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とても漠然とした質問ですが「愛」って??
「愛」もしくは「愛情」って何でしょうか? 受ける「愛」与える「愛」無償の「愛」・・・ これが「愛」なんだな~と思った事を教えて下さい。
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愛にもいろんな愛がありますよね。恋人の愛、夫婦の愛、家族愛、友人愛、同僚愛(というのか)。 すべてに共通すると思うのですが、許せる、というのが愛ではないか、と思います。相手が何か間違ったことをしたとき、(自分が相手が間違ってると思ったとき、と言ってもいいかも)そのときに、自分を振り返って自分がよくない関係になって行くのを防げるような態度で接することができるか、心から。それが自分にとって心のそこから出てくるものであるか否か、がポイントのような気がします。偽善は逆効果、相手を欺くことにもなり、亀裂が生じる原因になります。 そして、言葉で率直に思いをぶつけ合うことができるか、そうすることができるか、しようとするか、つまり意思の問題だと思います。愛とは意思だと思います。それによってお互いに気付きが生まれること、よい関係を作るきっかけにすることができること。片方がそのような気持ちになれば自ずと相手にも通じるものです。 そんな勇気、私も欲しいです。 えらそうなこといって、私自身職場のうまく行かなかった人にそのようなポジティブな態度で接せられたことで救われ、自分自身を振り替えさせられたことがありました。自分もそのようなまず自分から、という心を持っていきたいと思っています。
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もんきちははさん こんにちは ! 前から質問しようかなと思っていたのが 「愛」という言葉について だったのです。 私は 何か誤解しているのか それとも若くないせいか「愛」という言葉を必要以上に使われると違和感を抱きます。 某テレビ局の「愛は地球を救う」だって「愛」である必要はない。 「思いやりの心」とか「助け合いの精神」という言葉に置き換えることができると思うんです。 なぜ大上段にふりかぶったような言葉「愛」なのか。 昔は『愛』といえば「愛のコ○ーダ」とか「愛欲の果て」とかのイメージしかなくて。 あるいは 対角にある精神の愛「純愛物」なのです。 で、娘が「私の愛は・・・」とか「愛があるから・・」とか言うと すごく変な感じがして、「『愛』というものはだなぁ、そんな簡単に表現できないのだ。心の奥深くに秘めていて たやすく人に言いふらさないのだ。」と言ってしまいました。 私って やっぱり古い人間だなあと思いながら。 子どもに対する心(愛)は 信じることにあると思います。 ささいな失敗で済むならば ためらいなくやらせる。 そうでない場合は 気づかれないように陰でそっと(しかし、できるかぎり)フォローする。 中学生くらいになると 本当に難しいです。 でも「お母さんは信じてる。絶対に正しい判断をすると。」と伝えておきます。 (正しく判断できる材料を 与えておかねばなりませんが。) 見守る事は手を出すより難しいけどこれが母の「愛」なんでしょうか。 なんだか良く分からない話になってしまってごめんなさい m(__)m
お礼
わーい!ごろごろしろよさん、こんにちは^-^ >>なんだか良く分からない話になってしまって~ とんでもないです。PCの前で一々頷いてしまいました。「愛」の字がつけば全て許される、と言うような風潮は嫌ですね!押し付けたり強制したり、もうそこで「愛」ではないですね。 『愛』といえば「愛のコ○ーダ」とか「愛欲の果て」・・・笑える!そうですね~昔って「愛」という言葉の裏は「ドロドロ」「ねちょねちょ」したイメージがありましたね。最近はあまりにも安易に「愛」を口にし過ぎる感がありますね。育児書の類にも「あなたを愛してる」とたくさん言ってあげましょう。なんて文言があります。減るもんじゃ無し言うのは簡単なんだけど、どうも舌の付け根あたりで引っかかってしまった母でございます^^; >見守る事は手を出すより難しいけどこれが母の「愛」なんでしょうか・・・ 見守るのは本当に難かしい!手を出した方が簡単なんだもん^^;まずは自分を律する事なのかな~ 回答ありがとうございました
補足
5656464さんの補足欄をお借りして 改めてみなさんありがとうございました。 本当に漠然とした質問に回答をいただき感謝!です。 皆さんからのお答えに、私自身の「愛」「愛情」というものを見つめ直そうと思いました。 これからも、よろしくお願いします。 これにて締め切らせてもらいます。
- tips
- ベストアンサー率14% (829/5762)
こんにちは。 相手に、自分の気持ちや、考えや、欲望を 押し付けることなく、 相手の気持ちを、慮り、 なるべく自分にとっても、相手にとっても 居心地の良い空間を、提供することかなと おもいます。 そうなると、愛ってサービス(奉仕)の精神がないと むずかしいですね。
お礼
tipsさん、こんにちは >>愛ってサービス(奉仕)の精神がないと ~~ 言いえて妙ですね!!思わず膝を打ってしまいました。自分を殺して相手に仕えるのか~確かに良いレストランやホテル、旅館などはそうですね。 何だか心のどこかに、ストンと収まった気がします。 そうだったのね~うんうん・・・^^; 回答ありがとうございました
- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
