• 締切済み

どうしていいかわからなくなりました。

どうしていいかわからなくなりました。 大学1年生の女です。 私は以前中高一貫の女子校に通っていましたが、友人らしい友人はいませんでした。(母親には異常と責められました) もちろん話したり、一緒にお弁当を食べたりということはしてましたし、休日に遊ぶこともありました。 高校の最後の2年間ではそんな関係の人たちとは全員離れ離れのクラスになり、昼休み以外ではもっぱら一人でした。 しかしそれは私が心のどこかで望んでいたことだと思います。ひとりぼっちは寂しい反面、ほっとしていました。 彼女たちが放課後遊んだりしている中私は塾だったり授業があったりで予定が合わず、どんどん疎遠になって行きました。 私は人として尊重されない人間でした。話せば、動けば、存在するだけで、常に嘲笑を買いました。でもそれは仕方のないことだと思います。 コンプレックスに甘えて、他人と線を引いてきたのは自分の方だったからです。 小学校のいつからか、人と話している間でも、授業中でも口の中に唾液が溜まってしまう癖がありました。(もしかしたら?気症というものかもしれません) そのせいで人と話すのが怖くて、しかも容姿にも何事にも自信がなかったのできっと傍から見たら苛々する変な奴だと思われていたでしょう。以前の私は自分で思い出しても苛々します。(友人といるときは明るかったつもりです) ですから高校最後の2年間では明るく過ごしました。一人でも俯いたり挙動不審になったりしないことを心掛けました。惨めだと憐れまれるのは絶対に嫌でした。 おかげで修学旅行はすんなりグループに入れてもらえたりとさほど不自由はしませんでした。 受験を迎え、大学で皆を見返してやろうと思っていました。しかし、受かったのは偏差値60程度の私立の法学部。 うちの高校では中の下~中程度。努力が足りませんでした。 それでも落ち零れの私にとっては夏の判定ではCだった大学ですし、何年間も塾に通ってそれなりの努力はしたつもりでした。 進学当初は元同級生が一人もいないこともあって良かったと思っていたのですが、逆に地元出身者ばかりで他地方から来ている人は1割にも満たず、実家通いは7割。 新しい孤独を感じました。 学校では話す人もそれなりにいますし、お昼だって一緒に食べる人はいます。 図々しいと思われたっていいやとクラスのいろんな子に話しかけたりしています。(正直どう思われるか全く気にしない、ということはできていませんが) サークルも入っています。飲み会だって出ますし、小さいサークルなので割と皆仲がいいです。 でも、孤独を感じてしまうんです。サークルの同級生の何人からかは線を引かれているのがわかってしまいます。 その子曰く「うちのサークルは全員どこかしら病気(精神的なもの)」らしく、私もそれを感じていて、サークルの人といるのは楽しいのは楽しいのですが、どこか悲しくなってしまいます。一緒にいるのに一人のような…。もういっそやめようかとも考えましたが余計一人ぼっちになりそうですし…。 サークルに行くと必ず心が不健康になるというか、本当に悲しくなるんです。 でもそんなこと相談する人もいなくて、一人でぐるぐる考えて落ち込みます。 期待しないようにしてきたつもりでしたが、やはりどこかで期待しすぎていたのかもしれません。 正直そこまで大学が楽しくないんです。 大学で楽しい生活を送って中高時代の同級生を見返してやろうなんて考えを持った罰でしょうか。 数学は嫌、二次試験は嫌、だから国公立は嫌、と逃げ続けてきた報いでしょうか。 このままなんとなく生きていくよりいっそ死んでしまおうかなんて考えてしまう自分が嫌です。 クラスのある子に滅多にお泊りをしないこと、一人で買い物に行くこと、その他色々憐れまれています。(悪気がない子なので余計に…) ほかにもいろいろあって中高から必死で築いてきたプライドが大学で崩れてしまうと同時に自分すらなくなってしまいそうで…。 段々もういいやという気持ちになってきました。 どうすればいいでしょう…。

