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「子どもには純粋さを持って欲しい」の怪
「子どもには純粋さを持って欲しい」の怪 子どもには純粋さを持って欲しいという意見を見ました。 しかし子ども扱いは手段であって目的では無いはずなのに、何故かそれが入れ替わっています。子ども扱いの為の子ども扱いになりあの意見は本末転倒ではありませんか? 教育、健全育成というのは危険や健康上の害を避けるなどの、なんらかの確かに必要な措置と確かな理念に基づくべきだと思うんですが、そういう肝心なものが抜けてしまった。 だから子どもの自由で良いじゃないかと思うんですが間違っていますか? 件の主張をする人の頭が固いように思えます。
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「子どもには純粋さを持って欲しい」。だから、子どもには子ども扱いをする...ということであれば、仰るとおり本末転倒ですね。 しかしまた、「子どもの自由で良い」というのもちょっと違う気がします。 「純粋」も「自由」も、理念や目的を誤ればただの「馬鹿」と「無秩序」にしかなり得ないです。 「子どもには純粋さを持って欲しい」という理想はわからなくもないですが、人(人格)に於ける「純粋さ」は、結果としての形容でしかないので、そのための教育というのはなかなか難しいように思います。 いずれにしても、持論にとらわれすぎて片意地になった教育の仕方はよくないですね。 ブレない、けれど、柔軟で寛く大きいスタイルが健全な子どもを育成すると思います。
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- vaierun
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自由を安易に口にすることも如何かと存じます。 純粋さの恐ろしさを知らないのでしょう。 純粋と聞けば綺麗なもの、妖精のように愛くるしいものとのイメージを持つ人は多いです。 子どもは純粋な好奇心ゆえに、蝶の羽を毟る。微笑みを浮かべて。 純粋な大人は泣いているだけで井戸も掘れない。 近代的人間として生きるには教育は不可欠。 それが社会というもの。 ジャングルの奥地に暮らしても規律や秩序は存在する。 サルやチンパンジーでも厳しい掟がある。 純粋の定義はなんなのか。 人の死を悲しいと感じることが出来るには 人の死は悲しいものだと教えなければならない。 なにも知らない子どもは父親が死んでも理解できずに笑っている。 その姿が涙を誘うのは、子どもだけに許された愚かさ。 教育しない大人に責任を押し付けて ピーターパンになりたがる人には共感を覚えない。
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ありがとうございます。
- pluto1991
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「教育しすぎない」という意味なんじゃないかな。 子供の純粋さというのは、つまり本能的というか、つまりサルとか普通の動物はしたい時にしたいことをするみたいな、「遠慮のなさ」のようなものですね。 半分はいい意味で、大きな夢を持ってほしいとか、自由に遊んでほしいとか、 その反面、ガマンとか、礼儀とか、教育して人間として知ってほしいこともあるのです。 でも、それを言ってしまうと、やたらに人の顔色見たり、家のお金のシンパイしたり、将来に夢が持てなかったり、変に礼儀正しすぎる子供って、こまっしゃくれてなんか気持ちが悪いですよね。 やっぱ、天秤にかけて考えたら、「もっと純粋さを持ってほしい」と思うでしょう。 つまり、子供の頭を押さえつけるのはやめましょう。子供には色々配慮しなくても許される特権があるんだから、今はサルとおなじように好きなことをしてほしいんだ、無礼には目をつむるから。ということです。
お礼
ありがとうございます。
- cucumber-y
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「純粋さを持って欲しい」 「狡さを持って欲しい」 「逞しさを持って欲しい」 「優しさを持って欲しい」 他にもありますがどれも間違ってはいないと思います。 一点を強調された意見を以って他は一切考えられていないと断じるのは頭が固いのではないでしょうか。 子どもの自由でいいなら教育、健全育成自体が不要ですね。 (↑これは意見の中の一点だけをとりあげた頭の固い私が最初に感じたものです。)
お礼
ありがとうございます。 「純粋さを持って欲しい」 「狡さを持って欲しい」 「逞しさを持って欲しい」 「優しさを持って欲しい」 つまりこれらは文字通りではなく、なんらかの具体的な目的が裏にあるという事ですか。
日本の場合特にそうですが、「自分はこんなに立派な人間だから、自分の言うことを聞く子供は良い子供」と、子供が自分の思い通りになるかどうかで、その子の良い子/悪い子を判断します。 (最近の"夜泣きをするから子供を殺した"と言うのも、この論理です) ですから「子どもには純粋さを持って欲しい」も「純粋(素直)に俺の言うことを聞け!」と解釈すれば、納得でしょう。
お礼
ありがとうございます。
補足
忘れておりましたので、一応補足すると、文脈は自分の子育てについてではなく、 子ども全体の話でした。
お礼
ありがとうございます。