愛するといっても色々な表現方法があると思います。 相手を理解してあげる、許してあげる。ということ愛に入ると思います。 一番の愛は 女性とけんかしていて次の日にハグされたときでしょうか。(男性だと気持ち悪いけれど) ちなみに昔は愛という言葉はなく、同情、あわれむ、慈悲好きという言葉をつかっていたそうですが。
お礼
katyanさん、こんにちは >>けんかしていて次の日にハグされたとき~~ スゴクよく解ります。もちろん好きな相手ですよね。 一言で「愛」と言っても本当に広くて深くて、人それぞれ考え方が違うんだな~と今更ながら思っています。子供を叱る時「これは親の愛よ」なんて考えるんですが、心の底には「見栄」や「世間体」などがあります。シクシク泣いている子を見ているうちに浅はかな母は猛反省します。「ごめんね」と抱きしめた時「ああ、この子から愛を貰っているのは私だ」と思いました。「愛しい」という気持ちです。 自分がここに質問をしてみようと思った動機のひとつでした。 回答ありがとうございました。
私は年を重ねるほど、親の愛を思うことが多くなりました。 どちらかといえば今は自分自身について少しずつの恩返しでやっとです 仁愛は人の業欲をまねきます。 いさかい、争い、戦争の源です。 自分が守られていると感じる時はうれしいのですが、結局いっときの情感になってしまいます。 忘れられないこともありますが、結局のところ罪が問われてしまうのです。 自分が守られた者を許すのも愛ですが罪は消えません。 ですから今はできるだけ自分の欲を貧しくするようにと思っております。
お礼
FHirokoさん、こんにちは 深い解釈ですね。哲学みたい・・・「愛」そのものが突き詰めると「哲学」なのかもしれないですね。 愛=これです!と言う正答はないんですね。 >>はできるだけ自分の欲を貧しくするようにと~ そうですね、私も欲を持った時点で「愛」から遠ざかって行くような気がします。 回答ありがとうございました。
- wa_on
- ベストアンサー率15% (139/920)
相手の幸せを、何より優先する事じゃないでしょうか? 自分の願望・欲・世間体・果ては命、そういったものより 優先してあげる事。 #1さんが書いておられる許す、もそうですね。 愛憎といいますが、憎んでしまっては許せない。 憎むは、愛より自分の感情が勝っているのでしょう。
お礼
wa_onさん、こんにちは。 そうか~、自分の全てよりも相手を幸せを優先する・・・難かしいですね~ 今はっきり言えるのは「子供は命に代えても守る」事くらいです。でも実際そんな目に遭ったことがないし、その場になったら・・・と考えてしまう自分が怖いです。石川五右衛門になったら~なんて。 本当に難かしいですね。
補足
wa_onさん、ごめんなさい。 ありがとうするのを忘れちゃいました^^; <自分の感情を優先しては「愛」とは言えない。> 耳が痛いです。子供に「あなたの為なんだから!」と親の愛情のように言ってる裏には、自分自身の見栄や願望が確かにあります・・・自己改革が必要ですね。 回答ありがとうございました。
- hagewashi
- ベストアンサー率20% (25/121)
月並みですが・・ 本質、原点は 「己の欲せざるところを、人に施すことなかれ。」 かと・・・?
お礼
これは「自分がされて嫌な事は、他の人にするな!」と解釈していいんでしょうか。間違ってたらごめんなさい。 これ!子供に日頃から言ってる言葉なんです。 私の愛は押し付けになっているのかもしれません。 「よかれ」と思ってやっている事が「迷惑」なのかも・・・ 少しは考えてもいるので、あまり手出しをしないでいると、トンでもない事態になります。 そこで「おかあさ~ん」なんて呼ばれて「ほ~らね」なんて思っているからダメなんでしょうが・・・ hagewashiさん、ありがとうございました。
- netnabe
- ベストアンサー率36% (16/44)
英語のLOVEを「愛」とはじめて日本語に訳した人は苦労したと聞いています。 「愛」というのは神様が全ての人に分け隔てなく与える崇高な理想の感情の一つであり、地上に生きる者は神の愛を広めなくてはならないという、宗教と結びついた概念が理解しにくかったのでしょう。本来の意味を純粋にとらえれば、「愛」とは自己を超越して神(天)と結びついたときに現われる特別な感情なのだと思います。 そういう意味では「愛」とは漠然としたものではなく、感情が研ぎ澄まされた理想の状態のときに現われるものだと理解できます。 キリスト教の信者の方々は身の回りの人たちとの交流において常に「愛」を口にすることで神の御心を感じようと努めますが、キリスト教信者ではない多くの日本人にはその習慣はありません。多くの日本人は特定の人との結びつきに限定して「愛」を持ち出します。 「愛」に代わる日本人の感情を表現する言葉を見つけることが「愛」を理解することなのではないでしょうか。
お礼
netnabeさん、回答ありがとうございました。 読んでいて色んな事を思い浮かべて涙が出た。 「愛」って難かしい言葉ですね。 「慈愛」ってありますよね。慈しむ心、聖母の微笑みとか差し出された手の表情、菩薩の笑み・・・ 本当に難かしいです。
お礼
tororoimoさん、こんばんは(おはよう?) 偽善ではない素直に湧き上がる気持ち。許せる気持ち・・・とてもよく解ります。 ダンナと結婚した当時は、美味しい物作ってニコニコ笑って待ってるのが私なりの「愛情表現」でした。 子供が生まれてからは、もう「無償の愛」ですね。ただ大事に育ててる。 でも夫婦としても親子としても「倦怠期」というか・・・個々の生活になってきました。 「むなし~~」って感じです。 >>まず自分から・・・ そうですね!お母ちゃんが暗くなってちゃダメですね。明日の朝は元気に「起きろー!」って言って見ます^0^ ありがとう!元気をもらいました。