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戦死した英霊を敬えと言うけれど

戦死した英霊を敬えと言うけれど 今の日本の繁栄があるのは戦時中に命がけで戦ってくれた人たちのおかげ、という言葉があります。 事前に言い置きますが私は反日家でも自虐史観の持ち主でもありません。私の祖父も軍人でしたし、その話もよく聞いて育ちました。しかし同時に抱かざるを得ない疑問を単刀直入にさせていただきます。 上の最初のセリフですが、先祖は私たちに何をしてくれたのですか? 日本と関係のない土地をどんどん侵略したあげく戦後は全て失いました。 日本を守るために戦ったといってもそのほとんどが国外です。 飛行機で何時間もかけなければ行くことの出来ない、名前も知らない辺鄙な小島で戦っていた人たちのどこに”日本のために戦っていた”と感じることができるのでしょうか? 領土が広がるなら広がるで、例えば優秀な工業地帯を有する場所を占領したとか、掘れば石油がでてくるとか、そういう場所を得たのならまだ納得できます。古代に栄えた帝国も自国の領土を広げることはその分繁栄と国力を増大させるものでした。 この点日本の場合はどうですか?日本は繁栄するどころか物資が不足し、軍事拠点にしかならない島々に進軍したことに自国へどのような利益がもたらされたのか? 結果的には戦線が拡大して敗戦しその領土を全て失いました。 沖縄で戦死した人は国土を守ったと言えますが、ほかの人たちはいったい何のために戦って、その結果日本にどういう貢献をしてくれたのか、私は未だに納得ができません。 「日本は勝手に侵略し、結局負けたじゃないか!」 そもそも戦争をしなければよかったなんてことを言いたいのではありません。あの時上手く戦略を練って戦勝国になるべきだったと言っているわけでもありません。これ以上ない素朴な疑問のつもりです。 今を生きる現代人は英霊に対して、その結果だけを考えれば、何の感謝をする必要があるのでしょうか。何の感謝をするべきなのでしょうか。 ぜひ皆さんの回答を聞かせてください。

みんなの回答

  • ttt1214
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回答No.40

日本の戦争の目的を理解しなければ、敗戦国で、なにもかも失ったという、質問者さんの理解になるかもしれません。 誰が言っていたか、覚えていませんが、連合軍の偉いさんと言うのだけは覚えてます。そんな方がこういってました、日本は戦争では負けたかもしれないが、日本の目的を完遂した事は間違いない そんな事をいってました、つまり、日本が戦争までしなければ、ならなかった理由があるからです。 第二次大戦前から、白人が有色人種の植民地化政策を行われ、中東アジアまで、手を広げてきた、そこで、日本は中東アジア、当時は独立した国家はなく、中東アジアを植民地化政策から守って、独立国家を造る事でしたが、当時の白人文化圏(アメリカ・イギリスなど)が、様々な手法で、日本に対して、迫害をしてきた。 それでも、戦争を避ける事をしていたが、経済的包囲網や、石油の輸出禁止、さらに日本からの輸入も禁止をし、このままでは、アジアを守るどころか、日本も立ち行かない、決定的だったのは、真珠湾が先ではなく、アメリカが、中立的な条約をやぶり、中国に武器を提供した事、これを日本が宣戦布告ととり、戦争に至っています。 さらに言えば、戦後に行われた、東京裁判は、法律の意義さえ存在しない、適当な裁判だった事です。これは、パール博士の日本無罪論と言う本に詳しく書いてあります。 中東アジアの国々の人達は、日本が戦争をしたおかげで、今の私達があると、感謝してる国々もあります。 長々と質問者様の答えにはなってませんが、日本の真実を語らせていただきました。

回答No.39

戦争の背景などは、他の回答者の方々が詳しく 色んな視点で書いてくださってるので・・・ ただ 今のつかの間の平和が、多くの一般国民(もちろん軍人も)が流した 大量の血の上に成り立ってるという事実もひとつの結果です。 そのことだけは少なくとも心に常に持ちたいと 日本国民として思っています。

