harara321さん、こんにちは。以下は私が最近ある掲示板サイトに投稿させていただいた文章です。参考にしていただければ幸いです。
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●国家と軍事力・戦争行為と警察行為
「警察組織は必要ない。警官に拳銃を持たせるなど論外だ。警官が危険な目にあって死んだりしたらどうするのだ。彼の人権が守られないではないか。」
という意見があるとしたら、この意見は正しいとか間違っているとかいう次元以前に、非現実的ですよね。社会のなかには治安維持のために武力を用いることのできる組織が、どうしたって必要です。私は同様に、軍事力非保持の反戦平和思想も、非現実的な理想主義であり、感傷思想だと思うのです。世界では様々な理由で戦争や紛争が起こります。
1.民族主義の衝突や暴走
2.独裁国家の暴走
3.カルト思想集団による世界的テロ
などです。
日本という国は、世界が平和でなければ生きていけません。戦争によって空路や海路が封鎖され、外国との貿易がストップしたら日本人の半分は死にます。国家と軍事力の問題を、第二次世界大戦の悲惨を頭に置いて考えるべきではないと思います。この問題は国家間の集団安全保障の問題として、つまり世界警察の機能をどのような体制で実現すべきかという視点で考えるべきだと思います。
いまの日本は、とてもゆがんだ、おかしな状態になっています。憲法で明確に軍事力非保持をうたい、国際紛争を解決するための手段としての戦争を永久放棄する、と高らかに宣言しているのに
1.自衛隊という誰がどう見ても軍隊にしか見えないものが存在する。
2.国内に日本の国家主権の及ばない米軍基地が六つ(三沢・横田・厚木・
岩国・佐世保・沖縄)もあって、いつでも戦地へ飛び出せる体制になっ
ている。米軍と自衛隊は密接に連携をとりあってる。
という状態です。戦前も戦後も、日本列島が軍事的に空白化したことは一度もありません。「憲法を守っている」とはお世辞にも言えないです。でもこれは、日本の政治家が悪いからでも、ずるいからでもないです。憲法の苦しい解釈をしてでも、こうするより仕方がなかった。ソ連や中国の軍事力が強大で、日本人が「武力解放」されてしまう危険性は、つねにありましたから。
護憲論者の方に言いたいです。護憲を主張するなら
1.自衛隊の廃止
2.日米安保条約の破棄
3.米軍の全面撤退
4.戦争費用負担の一切の拒否(アメリカや国連軍にも金を出さない)
(湾岸戦争のときは130億ドル(1兆3000億円)も出しました)
を強く主張してくださいと。そうでないと憲法を守っていることにはならないです。「手を汚さずに金をだけ出すなら、戦争をしたことにはならない」というのは絶対に通用しない子供の論理のはずです。もし平和憲法を世界に広めたいのなら、まずこれらを実現すべきです。軍事力非保持でも、あるいはどこかの国の軍事力に頼らなくても、国家としてやっていけるのだというお手本を世界に示すべきです。それをせずに平和や反戦を主張して日本国憲法を誇ったところで、世界の誰からも相手にされないです。失笑されるだけです。
憲法を改正せずに完全遵守して、言論の力だけで国際紛争を制止することが、もしできるのならば、日本はたいへん尊敬されると思います。でも、こうまでグローバリゼーションが進行して経済的なつながりが深まってしまうと、「孤高の平和主義」すら貫けないです。紛争が勃発して世界経済が混乱したら「お前も協力しろ」という圧力に耐えられるわけがないです。「オレは関係ない」という態度はとれない。
軍隊が他国侵略の暴力装置であった時代は前世紀で終わりました。いまは国家間の集団安全保障のための組織になっています。民主主義国家間の戦争は、いまだかつて起きていません。軍隊の暴走が心配ならば、国連(などの国際的合意のための組織)の承認がなければ海外出動できない、という縛りを憲法に入れればいいと思います。もちろん核とか大量破壊兵器は全然必要ない。(アメリカには8000発保持しているという核を捨てさせなければならない)