みんなの回答

  • youser
  • ベストアンサー率43% (123/286)
回答No.5

精神的に縮こまってしまうと、何もかもがうまく回らなくなります。 プライドを作れば嘘で自分を固める事になり他者の反応を伺う いやらしい人間になってしまう気がします。 全てを放棄してしまうまで思いつめているのであればどういう方法で 終わらせるのか考えてみて、準備までしていつでもできる状態を 作ってみましょう。 その上で・・・どうせいつでも終わらせられるんだから 何が自分らしいのか、何が嫌で何がしたいのか今一度自分を見つめて 自分の周りを色々改革してみたらいかがですか。 今までの作り上げてきた自分らしくない変な事をして嘲笑されたり バカにされて我慢出来なくなったら終わらせればいい。 恥ずかしい思いをしたって、嫌われそうで出来なかったケンカしたって 似合わない髪形や化粧したって、派手な服着たって、みっともなく 泣いたって、気になる人に告白して振られたって、将来役に立たない 物に興味もったって、かないっこない夢追ったっていいじゃないですか。 いつでも終わらせられるんですから。 なんでもできます。

mer12
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 弁解させていただくと…プライドというのは、唯一自己防衛のために私が持っているすべてです。 憐れまれてなるものか、たとえすでに嘲笑されてごみ屑同然に見られていようが、最後の尊厳だけは捨ててなるものか、と。あなたたちにどう見えてようが、私はこれでも人間なんだぞと。たしかに私は最高にくだらないごみみたいな人間だろうけど、例えごみみたいでも人間なんだと…。 きっと、傍から見たらくだらないプライドでしょうが。 >全てを放棄してしまうまで思いつめているのであればどういう方法で 終わらせるのか考えてみて、準備までしていつでもできる状態を 作ってみましょう。 その上で・・・どうせいつでも終わらせられるんだから 何が自分らしいのか、何が嫌で何がしたいのか今一度自分を見つめて 自分の周りを色々改革してみたらいかがですか。 今までの作り上げてきた自分らしくない変な事をして嘲笑されたり バカにされて我慢出来なくなったら終わらせればいい。 恥ずかしい思いをしたって、嫌われそうで出来なかったケンカしたって 似合わない髪形や化粧したって、派手な服着たって、みっともなく 泣いたって、気になる人に告白して振られたって、将来役に立たない 物に興味もったって、かないっこない夢追ったっていいじゃないですか。 いつでも終わらせられるんですから。 なんでもできます。 なるほど…そう考えたら気が楽になりますね。 ありがとうございました。