回答No.38

「何の感謝をするべきなのか?」<「自分が生まれてきた事を」「この国の豊かさを」  単刀直入にいうと、まず「生んでくれた」ことに感謝かな。個人的には。 この環境に生んでくれなきゃ今の俺は存在できないしね。これは英霊に限定する話じゃないけど。  実益的に言うなら、アジアの先進国「日本」を作り出したのは戦後敗戦国日本という状況をつくりあげた英霊たちが基礎だから。 歴史的に見て、日清・日露戦争の勝利から太平洋戦争の流れにおいて日本が世界的地位を格段に上げたことは戦後の成長にもかなり大きな意味を持ってたといわざるを得ません。 さらに当時の日本は植民地戦争・白人至上主義の中にも一石を投じました。日本が戦わずして植民地になっていたら世界はヨーロッパ勢・白人勢に支配されていたのは間違いないことです。このことは現在も続く、人種差別の解消にも影響を与えています(未だに白人の方は自分が一番偉いと考える人は多いですけどね)。日清・日露戦争は運よく勝ちましたが、太平洋戦争は資源的にも武力的にも勝てない戦でした。しかし、戦わずして隷属国の植民地にただなるか、戦って敗戦国になるか、どちらも対応が変わってきますよね。戦って敗戦国になったのが現在のアジアの先進国「日本」なわけです。アメリカの犬なって成長したという方もいますが、戦わなかったらそもそも(人種差別的にも)相手にもされないのでやはりご先祖様のやったことは間違っていなかったと思います。 例えば、あなたが当時の国家元首だとして世界全体が植民地戦争で分割される最中、植民地にされるのをただ待ちますか?「ベルリン会議」(アフリカ分割に関する)とか知りませんか?ヨーロッパの人たちが勝手に話し合ってアフリカを分割し植民地に決定したアレです。ヨーロッパの人たちが現地住民無視で勝手に「こっからここまでが俺の領地」と決めたアレです。そんなゲーム感覚で国が分割される時代ですよ。大国「中国(清)」ですら半植民地化していた時代ですよ。国家元首のあなたが「植民地は嫌です」といって相手はわかってくれますか?植民地になった日本が今先進国として存在できると思いますか?私は過去植民地だった先進国なんて知りませんよ。 正直現実はゲームではないので勝ち負けの結果だけで善し悪しは決まりません。 高校レベルの勉強でも植民地戦争くらい勉強しますよね?いくら偏向教育でも、これぐらいの考えは浮かぶのでは? ----------------------------------------------------------------  最後に「なぜ感謝するべきといわれるのか?」をもっと個人に掘り下げていうと「英霊を敬え」と私たちに言うのが英霊になり損ねた方やその遺志を継ぐ方々だからでしょう。うちの祖父も去年亡くなりましたが軍人でした。祖父にとって「英霊」とは戦友であり、その戦友には兄弟も含まれていました。もしかしたら自分も死んでいたかもしれない。若くして散った戦友。自分には子供や孫までできた。と考えると自ずと「英霊を敬え」という考えが浮かぶと思います。 『まず「生んでくれた」ことに感謝』と始めに私がいったのもここにあります。一歩間違ってたら今の私はここにはいませんから。

  • kammy05
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回答No.37

英霊も含め、当時の日本人の働きに尊敬の念を抱いています。 確かに、新しい領土も資源もありませんね、負けたから。 そういった考えももちろんあると思います。 ですが、私はかつての日本人の働きにより、日本はその地位を上げたんじゃないかと思っています。 台湾など、海外に旅行に行く機会がありましたが、非常に親切にされました。 特に戦中世代の人がよく声をかけてくれたんですよね。 彼らは日本の統治下の暮らしを懐かしみ、日本を母国とまでいっている人もいました。 ですので、私が旅行先でいい想い出をつくれたのは当時の真面目な日本人のおかげでもあると感じました。(もちろん、真面目な台湾人の方々が多いのもよかったです) 台湾や韓国など、日本が統治したことで衛生面や教育など近代化に大いに貢献したと思っています。 ま、韓国も中国も認めたがりませんが。 その他、東南アジアや台湾などでは日本の評価は嬉しいことに高いですよね。 それが直接の利益につながるかは分かりませんが、これほどまでに評価の高い国であることに私は誇りをもっていますし、そのきっかけは先の戦中にあるのではないかと思っています。 また、当時の飛行機などは中継地がないと燃料が持ちませんでした。 よって、本土攻撃の起点となりえるのが太平洋などの島々でした。 硫黄島は日本領ですが、あそこも沖縄攻撃を防ぐためにどうしても死守しなければならない島でした。 太平洋などの島をとっておかないとそこから包囲網がつくられてしまうんですよね。 確かに領土という観点から見ると島なんて微々たるものですが、日本への攻撃を防ぐためには重要な島も多く、そうしたところを守って死んだ方々も多いと言うことをお忘れなく。 結果は悲惨なものですが、当時戦った人は国や家族のために命をかけました。 私はその文字通り命がけの想いに対して尊敬の念を感じます。

回答No.36

英霊と呼ばれるのは靖国神社 に祀られている軍事関係者と 判断するのが妥当だと思います。 戦争で死んだ国民を英霊とは 呼びません。英霊と呼ばれるのは 軍属に限定されます。 英霊とは死亡した軍関係者でしょうね。 英霊により今が在る事に感謝を捧げる。