私は「憲法を絶対に改正すべきだ」論者ではありません。いまの中途半端な状態が嫌なのです。アメリカを親分とする集団安保体制に組み込まれているのに、日本人にはその自覚があまりない。アメリカに言われるがままに”戦争参加”しています。日本はとても独立国とは言えない。アメリカの従属州のようなものです。国際政治地図の上には、日本という国家は存在しないと思います。(経済地図上に存在するだけ。)日本列島の実質はアメリカです。なのに日本国の内側にいる日本人には「われわれは平和憲法を守り、非戦の精神を貫き、清く正しく生きている」というふうに見えてしまう。これはそうとう情けないことではないでしょうか。マンガみたいな状況ではないでしょうか。
私は右翼民族主義の心情でこういう発言をしているのではありません。あまりにもみじめな自主性・主体性のなさと、言行不一致。これが、やりきれないのです。護憲か改憲か、議論の結果がどういうものになるにせよ、とにかく日本人は、もっと自分の頭で考え、自分の体で行動し、自分の意志で生きる、そういう当たり前の姿に早くなってほしいです。護憲ならば、自衛隊の即時廃止、軍事的な国際協調の一切の拒否です。いまの日本はアメリカによってアメリカの都合のいいように生かされているだけだと思うんです。「快適な檻」で「飼育」されているんです。だから日本人は頭も体も、本当に弱くなってしまった。それを自覚できていないのが、これまた情けない。
日本の憲法は、新しく生まれ変わる国の新しい憲法ということで、アメリカの学者がそれなりの理想をこめて起草したのだと思います。かなり若い学者も参加したとききます。その理想とアメリカの世界戦略、「日本にはもう牙をもたせない」という現実的な思惑とが、合致したのでしょう。だから日本国憲法は、日本から見れば「美しい平和主義」なのですが、アメリカから見れば「都合のよい(日本の)自己呪縛」なんです。
でも当時とは時代状況が大きく変わりました。東西ドイツは統一され、あの共産国ソ連でさえ、地図から姿を消しました。中国も民主化が進んでいる。少なくとも以前のような西側への対決姿勢はもうない。戦争と平和の問題を、60年前の感覚で考えてはいけないと思います。日本に武力を捨てさせたアメリカも、いまでは自衛隊が動くことをさかんに要請してくる。国家による陣取り合戦の時代ではなく、世界自由貿易のための集団安全保障の時代になっています。
《戦争をしてはいけない。させてはいけない》というのは、世界のほとんど大多数の人が賛成する、人類の理想だと思います。これは是非守られなければならない。いずれは各国の憲法や国際法のなかで明言すべきでしょう。日本国憲法の条文を読むと、なにかそこに神聖不可侵なものを感じます。だから、私も平和と非戦の理想は、降ろすべきではないと思います。これを降ろすことは、あの内外の、膨大な数の戦争犠牲者に、あまりにも申し訳ない。
けれどしかし偏狂な独裁者が核兵器を持ってしまったら「武力介入はいけない」なんて言ってられない。平和の理想を守る武力行為まで「戦争」と定義してしまうと、人類は自己呪縛から抜け出せなくなってしまう。それにこだわって非戦を頑なに守ろうとすると、平和を乱す者たちの暴走が起こっても、手も足も出せなくなってしまう。日本がすでにそうです。戦争アレルギーが強すぎて、「武力」という言葉をきいただけで、全身にじん麻疹が出てしまう。理性的思考ができない。これは一種自己言及矛盾の回避問題だと思います。「張り紙禁止」という張り紙は「張り紙禁止」というルールに反しない。武力行為をやめさせる武力行為は武力行為ではない。それは警察行為です。そう定義しないと法体系が築けない。
アメリカの今回のイラク攻撃は、戦争性7割、警察性3割と、私は思います。国際的な合意や国連での承認は、国際法が未熟である現在、必須のものです。それのみが国際法と同等の重みを持ちます。それを軽視または無視したアメリカのやりかたは、強く批判されなければならない。私はアメリカの現在の軍事体制や国際政治姿勢を支持するつもりは毛頭ありません。でもだからと言ってすべてを「戦争は悪」の一言で片付けようとも思わないです。
お礼
お答えありがとうございます。 私も今の日本は非常に中途半端な状態だと思います。 憲法9条はあまりにも理想的な事が書いてあるので変えづらい のかもしれませんね。 私は戦争そのものが「絶対悪」だと考えていますが それが現実に存在する以上、それに対する実効的な対応を 考えるべきなんじゃないだろうか?、 憲法9条はあくまでも理想で、実際には守られてもいないし、 現実的ではないのでは?と思っていたのです。 ありがとうございました。