  • minmin_s
  • ベストアンサー率55% (66/120)
回答No.4

私も若い頃はそんな感じでした。 ですから学校に行くのが苦痛で休みがち、 両親からはお前は異常だと言われ続けてきました。 私の場合は幸いある程度同じような感覚の理解者が近くにおり、 僅かながら「親友」と呼べる人もできましたが、それがいったいどうなったのか。 現在はクリエイターとして仕事をしており、 業界内ではそれなりに認められ、かれこれ20年以上になります。 学生時代は私も生きている価値を見い出せず、 いろいろ考えたことがあり、つらい思いをしました。 でも、今、思えばその頃の感覚が、現在の仕事に深い影響を 与えているのだなと実感しています。 不規則でとても忙しい仕事ですので、 学生時代の数少ない友人とも疎遠になりました。 たまに時間ができたときは、家族がおりますので、 家族と過ごすので精いっぱいの状況です。 確かに友人はとても大切なものですが、 社会に出れば「仕事」「夫」「子ども」など、 ほかに大切なものがたくさん生まれます。 私の中で「友人」を占める割合は本当に少なく、 忙しくて仕事でなかなか交流する時間を持てなかったことから、 僅かな親友たちも仕事や結婚などで疎遠になっていきました。 それが、やっと最近になって同じ感覚を持つクリエイターの方々と 交流する余裕が生まれてきました。 一度、親の勧めで大手金融会社に秘書として入りましたが、 そこでも少々浮いた存在で2年ほどで退職、 自分がやりたいものとして今の業界に飛び込みました。 おそらく他の人から見たら過酷な業界ではあるのですが、 私としては本当に好きなこと・やりたいことの世界はとても楽しく、そして今があります。 アナタにも、これからそんな世界が待っているのではないでしょうか。 人生の中において学生時代は確かに大切な時間だと思います。 でも、40代になって振り返ってみれば、それほどたいしたことではなく、 学生時代に友人がたくさんいたり、楽しく過ごしてきた人が 社会人として必ず幸せになったり、認められるわけではありません。 そういった風にいろいろ悩まれたり考えておられるのでしたら、 ほかの方がおっしゃるように、もしかしたらクリエイティブな 才能があるかもしれませんよね。 文章を見ていても、書き方としてとても素直な印象を持ちますし、 たとえば文章を書く仕事など、何か興味が持てる仕事につくべく、 勉強されてみてはいかがでしょうか。 アナタの言うコンプレックスはクリエイティブなことには 直接、影響しなさそうですし、自信さえつけば気にならなくなると思います。 また、感性を研ぎすますためにいろいろなことを見たり、聞いたりすることも大切で、 これはひとりでもできますし、むしろひとりの方がいい場合が多いです。 ですから無理して友人と過ごさずに、いろいろ見聞きしたり、 あるいは目指したい方向の業界の人と、ネットなどを介して知り合い、 そちらと交流した方が、アナタにとって良い刺激になる気がします。 それから、もし差し支えなければアルバイトなどしてみるのはどうでしょうか。 いろいろなアルバイトをするのなら若いうちがいいでしょうし たとえクリエイティブな仕事をするにしても、 あまりにも世間からずれた感覚ですと受け入れてもらえない場合があります。 「普通」や「常識」が理解できたうえでの、 世間からずれた感覚はひとつの才能ですが 「普通」や「常識」を知らないままのずれた感覚は やはり排除されやすい傾向にありますので、 クリエイティブな仕事に就くための過程として 世間に触れるアルバイトしてみるのも悪くないと思います。 もしアナタが作家になりたいのであれば出版業界、 デザイナになりたいのであればデザイン会社など、 自分の興味がある方向でのバイトだと、なおいいですよね。 世の中から見れば「友人」はとても大切でしょうし、 ときに感性の合わない友人とつき合うことも必要だったりします。 でも、そこから「親友」が生まれないのであれば 今はそのときではないのでしょうから、 「今の私には必要ないのだ」と割り切って、 世の中に必要とされる方向や自分探しに 時間を費やしてみてはいかがでしょうか。 若いうちは時間もチャンスもたくさんあると思います。 後ろ向きに考えてしまうと、チャンスをつかむことはできませんし せっかくの自分の中の可能性も潰してしまうことになって、 本当にもったいないですよ!! 難しいかもしれませんが、もう少しだけ前向きにいきましょう!! 長文で申し訳ありませんが、何かのきっかけになれば幸いです。

mer12
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 きっと、minmin_sさんのほうが私以上に辛かったでしょうね。 私は学校は休ませてもらえませんでした。母が発狂してしまうから。 一週間だけは部屋の戸につかえをして強行手段で学校を休みましたが…そのときの母の取り乱しようときたら…すごかったです。 学校に行きなさい、どうしても行けないなら精神科に行けと泣き叫び、異常だ異常だと罵り、単身赴任の父にひっきりなしに電話し、親戚に泣いて愚痴を言い…私としては母に精神科に行って欲しかったです。 一番味方になってほしいはずの親から責められるのは辛いですよね。 サボったのはその一週間くらいなものでしたが、その期間はその後しばらく経っても度々責められました。 なんて母だけのせいにしていますが、休むのが怖い小心者だったというのもあります。 >確かに友人はとても大切なものですが、 社会に出れば「仕事」「夫」「子ども」など、 ほかに大切なものがたくさん生まれます。 そうですね…友達がすべてではないですよね。 >人生の中において学生時代は確かに大切な時間だと思います。 でも、40代になって振り返ってみれば、それほどたいしたことではなく、 学生時代に友人がたくさんいたり、楽しく過ごしてきた人が 社会人として必ず幸せになったり、認められるわけではありません。 そうですよね。学生時代よりも社会人のほうが時間は長いのだから、学生時代だけですべて人生の善し悪しを決めてしまうのは馬鹿げていますよね。 おかげで頭を冷やすことができました。 悲観的になる前にできることがあるはずですよね。 前向きに自分の中の可能性を育てて、チャンスを探したいと思います。 ありがとうございました。