回答No.35

私は、人(1人称)を敬まうという行為が何かと考えた時に 「人物として、その人に対して尊敬の念を抱くかどうか」の 1点のみで判断していますし、英霊の人たちについてもその 基準を当てはまると考えています。 戦死した英霊と呼ばれる人たちは、以下の4つに分類されます。 1、国の指導者 2、職業軍人 3、徴収された軍人 4、一般市民(日本人や日本人以外の人々) 戦争終結時においては、戦争に勝った場合には全ての戦死し た人々が英霊になり、1がが2,3の人々に対して英霊 云々を喧伝します。 つまり、国の指導者が国全体として戦争に勝った場合には英 霊という存在を祭りごとの象徴として英霊と呼び、称賛するよう 仕向け、更に、戦利品による富国をもたらすことによる恩恵 を受ける国民はこの現象に個人の意識を超えて共鳴するのではな いかと考えます。 そして、個々人の意識として存在する、「人物としてその人に対 して尊敬の念を抱くかどうか」の基準による考えを無視して、個々 人が、国の英霊に対する考え方を受け入れてしまうものだと考え ます。 以上が太平洋戦争前と戦争中の英霊に対する、国の考えと個人が 持つ2つの考え方の存在であったと思います。 さて、太平洋戦争敗戦時には、、1はその行使ができず、 個々人は、自分の基準によって上記の3つ考えのいずれかを選択する こととなり、その対象となりえた人物が、個々人に居たかどうかで意見が 分かれている事象や、全く何も考えずに敗戦前の受入れた考えを持ち込む 人々もいるという状況なのではないでしょうか。 米国においてさえ、第2次世界大戦終結時には前者であり、ベトナム戦 争終結時には後者の事象があったのではなかったでしょうか。 私(昭和40年代生まれ)は、「人物としてその人に対して尊敬の念を抱 くかどうか」の基準を大切にし、以前のような思考を停止したような共鳴 や受入れを、再び、繰り返さないことが、先の大戦の教訓のひとつであり、 英霊に対して今自分が出来ることであると考えます。更に言えば、サイレ ントマジョリティとして広く認知されることを望みます。 また、国の指導者の施策が全く必要がないとも思いませんし、今の状況 がよいとも思いませんが、個人が英霊に対して持つ気持ちを国の指導者 が適切に国のゆくえに運用してもらいたいとも思います。

  • rubrum
  • ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.34

過去がなければその先の現在はありません。 過去の戦争の勝敗に関わらず、今の貴方が輸入した食品を食べ、 輸入した部品の使われたパソコンを使い、顔も知らない誰かに物を尋ねられるのはそう言った過去があるからです。 先祖は私たちに今の暮らしを与えてくれたのです。 彼ら(彼女ら)にその自覚がなくても、です。 「日本を守る為」の意味がわからないと申されましたが、 では何故日本は海を越えて領土を求めなければならなかったのでしょう? ご存知の通り、戦争は勝っても負けても失う物が多い行為です。 色々掻い摘んでしまいますが、理由の一つとして… 日本は開国後、急激に変化しました。 あらゆる分野の発展により人口が急激に増加、国内で確保できる食物量のキャパシティを超えると言う事態に陥ります。 国民を養う為には食料が必要で、当時の領土ではそれを賄い切れなかったのです。 だからこそ領土拡大を目指しました。 日本国民を飢餓から守るためです。 戦上手な国の多くは土地が痩せていたり、国土が厳しい環境だったりします。 資源で最も原始的価値のあるのは食べ物だと思います。 石油や貴金属などの地下資源は、加工する技術や余裕が必要ですし、 工業地帯における価値は、その土地で働く人材にかかっていますから… 人を制するのは土地を制する以上に大変でしょうね…。 現代日本は物が溢れて非常に便利です。 成人する頃には読み書きに不自由することもなく、自由な発言をして思想を持ち、 大抵の人は理不尽な被害に会う事もなく暮らしています。 戦争は遠い世界の話で、自分から仕掛けようなんて思わなくて済みます。 これらはとても幸福な事ですが、実は当たり前の事ではないのです。 当たり前と感じられるまでの苦労や努力や苦痛を、犠牲を先人達が払ってくれたから今の日本があります。 だから戦死した英霊だけでなく、その時代の人々に対して感謝すべきなのでしょうね。 終戦65年、これからの時代を担うのは戦争を知らない世代です。 質問者様のように誰かが疑問を投げかけ、多くの人が考え続ける事はとても意味のある事だと思います。

