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自分っていう存在は一人です。他の人に乗り移ることは決してできません。周

自分っていう存在は一人です。他の人に乗り移ることは決してできません。周りにいる人々みんな、自分と同じように「生きている」と信じることができません。疑ってしまうんです。みんな共に生きているって思いたいです。こんな私ですみません。アドバイスください。 それと最近人生についてすごく考えます。人生ってどんなものでしょうか?

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  • EFA15EL
  • ベストアンサー率37% (2657/7006)
回答No.1

あー、分かりますよ。 自分は他人じゃないから本当に周囲が自分と同じかどうか分からないんですよね。 5歳くらいのころから何年か悩んだのを思い出します。 いや、悩むというより不思議な感じなんですよねえ。 自分と他人というものをどう認識すべきか分からなくて。 さんざん考えた結果、「無駄だ」と悟りました。 仮に他人が自分と同じじゃなかったとしても、何も変わらないってことです。 で、あとは人生ですか。 哲学書でも読めばいくらでもいろんな説を知れますけどね。 人生とは何かとか、人生の意味はとか、そんなの死ぬ間際に総括して考えりゃ十分です。 というかそのときにしか(自分にとっての)答えは出ません。 それまでの間はひとつひとつの瞬間を積み重ねていくだけです。

noname#173357
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  • dai-ym
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回答No.8

哲学を調べてみれば、同じ様に考えている人が山のように居ることがわかります。 自分の出した結果は疑ってもその答えの出しようがない。 それにもし違っていたとしても、違っていたからってどうすることも出来ない。 なら、疑っても疑わなくても自分の行動に変化がないなら、そのことに考えるのは別の何かがわかって状況が変わるまで保留にしておく。 人生はそういう答えの出ないことが山のようにあります。 そういうことに時間を取られるよりも、答えの出せることを考えた方が良いですから。 人生みないつか死んでしまう。 なら、楽しんだ方が良いじゃん。 どうせ楽しむなら、自分ひとりが楽しむよりも、周りの人と一緒に楽しんだ方がより楽しくなれるじゃん。 自分は人生をそう考えていますよ。

noname#173357
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noname#161960
noname#161960
回答No.7

いやあ、いいんじゃないですか。 私は好きですよ。そういう考え方。 蛋白質の寄り集めで生命活動をしてるとか、 遺伝子がどうたらこうたらとか、 理屈を聞いても納得できません。 あれも「そういうことらしい」って話ですからね。 例えば「生きてる」と信じないってことは 具体的にどう思ってるのですか? ゾンビ?ロボット?宇宙人? そのまんまの思いで、とりあえず小説でも書いてみたらどうでしょう。

noname#173357
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  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.6

自分と他の人間(と思っているもの)が同じかというのはSFではよくあるてーまでボディスナッチャーとか有名です。スタニスワフ・レムの短編にも面白いのがありました。これを追求すると肉体はヒトであっても意識は同じだろうかとか、いろいろ考えが出ておもしろいのですが、信じられないと本気で思うのは(名前を忘れましたが)かなり有名な精神症例です。 人生とは何ぞやというのはテーマが大きすぎます。古代から現代まで、そして未来もあらゆる人が考えています。哲学の本でも読んで、哲学カテゴリーで質問したほうがよいと思います

noname#173357
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  • hikarucou
  • ベストアンサー率28% (268/954)
回答No.5

病院行って、みんなの存在がわかるようになるまで治療を続けてください。 ここで何回質問しても無駄です。

noname#173357
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回答No.4

他人が自分と同じように生きている意識をもった人間だと信じられない。 精巧にできたロボットなんじゃないのか、他人の意識なんて存在するのか。 そういう疑問を真剣に持つ人ってたまにいるらしいですね(僕には理解できませんが) 永井均の本に独我論が分かりやすく書いてあります

noname#173357
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  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.3

自分を取り巻く人達や環境は、自分が観ている巨大な映像みたいなものです。その中から価値を見出せばいいのです。「他人の観ている景色は、自分のそれと比べてどうなのか」なんて考えるのはナンセンス。それでいいと思います。 時にはとても想像力が豊かな人もいて「他人の観ている映像」を感じ取れる人もいます。でもそのセンスは、生きていく上で不可欠なものという訳ではないです。 生きていくのに必要なのは、そんな巨大な映像の中にいるご自身の「生きる動機(モチベーション)」です。「みんな共に生きているって思うこと」ではないです。 >人生ってどんなものでしょうか? それって、人に聞くようなことなんですかね? なにより、19mii91さん自身「(他人を)自分と同じように考えられない」とおっしゃっているくらいなのに・・・他人の中に、その答えがあるはずはありませんよ。 知りたいなら、一生かかってでも自分の力で見つけ出してください。それを知らなかったからといって生きられない訳ではないですから、急ぐ必要は無いです。

noname#173357
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noname#112864
noname#112864
回答No.2

>周りにいる人々みんな、自分と同じように「生きている」と信じることができません  逆なんではないでしょうか? 周りに居る人は、みんな自分とは“違う生き方をしている”と信じる。  100人居れば、100通りの人生がある。 共に生きる、というのは、自分とは違う人生を理解することではないでしょうか?  「ふーん。そういう人生もあるのか・・・」で、いいのではないでしょうか。 『個(個人)』を尊重することです。  自分と同じように生きることができる人は、そうは居ないと、私は思っています。 ※自分と同じように生きないのを“許せない”というのが『イジメ』の正体です。

noname#173357
質問者

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