回答No.3

こんにちは。 偶然質問をみて、私と同じようなことを考えている人がいると思い、何かのヒントになるかと思いあなたのために登録しました。 私も小学校時代から大学まで通して、友人といえる友人はいませんでした。 どの世界にいても、他の人とは価値観や考え方が違う気がして、学校やクラブにいてもずっと独りでした。 それを打破しようとクラブに入ったり、同学年の人たちと話しをしたりと、積極的に動いた時もありましたが、結局うまくいきませんでした。 あなたと同じように大学で挽回しようとクラブなどにも入りましたが、うまく溶け込めず、みなが私に一線を引いていることも感じたので、結局行かなくなりました。 私の場合は大学を休みがちになりましたが、その代わりバイトと旅をしました。 お金がある程度貯まったら、バックパックを背負いヒッチハイクや青春18切符などで日本の色々なところを巡りました。 観光などといった晴れやかなものではなく、旅に出たのは現状から逃げ出したかったのと、死に場所探しが目的でした。 いい場所が見つかれば(いい場所とは誰にも見つからずに死ねる場所のこと)、その場で自殺する気で睡眠薬も持ち歩いていました。 しかし、旅をするうちに旅人や旅先で色々な人に出会い、触れ合ううちに、「みんな孤独を抱えながら一生懸命に生きている」という事実に気が付きました。 奇麗事は言いません。 みんな、一生、誰も理解できず、理解されずに、仮面をかぶったまま生きています。 その事実を感じつつも、それを感じさせないように生きている人たちとうまく交われないあなたは、ある意味において正常な感覚の持ち主です。 もっとも、別の意味(その他大勢の人たちからの視点)では社会不適格合者です。 私もそうです。 まずはその事を受け止めてください。 その上で一つアドバイスができるとすれば、社会不適格合者は他人にはない才能を持っている可能性があります。 死ぬのはいつでもできますが、その才能を見つけることをしてはいかがでしょう。 ちなみに私は写真家になりました。 写真家や絵描き、小説家などの芸術家は社会不適格合者が非常に多い業界です。 有名人から駆け出しまで含めて、感覚として9割くらいはそんな人たちです。 だから才能のある人に限って、仲良しグループが苦手です。 もう一つ、アドバイスできるとすれば、学生時代に友人とうまく関係を築けなかった人は、会社でもやはり人間関係が大きなストレスになります。 しかし生活のためにはお金を稼がなければなりません。 女性ならば結婚や玉の輿といった道もあるでしょう。 私の場合は自営業者として、極力人付き合いのない職場を自ら作りました。 大学1年ということですから、早めにやりたい事を決めれば何でも可能です。 私が写真家を志たのは大学を卒業してからです。 それでも、努力次第で何とか生きていけます。 もし、仮面をかぶって生きていたければ、サークルなり、バイトなりで人間関係を適当につくる努力をしてください。 もし、素の自分で生きていたければ、サークルなどはすぐにやめて、独りで生きていけるポジション作りをして下さい。 健闘を祈ります。 死ぬなとは言いませんが、最後の手段に取っておいた方がイイですよ。 人生って、年をとるほどに面白くなってきますから。

mer12
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私のためにわざわざ登録までしていただいて…有難い限りです。恐縮です。 旅ですか…素敵ですね。憧れます。 私も以前、大学生くらいになったら死に場所を探しに旅に出たいと思ったことがありました。 けれど、 >しかし、旅をするうちに旅人や旅先で色々な人に出会い、触れ合ううちに、「みんな孤独を抱えながら一生懸命に生きている」という事実に気が付きました。 この言葉がとても印象的で…ああそうだと思いました。 皆それぞれ辛いんですよね。それでも一生懸命生きてるんですよね。 大丈夫です。社会的からはみ出している自覚はあります。 中学生の頃からなんで自分は皆が当り前にできているコミュニケーションができないのだろうと悩みました。 まともに人付き合いすらできない自分を呪いました。 でも、受け入れることが一歩なんですよね。 その上で自分独りで生きていける地位を確立したいと思います。 最後の言葉で希望を持ちました。 人生、この先のほうがずっとずっと長いんですものね。 年を重ねた自分がいつかこの頃を思い出して笑い飛ばせる日が来たらいいと思います。