  • kotkt
  • ベストアンサー率12% (6/48)
回答No.33

何度も回答して申し訳ありません。 少し気になったものですから。 あなたの祖父様と戦死した英霊とは同列同軸に扱われるものではないと思います。 あなたの祖父様は命を保ち、あなたのお父様やあなたに出会うことができた。 しかし戦死した多くの英霊は若くして戦地に赴き、心ならずも命を落とした人々です。 戦後繰り返される先の対戦の史観に対する論議や論争は、戦死した英霊たちとは基本無関係です。 あなたの祖父様が仮に戦死していたなら、あなたの考え方も今とは違うものになる可能性があったかもしれません。 余計な回答ですみません。

回答No.32

何を感謝? たとえ負けたとしても日本国の独立 を守り通したから今の我国が在る。 戦わない民族は他国や他民族に支配 される。チベットの現状にそれを見る。 戦う目的は勝利だけでは無い。民族と 国の威信を高める為に戦う場合も多い。 札束を得る為に戦争をするのでは無い。 日本は戦ったから他国に吸収されずに 済んだ。日本語も何とか維持してきた。 国家の独立という大切な価値を忘れている から戦いの目的さえ判らない者が多い。 そんな者には外国との友好という意味さえ 理解できないだろう。金儲けでつながる事を 友好と主張する者の何と多い時代なのか? 国の独立は何よりも優先するのが国際常識。 他国住民との友好などは何段階も下の話。

  • kotkt
  • ベストアンサー率12% (6/48)
回答No.31

戦死した英霊を敬うのは個人の判断だと思います。 戦後65年の経過しているのですから・・・ 自分は毎年仲間でサイパンに行きます。仲間内の一人がサイパンが好きで慰安旅行のような感じでいくのですが・・・ 初めてサイパンに行った時に友人がバンザイクリフの日本人兵士の慰霊碑に連れて行ってくれました。 風光明媚な場所に慰霊碑が幾つか建てられていました。 バンザイクリフとは戦時中の日本人兵士が「天皇陛下バンザイ」と叫びながら、断崖絶壁から飛び降りて自決していったために、バンザイクリフと名付けられたそうです。自決した人々は1万人にもなったそうです。彼らは捕虜となることを良しとせず、日本人としての誇りを捨てずに、自ら故郷に別れを告げたのです。友人にその話しを聞いたときに、自分はそこに建てられている慰霊碑に手を合わさずにはいられませんでした。 そのときまで私も戦争に対しての考え方は、質問者さんとおなじような感じでした。でも灼熱の孤島の許、自国の勝利を信じ戦い、潔く自らの命を散らせた兵士はやはり賞賛に値し、畏敬の念を持つべきだと思うようになりました。彼らが「靖国で会おう」と言って死を選んだのであれば、日本の首相がどんなかたちであれ、靖国から目を逸らせてはいけないとおもいます。 戦争の是非、賛否は今となってはいろいろと検証されているし、他の回答者さんも指摘されているので多くは言いませんが、個人的には戦争に至った経緯は仕方がないものがあると思います。開戦よりも戦争終結のタイミングを誤ったように自分には思えるのです。 英霊に対する感じ方、考え方は人それぞれです。質問者さんが誰かに「敬え」って言われたなら、それはおおきなお世話だと思います。しかし自分自身は上記のように畏敬の念を持っています。 中国、韓国の先の大戦に関する史観はやはり偏りがあると思います。「反日」をベースにした史観、教育であることは間違いないでしょう。だから我々日本人と戦争の史観が重なることは未来永劫ないかもしれません。それでも良いではないでしょうか?それはそれとして新しい関係を構築することが大切です。数え切れないくらい日本は謝罪してます。もう謝罪の必要はありません。戦後補償も同様です。 グローバル化のなか、日本にとって中国も韓国も大切な近隣諸国です。日本としては過去は過去として清算した立場で新たな国益を考えるべきだと思います。

lugal
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は外国といえばハワイのオアフ島に行きましたがパールハーバーは見れませんでした。 私の祖父も軍人だったのですが、戦争を生き延びて、そしてまだ幼かった私には戦争の話をそれほどしませんでした。私の父親に対しても戦争の話はあまりしたがらなかったそうです。 私は今まで自分が日本を守ったと豪語する戦争経験者を見たことがありません。 チャーチルが言った言葉に(原文は違うようですが) 「人は二十歳までに右翼にならなければ愛国心が足りない」 「しかし二十歳を過ぎてまだ右翼なのは知識が足りない」 この言葉に真実があると思います。 新しい関係を構築するというのは、回答者様のおっしゃる通りだと思います。