主義を採りながらその本質に対し誠実さ、信頼を欠く事は許されるべきではないと思います。国益を論じることを管理者のスキルに委ねるならば民主主義である必要もないでしょう。答えが常に「1」になるような引き算の式を国民に与えることで、民主主義の面目を保とうとする「国」の「益」がどんなせこい「益」なのか、考えるまでもないでしょう。  国益について書いたのか民主主義について書いたのかわからなくなっちゃいました・・・。  貴国の国益とは?の問いに明確に答えられる国は、自らの理想に誠実に対峙し続けている国なのかな、と思います。       

Maqui
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >解釈次第でどうとでも言える気もしますよね。 そうなんですよねぇ。「国益」などというと、たいそうもったいぶった言葉に聞こえるくせに実はそこが問題なんだと思います。正直、「国益」のため~しろ!と言われると私のような庶民は「しょうがないかぁ」と思ってしまうところがあります。ですので、政治家、官僚、財界人あたりがしきりに「国益」を連発し利用するのかな、と感じていおります。 > 国益について書いたのか民主主義について書いたのかわからなくなっちゃいました・・・。 いえいえ、とんでもございません、1982BWV988 さんの文章の流れも、ですので、とても納得がいきますわよ。それに最後の > 貴国の国益とは?の問いに明確に答えられる国は、自らの理想に誠実に対峙し続けている国なのかな、と思います。    の言葉、非常に感心いたしました。逆説的にはなりますが、ある国が自らの理想に誠実に対峠し続けた結果が「国益」と言ってもいいかな、なんて思ってしまいました(もちろん独裁者が自らの理想を誠実に追求(喜●組を維持しつづける、など(笑))した結果はどうだ、などど混ぜっ返されても困りますが((笑))。 どちらかというと、理想主義的な観点からの御意見、とても力になりました。ありがとうございました。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.2

民主主義だから国民の利益となるとは単純には言えないでしょう。たとえば独裁制とまでは言えなくても強権的な政権を国民が望む場合も考えられるからです。得てして国難に直面した場合など民主主義は優柔不断として退けられる場合が多いと思います。むしろ国民の利益とイコールになるのは国民国家の場合のことですね。 すべてとは言えませんが、国益とは究極的には国家の生存に直結する利益となる場合が多いのではないでしょうか。したがって国家の主権に関わる利益のことであると考えます。しかし順位は下がりますが、主権に死活的に関わらずとも国家の繁栄に関わる利益とか、一部の国内産業に利する利益であっても国益の一部である場合もあるでしょう。早い話しが国益にもプライオリティがあるということですね。

Maqui
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >国益とは究極的には国家の生存に直結する利益となる場合が多いのではないでしょうか。したがって国家の主権に関わる利益のことであると考えます。 とのところ、かなり納得がいきました。特に「国家の主権に関わる利益」というところですね。「国家の主権」を、国が標榜している主義に関わらず、「建前上ではない実際の「主権」の在処」、と読み替えるとますますわかりやすいかなと思いました。 例えば、 独裁国家=独裁者の生存 官僚主導の偽民主国家=官僚体制の生存 に直結する利益が国益、と言えるわけですね(どこの国とは申しませんが・・・)。 (蛇足ですが前半部、もちろん、真に国民の事を考えていた独裁者もいたと思います(チトーなどがあたるでしょうか)。この場合は国政を個人に委託するということで国民がある意味主権を有することになるかと思いますので、国民の利益=国益でもいいのかな、と思いました) ありがとうございました。

  • nozomi500
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回答No.1

民主主義国家を標榜するのであれば、国民の利益になると思うのですが、 「将軍様」や「陛下」が、イコール「国体」である場合も存在しますね。 銀行に何兆円も公的資金の投入をするのが国益だというのだけれど、国民一人あたり何百万も銀行に支援するのが国民の利益か?という疑問はあります。

Maqui
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! >民主主義国家を標榜するのであれば、国民の利益になると思うのですが、 素直に考えますと私も nozomi500 さんのおっしゃるとおりかなと感じますわ。 >「将軍様」や「陛下」が、イコール「国体」である場合も存在しますね。 こういう場合が・・・ですよね(笑)。 >銀行に何兆円も公的資金の投入をするのが国益だというのだけれど、・・ これも同感です(笑)。 しかも「つらい経験も長い目で見れば個人には「益」になるのじゃよ」なんて妙な老政治家に言われそうですもんね(国民を厳しい目に遭わせるのが「国益」ってことだと、日本=北●鮮が成り立ちそう(爆))。 ありがとうございました。