  • ueue3131
  • ベストアンサー率51% (208/405)
回答No.2

 中高一貫校時代は、友達との付き合いも控えめだったけれど、目標の大学に入るという強い志のもと、寂しさや悔しさに耐えて努力してこられたのでしょう。夏の判定でCだった偏差値60の法学部に合格されたのですから、6年間の努力も苦労も立派に報われたはずですよね。ただ、いろいろな思いを乗り越えて無事合格し、4月からスタートした大学生活は、昔の仲間もいないはずなのに、線を引いてくる同級生もいて、またサークルもストレスになるばかりで、悩んでいるのですね。  忘れてはならないのは、環境が変わったからといって、人はすぐに変われるわけではないということです。今まで、友達関係を築くのが上手だった子は、大学にいっても比較的スムーズに友達を作るし、逆に友達関係が上手に築けないタイプだった人は、最初は頑張ってスタートしても、自分自身の中にある、友達に対する苦手意識や自信のなさが、つい言動や表情に表れてしまって、それが周りの人にギクシャクした感じに映ったりして、「線を引かれたような感じ」の接し方をされてしまったりすることが多いようです。  でも、あきらめる必要はありません。大学は4年間あります。人とのかかわり方を学び、身につける絶好の機会だといえます。どうすれば受け入れられるかの知識、人とうまく接するスキル、…難しいようですが、ちょっとしたコツをつかめば楽に理解できることです。少なくとも、mer12 さんが勉強された受験勉強よりは、ずっと簡単です。  また、大学の中で、あなたに線を引いて接している人もいて、気になるところでしょうが、私の経験では、入学したての大学生の中には、長い受験勉強の影響のせいもあり、人との関係作りがあまり上手でない人も、実は少なくないと思います。自分だけ浮いた存在…なんていうことは、ないと思いますので、心配せず、1からスタートするつもりで気軽に友達作りを始めてください。  さて、サークルですが、イヤなら他のサークルに顔を出してみる方法もありますよ。また、私は(mer12 さんと同じく、自分も大学デビューのとき、友達作りに悩んだ方です)サークルよりも、バイト(レストランや居酒屋)で人間関係を学びました。バイト先での先輩たちというのは、遠慮なく厳しいことを言ってくれます。お客さんへの対応、店の上司への言葉遣いなど、社会性を見につけるための大切なスキルが、これらのバイトにはたっぷり入っています。  バイトでためたお金で素敵な洋服を買い、バイトで身につけた気持ちのいい挨拶と笑顔、そして人と共生できるスキルによって、自信もばっちり!今までの凝り固まった「古いプライド」から、きれいな蝶がさなぎを出て羽化するように、抜け出してください。友達を見返すのは、これからです。

mer12
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 優しい言葉に、思わず涙が出そうになりました。 ごめんなさい、私はそうおっしゃっていただけるほどの人間ではないんです。 努力なんて胸を張って言えるほどの努力をした訳ではないのですから。 中学生時代、暗く無意味な時間を無駄に費やし、わずかな努力を始めたのは高校に入ってから。 しかも頑張ったなんて言えるのは本当に最後の最後だけなんです。 > 忘れてはならないのは、環境が変わったからといって、人はすぐに変われるわけではないということです。 どこかで期待をしていたんでしょうねきっと。 高校までの私とは違う自分になろう、なれると思っていました。 でも焦っては駄目ですよね。 付け焼刃でない人と接するためのスキルをじっくり身につけたいと思います。 今まで友人を見返すために幸せになろうと思っていましたが、幸せは自分のためのものなんですよね。 ueue3131さんがおっしゃってくださったように、ちっぽけな防衛手段であるプライドから抜け出して自信が溢れる、人と自然に共生できる素敵な人になりたいです。精一杯努力して、なろうと思います。 優しい叱咤激励、とても力になりました。ありがとうございます。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.1

お話、伺って、(ああ、今の人だ)という感想を持ちました。お母様と恐らく世代を共にする私ですが、昔はこういう孤独を感じて友人がいないという人は少なかったですので異常という言葉を使われたのだと思います。 でも、全然、気にされる必要はないです。こういう方は激増しているからです。 まだ、質問者さまはお話できる人もおられるし、サークルにも入っておられます。 心の中はともかく傍から見ていていたら、ちっともおかしくありません。 朝、家を出て大学に行き、そして、ひとりの友人に話しかけられることもなく、黙ったまま帰宅してそのまま家族と話すこともなく就寝するという青年もいるということを聞いたことがあります。 それでも彼のような人も増えていることを思うと時代が病んできたように思えてなりません。 今はひとりひとりが孤独を心の中に抱えてしまい、自分ひとりだけという誤った思いのなかに沈殿しているように思います。それで楽しくないと死んでしまいたいという短絡的な思いに駆られます。心のひだが薄くなり、感じやすい青年期の気持ちがヒリヒリした刺激に強く反応します。それを何故、私が分かるかというと似た気持ちに同じような青年期には苛まれてきたからです。お母様だって一度は若かった。だから体験しているはずなんだけど、大人はそれを忘れるんですね。 青年期には今、貴女が感じている孤独や人との違和感、又は自分を責めたり先の人生が嫌になってしまうという感覚を殆ど、誰でもが持ちます。 そして貴女と同じように自分自身にやりきれなさを感じています。 しかし、断じて言えることは、そこを辛くても潜り抜けて来た人には社会人になってから、あるいは、もう少し経ち家庭を持つ頃になると見違えるような明るさを身につけ、そして心からの友人にも恵まれてくるということなのです。 若い時に悩んだ人ほどそれは、はっきりとそうなります。 今の貴女は何かの罰が当たっているのではなく、ましてや報いが来ているわけでもありません。 今は心の訓練の時だと思い、孤独と向き合って逃げないでぶつかってください。 心無い友人の言葉に涙することもあるでしょうけれど、その人だって苦しいんです。 絵に描いた餅のような若い人の幸せなどというものはありません。 いつか貴女がそのことに気付き、そして今の苦しみから抜け出る勇気を持ちつつ、明日を信じて生きていって欲しい、その力を天から授かりますようにと思います。

mer12
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >お話、伺って、(ああ、今の人だ)という感想を持ちました。お母様と恐らく世代を共にする私ですが、昔はこういう孤独を感じて友人がいないという人は少なかったですので異常という言葉を使われたのだと思います。 母は小学校から高校まで学級委員を務め、いつもクラスの中心的存在だったそうです。 いじめられっ子を助けたり、友達も多かったとよく言います。 ですから母に孤独な経験があるかどうかは分かりませんが…恐らくあったとしても、学生時代には一度も経験がないでしょうね。(そうでなければ変、異常などという言葉は繰り返したりしないでしょうから) きっと、母は自分が人としても女性としても日の当たる人生を歩んできた人なので、私のような人間が信じられないのでしょう。 >まだ、質問者さまはお話できる人もおられるし、サークルにも入っておられます。 心の中はともかく傍から見ていていたら、ちっともおかしくありません。 >今はひとりひとりが孤独を心の中に抱えてしまい、自分ひとりだけという誤った思いのなかに沈殿しているように思います。それで楽しくないと死んでしまいたいという短絡的な思いに駆られます。心のひだが薄くなり、感じやすい青年期の気持ちがヒリヒリした刺激に強く反応します。 そうですよね。皆、なにかしら抱えて生きているんですよね。 当り前なことなのにたまに忘れてしまいます。自分だけが寂しいだなんて甘えた人間の考えですよね。思い出させてくださってありがとうございます。 優しくて力強いお言葉、本当に励みになりました。 本当の意味で幸せに気付けるように前を向いて歩きたいと思います。 ありがとうございました。

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